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60. 大切


 どーん、と大きな音がして、重華はぴくりと肩を揺らした。


「ああ、花火か」


 そう言って晧月が夜空を見上げるのにつられるように、重華も見上げた。

 すると、夜空に大きく舞う光の花が目に入った。


(うわぁ、きれい、大きい……)


 重華はどんっと、音が鳴るたびに少し驚きながらも、打ちあがる花火にくぎづけだった。


「花火を見たことは?」

「あります。家の近くでお祭りがある時には、家からも少しだけ見えたので」


 音に慣れていない様子から、花火を見るのもはじめてなのかと晧月は思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 けれど、重華の言葉と今の様子から、決して近くで見られたわけではなかったのだと察する。

 まさにその通りで、重華が見た花火は、決して今見ているような、迫力満載のものではなかった。

 遠くの夜空に小さくあがるだけの花火だったが、それでも重華は祭りの日にはその花火をとても楽しみに見ていた。


「近くで見ると、こんなに音が大きいんですね」


 身体にまで響くかのような大きな音と、手が届きそうなほど近くではじける光の粒。

 重華の知っている花火とは、別物のようにさえ感じられた。


「せっかくだ、俺たちもあっちで見よう」


 できるだけ、この花火を楽しませてやりたい、と晧月はそう提案した。

 晧月がそうして指し示した先に重華が目を向けると、そこには広場があり、座って花火を見上げている人がちらほらと見えた。

 重華はこくりと頷いて、晧月とともにそこへと向かい、並んで腰を下ろす。

 見上げると視界を遮るものが何もなく、花火がとてもよく見えた。

 花火は何度も何度も打ちあがり、重華の頭上で花開いては消えていった。

 たくさん打ち上げられたはずなのに、重華にはほんの一瞬の出来事のように、あっという間に終わってしまった。


「花火も終わったし、そろそろ帰るか」


 先に立ち上がった晧月が、重華に手を差し出してくれる。

 重華は名残惜しさを感じながらも、当然のように自身の手を重ね、立ち上がろうとした。

 けれど、そこであれ?、と思い、その動作が不自然に止まる。


「あ、あのっ、これ、視察になったんでしょうか?」


 気づけば終始、重華が楽しんだだけのような気がする。

 視察になっている気がしないし、晧月に至っては楽しめているかもわからない。


「大丈夫だ。ちゃんと民の様子も、街の様子も見れている」


 そもそも本来の目的は視察ではなかったのだから、そういった意味でも何の問題もない。

 もちろん、晧月はそんなことを重華に伝えたりはしないけれど。


「へい、じゃなくて……、その、コウ様も、楽しかったですか?」


 晧月も、つまりは重華は楽しかったということ。

 そのことに、晧月は満足そうに笑う。


「ああ。俺も楽しかった」


 自分だけではなかったことに、重華は少しほっとしていた。






 それは、祭りに出かけた翌日のことだった。


「私、陛下にすごく大切にされている気がします……」


 気のせい、かもしれないけれど。

 ぽつりとそう呟いた重華を、春燕と雪梅は自身の作業の手を止めて振り返った。


「はい、とても大切にされていらっしゃるかと」


 春燕が当然のことのように、それを肯定する。

 あっさりと肯定されたことに重華は非常に驚いて、春燕を見つめる。

 だが、むしろ春燕の方が、重華のそんな表情に驚かされていた。


「雪梅さんも、そう思いますか?」

「ええ。それだけではなく、最近では陛下の言葉遣いも変わられたようですし、とても心を許されているかと」

「それって、陛下がご自身のことを『俺』と仰るようになったことですか?」

「はい。陛下は気を許した方の前でしかそうおっしゃいませんし、珠妃様に対するお言葉も以前より砕けたものになっているかと」


 晧月が自身を『俺』と称し、そして重華に対して『おまえ』と言うようになった。

 重華は、それくらいの変化しか感じていなかったのだけれど、雪梅から見ると違うらしい。

 晧月は目の前にいるのが重華だけではなく、春燕と雪梅も共にいる時であっても、変わらず自分のことを『俺』と言う。

 それは、つまり、重華の前でそう言うよりもっと前から、2人の前ではそうだったのだろうと重華は思っている。


(きっと、お2人は、もっと信頼されている)


 当たり前のことなのかもしれない。

 けれど、晧月のことを重華よりもよく理解し、信頼を得ている2人が、重華は非常に羨ましいと感じた。


(それでも、やっぱり、私、大切にはしてもらえている……)


 春燕も雪梅も決して否定はしなかった。

 重華は自身の目の前に並べている髪飾りと風車を眺めながら、昨夜のことを思い出した。

 どちらも、昨夜、晧月が重華に買ってくれたもの。

 重華は一言たりとも欲しいと伝えたわけではなかったけれど、欲しかったものであることは間違いない。

 買って貰った時のことを思い出すと、顔が自然と熱くなる。


(大切に、してもらえているんだ……)


 改めて、そう実感できるできるような気がした。

 一番ではないかもしれない。

 春燕や雪梅の方が、ずっと気心の知れた、大切な存在かもしれない。

 それでも、その事実が嬉しくて、幸せだと思った。






「重華、いるか?」


 まさに噂をすればなんとやら、といった場面で現れた晧月に、驚いたのは決して重華だけではなかった。

 重華、春燕、雪梅、三人三様の驚きと焦りを含むような表情を向けられ、晧月は訝し気な表情を浮かべる。


「おまえたち、みんなしてどうした?何かあったか?」

「い、いえ、何も」

「私どもは仕事に戻ります」


 春燕と雪梅はあっさりと誤魔化すような返事とともに、その場を離れてしまう。

 残ったのは、それを不思議そうに見送る晧月と、どうしていいかわからずおろおろとする重華だけとなった。


「なんだ?いったい……まぁ、いいか」


 晧月は自己完結させると、重華の元へと近づいた。

 そこで、重華の手の中にあるものが目に留まり、驚いた表情を浮かべる。


「そんなものまで、描いてたのか」


 そこには、今重華の目の前に並ぶ髪飾りと風車をきれいに写し取ったような絵がある。

 基本的に重華が描くのは、花や風景だと思っていただけに、晧月は少し驚いたのだ。


「ああ、でもちょうどいいな。少しの間とはいえ、現物を奪うのは忍びないと思っていたんだ」


 晧月は独り言のように、呟いているが、重華には全て聞こえている。

 けれど、何に対して言っているのかは重華にはさっぱりで、ただ首を傾げることしかできない。


「その絵、貰ってもいいか?」

「えっ?」

「嫌なら、後で返すから、少しの間だけでも、貸してくれないか?」

「はい?」


 別に重華は嫌だというわけではない。

 必要ならば、渡してしまってもかまわないとは思っている。

 しかし、一時的に借りるという手法を取ってまで、どうしてもこの絵を持っていかなければならいという必要性が、重華には理解できなかった。


「駄目か?」


 明確な返答を得られず、業を煮やしたかのように晧月は重華にずいっと詰め寄る。

 重華は驚いて少し身を引きながらも、慌てて首を横に振った。


「いえ、駄目ではないんですが、何かに……」

「助かるっ、急いでいるから、また後で!」

「あっ、陛下!?」


 晧月は、絵をひったくるように掴むと、すごい勢いで立ち去ってしまった。

 今度は1人残されてしまった重華は、頭の中が疑問符だらけの状態で、晧月が立ち去った方向を呆然と見つめるしかなかった。

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