晧月と重華が3食とも共にするようになって、数日が経った。
後宮では、ますます仲が良くなったようだなんて噂がたっていたが、重華がそれを知ることはもちろんない。
1日に3回も来て貰って申し訳ない、そんな気持ちを抱えながらなんとか食事をとるのが、重華の精一杯だった。
けれど、この日の重華は少し違った。
このままではいけない、と精一杯の勇気を振り絞ることにしたのだ。
「春燕さんっ!」
「珠妃様、いかがいたしました?」
「あの、その……っ、わ、私っ、あ、甘いものが、食べたいです……っ」
ぎゅっと両目を閉じて、ぎゅっと両手を握りしめ、顔をほんのりと赤らめた重華は、一生懸命に言葉を紡いだ。
言われた春燕はしばし驚いて呆然としたものの、慌てて我に返ると柔らかな笑みを浮かべた。
「かしこまりました。すぐにご用意いたしますね」
急いで駆けて行く春燕を見送った重華は、今度はすぐ傍にいる雪梅の前へと向かう。
「雪梅さんっ、お茶、淹れて欲しい、ですっ」
「もちろんです。ご用意いたします」
春燕の時と同様に必死な様子の重華に、雪梅もまた春燕同様に柔らか笑みで答えた。
(大丈夫、きっと、もう1人でも食べられる……)
この時の重華の胸の中は、達成感でいっぱいだった。
方容華は、琥珀宮を訪れて以来、恐怖に震える毎日を過ごしていた。
至近距離で晧月に会えたことに喜んだのも束の間、震えるような冷たい視線を向けられ、最後は逃げるように寝殿に戻ってきた。
そこで、方容華は自身がとんでもない忘れ物をしてしまったことに気づく。
手作りと称して琥珀宮に持ち込んだ、たった1つだけ毒の入った点心だ。
方容華の目論見通り、重華が食べてしまっていたなら、多少想定とは違っていても目的は達成されたので何の問題もない。
しかし、もし晧月の口にでも入っていたら大変なことになる。
そしてそれよりもっと怖いのが、誰にも食べられることなく中身を詳細に調べられてしまうことだった。
そうなれば、方容華には言い逃れる術がなどない。
すぐにでも取り戻しに戻りたかったが、もちろんそんなことができるはずもなく。
方容華は慌てて、自身の父親を通じ、思いつく限りの人に助けを求めた。
しかしながら、どこからも色よい返事を得ることができず、途方にくれていた。
(あれから数日経ったけど、何も起こらない……もしかして、あの点心は捨てられてしまったの?)
いつ、取り調べに人が訪れるのかと、毎日びくびくしていたが、誰も寝殿に訪れず静かなものだった。
方容華が、もしかしたら誰にも知られることなく、事なきを得たのかもしれない、そんな淡い期待を抱きはじめた頃だった。
重華以外の誰の元も訪れることはないと思われていた晧月が、方容華の寝殿を訪れた。
(これは、いったいどういうこと?)
方容華とて皇帝に使える妃嬪の1人。
皇帝が寝殿を訪れたとなれば、やはりさまざまな期待を抱きたくなるものである。
しかし、このような時に現れたとなると、どうしても良くない事ばかりを想像してしまうのを止められなかった。
(私があの場で、陛下に気に入られたなんて、到底思えない。だとすると、やっぱり……)
それでも、見初められた可能性だって無いわけではない。
方容華は自身を奮い立たせるようにして、晧月を出迎えた。
「陛下に拝謁いたします」
そうして膝をつき、頭を下げた方容華を、晧月は物でも見るかのような視線で冷たく見下ろした。
その視線だけで、方容華は迷うことなく淡い期待を全て捨て去った。
「楽にせよ」
ずっとそのまま膝をつかせておきたい気持ちにも駆られながら、しかしそれでは話しづらいので晧月は仕方なく方容華を立ち上がらせる。
その後、迷うことなく手近な椅子に座ると、方容華を目の前に座らせた。
「へ、陛下がお越しだなんて、珍しいですわね。今お茶を……」
「いらん」
必死に取り繕う方容華を一蹴すると、晧月は放り投げるかのように机の上にあるものを置いた。
「それを、食え」
「これは……なん、ですの……?」
それは、方容華が琥珀宮に持参した点心に非常によく似ていた。
しかしながら、方容華が持参したのは数日前のこと。
それが目の前にあるわけがないから、酷似している別のものだろう。
「そなたが珠妃の寝殿に忘れて行ったものを、忠実に再現させた。さあ、食え。珠妃に食べさせようとしたものだ、そなたが食えないということはないだろう」
方容華は確信した、全てが晧月に露見していることを。
そして、目の前の点心には、間違いなく方容華が重華に摂取させようとした毒が盛られているのだ。
「どうした?食べないのか?珠妃に、自分が食べられないものを食べさせようとした罪を、認めるか?」
「み、認めたら、ご容赦いただけるのですか……?」
「そんなわけないだろう。認めたなら、罰としてこれを食べさせるだけだ」
つまり、認めても認めなくても、方容華は目の前の点心を食べなければならないということ。
自ら進んで食べ、食べられないものを持参したわけではないと証明するか、全ての罪を認め、罰として食べるか、どちらを選んでも行きつく先は同じという選択肢しか用意されていない。
「さぁ、どうする……?」
選ぶなら、前者の方がまだましかもしれない。
そんな考えも方容華の中に一瞬浮かんだりもしたが、すぐに立ち消えた。
罪を認めなければ、悪いことはしていないという結論で終わることができるかもしれない。
しかし、毒で苦しめば、隠し通せるとも思えない。
何より女性として、やはり子が産めなくなるような毒など飲みたくはない。
「へ、陛下、どうか、ご容赦を……」
「自分で食べられないのなら、朕が食べさせてやろう」
抑揚のない声、冷たい視線、決して許す気などない様子に、方容華は小さく悲鳴をあげた。
「な、なんでも、しますっ、ですからどうか……」
「なんでも?なら、致死性の高い毒に変えるか?」
恐ろしい提案に、方容華は顔面蒼白になった。
しかし、方容華が何より恐れたのは、こんなことを顔色1つ変えずに言う晧月だった。
(情に訴えるのは、不可能だわ……)
泣いて懇願しようとも、同情を誘うような言動に打って出ようとも、晧月の心を動かせる気がしなかった。
致死性の高い毒を飲むことに比べればずっとましだ、そう思って方容華が全てを諦め受け入れようとした時だった。
突然勢いよく扉が開き、方容華の視線も晧月の視線も扉の方へと釘付けになった。
「陛下、お待ちくださいっ」
「珠妃!?」
「珠妃、様……?」
この場に来るはずのない重華の登場に、方容華だけではなく、晧月までも驚きを隠せずにいた。
(ま、間に合ったの……?)
ここまでの道のりを、全速力で走って来た重華は息も絶え絶えだった。
周囲を必死に見渡すけれど、上手く状況を読み取ることができない。
「なぜ、そなたがここにいる!?」
晧月は慌てて重華に駆け寄った。
「陛下、どうか……っ」
そこまで言ったところで、重華は足に力が入らなくなり、膝からがくんと崩れ落ちる。
「危ないっ」
同時に身体も傾き、床へと倒れ込みそうな重華へ、晧月は慌てて手を伸ばす。
すんでのところでなんとか重華を受け止めた晧月は、そのまま抱えるようにして重華の身体を支えた。
重華は必死に何か言おうとしているようだが、聞こえてくるのは、ぜいぜいという荒い呼吸だけだった。
「待ってやるから、まずは落ち着け」
晧月は少しでも早く呼吸が落ち着くようにと、重華の背中を撫でてやる。
しばらくの間、静かな室内に重華の荒い呼吸音だけが響き渡っていた。