「あ、あの……」
「何だ、これは?」
重華が聞くよりも早く、晧月が方容華に問いただす。
その状況を見ていると、方容華はなぜか笑みが零れた。
「とある情報ですわ。珠妃様ご自身ではお使いになれなくとも、珠妃様のお父様にでもお渡しなされば、とても有益な情報となるはずです」
そう言うと、方容華は未だ受け取る様子のない重華に、受け取りを促すように再度紙の束を差し出す。
重華が反射的に手に取ると、方容華は満足そうに笑った。
「なぜ、それを珠妃に渡す?」
問うたのは晧月だが、重華もまた疑問に思っていたことだった。
「珠妃様だけでしたので、私を助けようとしてくださったのは」
「え……?」
「陛下は、私の父が誰の腹心か、よくご存じでございましょう?」
問われて晧月は記憶を巡らせる。
(確か、第四皇子の叔父、だったか……)
晧月はあえて口に出すことはしなかった。
だが、方容華は晧月が正しい人物を思い浮かべていると確信していた。
「珠妃様の元に毒入りの点心を置いて来るという失態を犯して以降、その方を含め父と親交のある思いつく限りの方へ助けを求めました。ですが皆様、見て見ぬふりをされるだけ。わたくしと父はあっさりと切り捨てられたのですわ」
「そんな……っ」
「だから、わたくしはもう、この情報を守る理由がありません。これは、こんなわたくしのために、陛下に懇願してくださった珠妃様にお預けするのがよいと、そう思ったのです」
方容華が穏やかな笑みを浮かべるのを、視界の端に捉えながら、重華は渡された紙の束を見つめる。
だが、重華には何が書いてあるのか、さっぱりわからなかった。
(これを、お父様に渡すの?私が……?)
父親と会う予定もなければ、晧月の命により会うこともできない状態だ。
もちろん、今は会いたいとさえ思っていないけれど、重要な情報を持っているから会いに来いと言ったところで向こうだって会おうとはしないだろう。
運良く会えたところで、重華からおとなしく受け取る姿も重華には到底想像できない。
「あ、あのっ、これ、父ではなく、陛下にお見せしても……?」
「もう珠妃様に差し上げたものですので、お好きになさってかまいませんが、お父様でなくてよろしいんですの?」
「大丈夫です」
通常、父親に渡し、できれば父親の手柄にしたいだろうと方容華は考えていた。
(丞相と陛下は協力関係にあるからどちらでも同じということ?それとも、陛下に気に入られるため?)
後者は非常に考えにくいと思った。
皇帝に気に入られようとしているものが、こんなところまでわざわざ皇帝が処罰を下すのを邪魔しになんて来ない。
そんなことを考えている方容華を余所に、重華は渡された紙の束を全て晧月に差し出した。
「いいのか?」
「はい、私が持っていても、しょうがないですし……」
有益なものかも正直重華にはわからなかった。
それでも、もし有益ならば、晧月に使って欲しいと思ったのだ。
晧月は重華から受け取った紙の束を、ぱらぱらと捲っていく。
「これは、裏帳簿か……!?」
「ええ、その通りです」
「これを持っているということは……」
「お察しの通りですわ。父とわたくしが帳簿の偽装に加担したということです」
「罪を、認めるのか?」
「はい」
そこには、先ほどまでのように処罰を逃れようとする方容華の姿はどこにもなかった。
どんな罰でも受け入れる準備ができている、そんな風に思えるほど方容華は落ち着きを見せていた。
「だが、これが本当に正しいかどうか……」
「お調べください。陛下と丞相であれば、それがあれば容易いことではありませんか?」
確かに、と晧月は思う。
何もないところから、帳簿が偽装かどうか確かめることは非常に時間がかかる。
しかし、本来の金の流れが全て書かれた裏帳簿があれば話は別だ。
その裏帳簿の通りに金が流れたことさえ確認が取れれば、偽装の証明ができる。
また、こういったことは丞相の得意分野であったし、敵対勢力の力を削ぐことができるのであれば、丞相は喜んでやるだろう。
「陛下がお望みとあれば、あれを食べましょう」
あれ、と方容華が指し示したのは、晧月が持ってきた点心。
「罪が増えましたので、それで足りなければ、他の処罰も甘んじて受けます」
「だ、駄目ですっ」
毒を食べさせるなんて、やっぱりよくない。
重華はその元凶となりうる毒入りの点心を捨ててしまおう、そう思って立ち上がった。
しかし、その瞬間視界がぐにゃりと揺れて、重華は平衡感覚を失った。
「重華っ」
今にも倒れそうなところを、再び晧月の腕が支える。
(まあ、お名前を……)
咄嗟に名前を呼んだことを、晧月は気づいていないようだった。
それほど、重華の事が心配だったという事なのだろうと、方容華はどこか微笑まし気に目の前の2人を見つめる。
重華もまた、名前を呼ばれても驚く様子がなかった事から、恐らくは頻繁に呼ばれているのだと推察できる。
「あ、あれ……?」
「珠妃様、やはり今も体調が優れないのに、わたくしのためにご無理を……」
「ち、ちが……っ」
重華はなぜ眩暈を起こしたのか、理解できずにいた。
今日は決して体調は悪くなかったはずなのだ。
それなのに、方容華にあらぬ誤解をされてしまって、重華は1人慌てたが、晧月も方容華もさして気にした様子はなかった。
「そなたの処罰は、一旦保留とする。それは、食べなくてよい、捨てておけ」
そう言うと晧月は、動けずにいる重華を抱き上げた。
「へ、陛下……!?」
「じっとしてろ」
毒を捨てられることにほっとしていた重華は、突然の浮遊感に驚きをあらわにした。
すぐに降りようとしたけれど、晧月に止められ身を固くする。
(お似合いですわ)
言葉は少し乱暴にも聞こえるが、あの皇帝がとても大切そうに抱えている。
方容華には、同じ妃嬪としての嫉妬など欠片もなく、純粋に2人の仲睦まじい様子を応援したいと思えた。
しかし、そうして微笑ましく2人の様子を眺めていると、晧月の厳しい視線が方容華へと向けられる。
重華に向けていた表情とのあまりの差に、方容華は苦笑を禁じ得ない。
「まずは、これが本当に正しいかを確かめる。もし、これが偽りだった場合、先の罪とあわせそなたを死罪とする」
「かまいませんわ。それは正しいものですから」
死罪、と言う言葉に重華はびくりと身体を震わせた。
しかし、方容華の堂々とした様子を見て、死罪になることはなさそうだとほっとする。
「これが正しいと確認できた場合、そなたには罰として出家してもらう」
「え……?」
今度は方容華が驚きをあらわにした。
それは、あまりに予想外な罰の提示だった。
「なんだ、不服か?」
「い、いいえ。ですが、そんなに甘い罰でよろしいんですの?」
結果的に、罪は当初よりも増えたのだ。
その上、この先重華が同じような目にあわないためにも、やはり厳しい罰が必要となるだろうと、方容華は思う。
それが重華のためとなるのであれば、全て甘んじて受けようと、方容華はそう覚悟もしているのだ。
「後宮を追い出されるのだ、妃嬪にとってそう甘い罰でもないだろう。これが正しい場合、非常に有益な情報だからな。それを提供したということで、冷宮送りを免れるだけだ」
「寛大なお心に感謝いたします」
「感謝なら、朕ではなく珠妃にするんだな」
「それは、もちろんですわ」
重華の登場がなければ、この状況はなかったと、痛いほど理解している。
方容華はふわりと笑みを見せると、重華へ恭しく礼をした。
「あと、これの真偽の確認が済むまで、寝殿から出ることを禁じる」
「かしこまりました」
「それから、毒を盛った件も、そなたの独断ではないだろう。今日は、このような状態だからな……」
そう言うと、その状態を説明するかのように、晧月は重華を抱えなおす。
「明日、あらためて背後にいる者についても、洗いざらい話してもらうぞ」
「ええ。全てお話いたします」
晧月は衛兵に決して寝殿から出さぬよう命じると、重華を抱えたまま琥珀宮へ向かって歩き始めた。
(本当によくお似合いですわ、恐ろしく非情な皇帝と、驚くほど慈悲深い妃……)
方容華は、柔らかな笑みを浮かべて去っていく2人を見送った。
これが、方容華の最後の姿となることを重華が知るのは、もう少し先の話である。