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28. 宴


「さぁ、蔡嬪、こちらへ」


 席の移動が終わるとすぐに、晧月は自ら椅子を引いて重華を座らせてくれた。


「具合が悪くなったら、無理せずすぐに朕に言うのだぞ」

「はい、陛下」


 二人のそんなやり取りを見た、英妃はすぐに自身も席へと戻った。

 しかし、重華と同様に英妃の椅子を晧月が引く、ということは決してなく。

 英妃を待たずして自身の席につき、重華に微笑みかける晧月を、英妃は悔しそうに眺めることしかできなかった。




 宴会がはじまると、おそらく妃位の低い者から順に晧月へ祝いの言葉を述べ、贈り物を渡していった。

 なかなか手に入らない珍しい物や高価な物を贈る妃嬪もいれば、舞や歌、または琴などの楽器演奏など、自身の特技を披露して祝いの品とする妃嬪もいた。


(こうして舞を披露したりするために、真ん中はあけてあったのね)


 重華は晧月の隣という特等席でそれを眺められる事を、申し訳なく思いつつも楽しんでいた。


「次は、蔡嬪の番ですわよ」

「あ……」


 妃嬪が順番に行っているのだから、当然重華にもその順番は回って来る。

 しかし、その事に思い至ってはいなかった重華は、ひどく動揺した。


(どうしよう……)


 重華は晧月に知られないよう、着物の中にあるものを隠していた。

 それを取り出すか迷っていると、晧月の手が重華の手に重ねられ重華はますます動揺する。


「蔡嬪はいいのだ」

「え……?」

「今日は朕のために、無理をしてくれたのだから。そなたがこうして隣で誕生日を祝ってくれることが、朕にとっては何よりの贈り物だ」


 妃嬪たちのざわめく声が聞こえる。

 けれど、演技だとわかっているのに、晧月の柔らかな笑みに心臓が煩くて、重華はそれどころではなかった。


「あ、あの、おめでとう、ございます……」

「ああ、ありがとう。そなたからのその一言が一番嬉しい」


 重華はこれ以上晧月を見ていられなくて、目を逸らす。

 やはりあの噂は本当だったのだ、やはり重華は寵妃なのだ、そんな声を遠くに聞きながら、重華は少しでも心を落ち着かそうと必死だった。


「で、では、次はわたくしですわね」


 英妃は気を取りなおすように、そう言った。

 だが、晧月の手は以前重華の手に重ねられており、視線もまた重華から外れることはない。

 そのことに、英妃は誰にも見えないところで、悔しそうに拳を握りしめていた。

 思えば、英妃は宴会がはじまってから、一度もまともに晧月の顔を見ていない。

 左右の席に座る妃嬪たちは、晧月の席の方へと視線を向ければ、多少遠くともその顔も表情も見れるだろう。

 しかし、隣に座る英妃だけは違っていた。

 晧月の身体も視線も、真横を向いている、とまではいかないものの、常に重華の方へと向けられている。

 英妃が何を言おうとも、晧月は英妃をを振り返ることすらなかった。

 常に背中を向けられているようで、英妃は怒りとともに虚しさも感じていた。


「わたくしからは、こちらを……」

「ああ、ありがとう」


 差し出した贈り物にさえ、晧月はその視線を向けることはなかった。


「陛下、こちらは……」

「ほら蔡嬪、これを食べてみよ、美味いぞ」


 英妃はなんとか振り向かせようと、贈り物について説明をしようとした。

 けれど、晧月は重華へと話しかけることで、その言葉さえもきれいに遮った。

 結果、祝いの言葉だけで晧月を喜ばせた重華とは対照に、英妃は祝いの言葉すら言えずに終わってしまったのだった。




 妃嬪たちからの贈り物が終わっても、宴会はまだまだ続く。

 晧月に祝いの言葉を述べ贈り物を渡すのは妃嬪だけではないし、いろいろな出し物も用意されていた。

 重華はまるで別世界に来たかのような華やかな世界を、晧月とともに楽しんでいた。


「蔡嬪、一杯どうだ?」


 晧月は、ふと思いついたように酒器を持ち上げ、重華にそう問いかける。


(お酒……?どうしよう、飲んだことない……)


 飲んでも大丈夫なのか、重華にはわからない。

 けれど、ここで皇帝の言葉を断ってもよいのかも重華にはわからなかった。

 すると晧月がくすりと笑って、重華の耳元に顔を寄せる。

 距離がぐんと近くなって、重華の心臓がどくんと音を立てた。


「安心せよ、そなたと朕の酒器には水しか入っておらぬ」


 誰にも聞こえていない、小さな声。

 晧月が内緒話をする様子に、また周囲がざわめき立つ。

 重華は中身が水だと聞いてほっとしたものの、やはり周囲が気になり落ちつかない。


「い、いただきます」


 水を飲めば少しは落ち着くかもしれない、そう思って重華は杯を差し出す。

 そこへ、晧月が酒器の中の水をとくとくと注いだ。

 おそるおそる口をつけると、晧月の言う通り中身はただの水だった。


「朕にも一杯注いでくれぬか?」

「も、もちろんです」


 重華は慌てて杯を置き、酒を注ぐための酒器を持ち上げる。

 すると、すぐに晧月の杯が目の前に差し出され、震えそうになりながらもなんとか中身を注いだ。


「うむ。やはりそなたに注いでもらうと一段と美味いな」


 中身は酒ですらないそれを、晧月は一気に呷った。

 本当においしそうにお酒を飲んでいるように見えて、重華は感嘆する。


「陛下、私からも是非一杯……」

「いや、いい。今日はあまり飲むつもりはない、この一杯で十分だ」


 すぐさま酒器を持ち上げ、空になった晧月の杯を満たそうとした英妃を、晧月はやはり視線を向けることすらなく断った。

 悔しそうに歪む表情を重華は見てしまったけれど、晧月にはそれさえ映っていないだろう。


「蔡嬪、あまり箸が進んでおらぬな。これは食べてみたか?」


 晧月は英妃から声がかかる度にさらりとかわし、こうして重華へと声をかけてくる。

 だんだんと英妃が不憫に思えてくる重華だったが、かといって何もできないため、結局重華は晧月の声に応えるだけだった。


「これは、朕のおすすめだ。ほら」

「え?」


 晧月は皿を差し出してくるだけではなく、料理を箸で摘んで重華の口元に差し出してきた。

 重華は思わず身を引きそうになったが、なんとか耐えた。

 周囲はどうも晧月と重華の様子に注目しっぱなしらしい、晧月がこうして行動を起こすたびに一際騒めく。


「陛下、あの、自分で……」

「朕に食べさせられるのは嫌か?」

「いえ、決してそのような……」


 断れば、皇帝を拒否しているように見えてしまう。

 重華はそれを恐れ、勇気を出して口をあけた。

 そこに放り込まれた料理の味は、緊張のあまりよくわからなかった。


「陛下は、召し上がらないのですか?」


 これが続けられると困る、というのもあったが、重華以上に目の前の料理が減っている様子のない晧月が気になって、重華は問いかけてみた。

 しかしながら、重華はすぐにそれを後悔することになる。


「朕はそなたを見ているだけで、お腹いっぱいだ」


 そう言って微笑まれ、重華の心臓の鼓動は限界まで速くなったような気がした。


(本当に心臓に悪いわ……)


 全て晧月の演技なのだとわかっているはずなのに、重華は胸が高鳴るのを止められなかった。




「蔡嬪、顔色が悪いな」


 重華はそれが、晧月からの退席の合図なのだと思った。

 そうでなくても終始心臓は煩いし、周囲の騒めきが気になって落ち着かないし、そろそろ限界が近づいてきてはいたけれど。

 少しでも具合が悪そうに見えるよう祈りながら、重華は俯いた。


「随分無理をさせたようだ、朕が寝殿まで送ろう」


 そう言って晧月が立ち上がった時だった。


「お、お待ちください、陛下っ!」


 隣に居た英妃が声をあげ、晧月がようやく英妃へと視線を向けた。

 その視線はとても鋭く冷たいもので、英妃が望んでいたものとはかけはなれていたけれど。


「蔡嬪の体調が優れぬのに、放っておけと申すのか?」

「い、いえ、決してそのような……」


 よくも悪くも晧月は妃嬪にさして興味がなかった。

 ゆえに、妃嬪たちは優しい表情を向けられることもなければ、強い怒りを含んだ表情を向けられることもあまりない。

 英妃にとって、これほどまでに敵意をむき出しにした晧月の表情を見たのは、はじめてのことだった。

 全身に震えを感じながらも、英妃は必死に言葉を紡いだ。


「蔡嬪は他の者に送らせましょう。陛下はこの宴会の主役ですので……」

「ならぬ。蔡嬪をここへ呼んだのは朕だ。朕が責任を持って送る」

「ですが……」

「祝いの言葉はもう全て聞いた。問題ないであろう。後はそなたたちだけで楽しめばよい」


 それ以上聞く気はない、というように晧月は完全に英妃に背をむける。

 それから、抱えるようにして重華を立ち上がらせた。


「蔡嬪、歩けそうか?歩けないのであれば、朕が抱きかかえて行こう」

「だ、大丈夫です、歩けます」


 重華は、それだけは勘弁してほしい、と思って慌てて訴えた。

 すると晧月は自身に密着させるように、重華を抱き寄せる。


「え?」

「倒れてはいけない、せめて朕によりかかるといい」


 晧月はそう言うと、そのまま重華の肩を抱いて歩きはじめる。


(まさか、こんなに密着したまま歩くの!?)


 重華は今にも叫び出したい気持ちを抑えながら、晧月に引き摺られるように足を動かした。

 会場中が晧月と重華に注目しているのが、俯いていてもよくわかる。


(早く、終わって……)


 会場を出るまでの距離が、重華にはひどく長いものに感じられた。




 なんとか会場を後にして、重華はふぅっと息を吐き出した。

 しかし、晧月が重華から離れることはない。


「へ、陛下、あの……っ」

「しっ、静かに。誰が見ているかわからない、念のため、宮に戻るまではこのままで」


 晧月の言葉に、重華は青ざめた。

 それでも重華にできることは、ばくばくと煩く鳴り続ける心臓の音が、鼓動が、晧月に伝わっていないことを祈りながら、ただ必死に琥珀宮を目指して歩みを進めることだけだった。



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