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57. 告白

 皇后という単語を晧月が発してから、重華の声はずっと震えている。

 晧月を見つめる重華の瞳もまた、不安そうに揺れていた。

 そんな表情をさせたかったわけではない、だからまだ、告げるのは早いかもしれないという気持ちもあった。

 けれど、どれほど考えたとしても、この先晧月が皇后にしたいと願うのは重華ただ1人だけ。

 そう自覚してしまえば、早く伝えたいという気持ちが勝ってしまったのだ。


「ここには朕とそなたしか居ない。つまり、誰に何を偽る必要もない」


 真っ直ぐに重華を見つめる晧月の瞳が、わかるか、と問いかけているようで、重華は反射的に頷いた。


「俺はおまえが好きだ。だから、おまえ以外を皇后にする気はない」


 先ほど、ここに晧月と重華しか居ないと言われたばかりだ。

 それなのに、晧月の言葉があまりにも信じがたく、重華はつい周囲に人が居ないか探してしまう。


「今、誰も居ないと言っただろう」

「でも……」


 晧月はただ真っ直ぐに重華を見ている。

 決して、嘘をついているようには見えない。


(そんなこと、ありえない。そんなはず、ない……)


 信じたい、そう思う気持ちも重華の中にはある。

 けれど、重華の全てが、そのようなことがあるはずなどないと、重華に訴えかけてくるかのようだった。


「信じられないか?」


 晧月は、問いかけるまでもなく確信していた。

 重華の瞳が、晧月にそう訴えかけている。


「あの、その……」


 皇帝にはっきりと信じられないと告げることは、憚られた。

 だからといって、無条件に信じると告げられる内容でもない。

 しばし戸惑いの表情を浮かべ、迷っていた重華は、ありえない、その理由を並べてみることにした。


「わ、私は、醜いですし……父も、汚らわしい娘だと……娘としても認めてもらえなくて、それから……っ」

「そこまでだ」

「え?」


 重華は晧月に強く腕を引かれ、気づけば晧月の腕の中にいた。

 強く抱きしめられる感覚だけが、重華を支配していく。


「あ、あの……っ」


 まだまだ、たくさんあるのだ。

 自身が好かれるはずがないという理由なら、重華はいくらだって出せそうな気がした。

 しかし、それを許さないというように、晧月は重華を抱きしめる腕にさらに力を込める。


「たとえ、それが本人であっても、俺の寵妃をそれ以上悪く言うことは許さない」

「で、でもっ、本当に……っ」

「今はまだ、信じられないなら、それでもいい。時間はたっぷりあるからな」

「え……?」

「おまえは一生俺の後宮にいるんだ。時間をかけて、信じさせればいいだけだ」


 一生想い続ける、とも受け取れてしまって重華はただただ困惑した。

 重華の中ではそんなこと、もっとありえないことだった。

 そんな重華の思いは、その表情を通して晧月にも手に取るように伝わった。


「皇后にするというのも、今すぐという話ではない」


 妃嬪の昇格とは違い、皇后にするとなればいろいろと準備や手続きが必要となる。

 それもあって、晧月は決して今すぐに重華を皇后にと考えているわけではなかった。


「それに、おまえが嫌だと言うなら、無理強いするつもりもない」

「も、もし、私が嫌だと言ったら……?」

「今まで通り、皇后は不在だ。おまえ以外を皇后にする気はないから、俺が皇帝でいる限り、皇后は不在となるだろうな」

「そんなことが、許されるのですか……?」

「さぁな。だが俺が封じなければ、誰も俺の皇后にはなれないんだ。俺はおまえ以外を封じる気はないんだから、仕方ないだろ?」


 仕方ない、で済ませられる気など重華にはしなかった。

 となれば、晧月が本当に重華しか皇后に考えられないのならば、重華には断る選択肢などないような気がしてしまう。


「安心しろ、だからといって、おまえに絶対に引き受けろと迫るつもりもない」


 それは、重華の中にある不安を払拭するかのような一言だったけれど、重華はやはりそれでいいとは思えなくて、重華の中の不安は消えることなどなかった。


「皇后になれば責務もいろいろ増える。今まで通り、俺の妃として好きに過ごしたいなら、そうできるようにしてやる」


 重華にばかり、ものすごく都合のよい話に思えた。


(皇帝なら、命じてしまえば全て思い通りにできるのに)


 命じられれば、重華は従うしかないのだ。

 それなのに晧月には、何の得もないようにさえ思える提案。

 重華には、なぜ晧月がそのようなことを言うのか、到底理解できなかった。


「俺は、おまえがいればそれでいい」


 晧月の手が、重華の頬に触れた。

 とても優しい目、そしてとても優しい声だった。


(愛されていると、勘違いしてしまいそう……)


 重華がそんなことを思いながら晧月の顔を見上げると、晧月の顔が徐々に近づいてくる。

 重華は反射的にぎゅっと目を閉じた。

 すると、重華の額に暖かいものが触れて、すぐに離れていった。


(く、口づけ、されるのかと思った……)


 そんなはずないのに、自身はなんと愚かなことを考えていたのか、そう思いながら恐る恐る重華は目をあける。

 すると、晧月の優しい笑みが視界いっぱいに広がって、重華の顔は一瞬にして赤くなった。


「その表情、少しは意識されていると、期待してもいいのか?」

「わ、わ、わ……わかりませんっ」


 重華は脱兎のごとく晧月から逃げ出した。

 来た道を、下り坂を、勢いに任せて駆け降りる。

 しかし、足の疲労感もあって足が縺れ、その勢いに任せてそのままつんのめってしまう。

 あやうく地面に激突しそうになったところで、たくましい片腕が重華の身体をがっしりと支えた。


「まったく、危ないだろ」

「な、なんで……」

「上り道より、意外と下り道の方が足に負担がかかるんだ。だから踏ん張りがきがなかったんだろ」


 重華が聞きたかったのは、そういうことではなく、いつの間にか晧月がすぐ傍にいた方だったのだけれど。

 きっと、簡単に追いつかれてしまったのだと、重華は自身の疑問を自己解決した。


「ほら、足が震えてるぞ」


 言われて慌てて自身の足を見れば、晧月に支えられる形でなんとか立ってはいるものの、確かに膝が笑っている。

 必死に力を入れてみるが、震えは止まらなくて、重華は恥ずかしさに俯くことしかできない。


「ちゃんと帰りも負ぶってやるから、勝手に1人で帰ろうとするな」


 そう言うと晧月はまた、重華の前にしゃがみ込んだ。

 重華はしばし戸惑っていたけれど、結局は晧月に急かされる形で晧月の背に負ぶさった。




「陛下、私、はじめてだったんです」


 晧月の背に揺られながら、重華はぽつりと呟いた。


「ん……?ああ、山道を歩いたことか?」

「いえ、それも、はじめてだったんですけど……」

「なら、上から街を見下ろしたことか?」

「あ……っ、それも、確かにはじめてだったんですけど……」


 今日だけでも、重華にとってはじめてのことはたくさんあった。

 その中で、晧月が思いついたものは全て、重華が思い浮かべたものとは違った。


(まだ、他にもあるのか)


 晧月は考えを巡らせてみたが、それ以上は思いつかなかった。


「なんだ?」

「こうやって、誰かにおんぶしてもらうのも、はじめてだったんです」


 重華からその表情は見えないけれど、晧月は目を見開いていた。


(そんな経験すら、なかったのか……)


 考えてみれば当然なのかもしれない。

 あの丞相が、重華を負ぶったとは晧月だって考えられなかった。


「私、ずっと憧れてたんです。妹は甘えるのが上手で、父だったり、妹の母親だったり、侍従や侍女たちにもよくおんぶしてもらってて……」


 きっと、それをいつも、羨ましそうに眺めていたのだろう。

 自然とそんな考えが浮かんで、晧月は目を閉じた。

 瞼の裏に、そんな幼い少女の姿が想像される。


「でも、陛下のおかげで、願いが叶いました」


 晧月からもまた、重華の表情は見えない。

 けれど、その一言はとても嬉しそうに聞こえた。


「なら、おまえは俺に甘えろ。いくらでも負ぶってやるし、他に願いがあるならそれも聞いてやる」


 晧月は、他にも幼い頃に憧れていたことがあるのなら、この程度のことならいくらでも叶えてやりたいと本気でそう思っていた。

 しかし重華は、その一言だけで満足で、それ以上何か望もうという気持ちは、その時の重華には一切湧き上がってくることはなかった。


(あれ、そう言えば、陛下はいつから俺って……)


 自身のことは『朕』、重華のことは名前で呼ばなければ『そなた』だったはず。

 それなのにいつの間にか自身のことは『俺』、重華のことは『おまえ』と変わっいたことに重華は今さらながらに気づいた。

『朕』と呼ぶ晧月の方が皇帝らしい威厳を感じるけれど、『俺』と呼ぶ晧月の方が親しみやすさを感じる気がした。


『俺はおまえが好きだ』


 重華は思い返して、この一言からだったのだと気づく。

 同時に顔が熱くなるのを感じた。

 とはいえ晧月に背負われている状態では、赤くなっているだろう顔を誰に見られるわけでもない。

 それなのに重華は恥ずかしさに耐えられなくて、自身の顔を晧月の背に隠すように縮こまった。

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