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26. 誕生日

「お誕生日、ですか?」


 その日、晧月は今まで貰った着物よりもさらに豪華でどことなく重そうな着物と、それにあわせた装飾品をいくつか持って現れた。

 それ以外にも、今までに貰ったような着物もいくつか持ってきていた。

 以前貰ったものと、少し違った雰囲気のものが選ばれたそれらは、普段着る用の着物のだと言われて重華に手渡された。

 そして、一際豪華で重そうな一着の着物はそれとは用途が違うらしい。


「ああ、それで、祝いに宴会が開かれるんだが、明日これを着て参加してくれないか?」

「あ、明日!?」


 晧月の誕生日にあわせて、宴会が開かれる。

 豪華な着物はそういった宴会など、特別な時に着るためのものらしい。

 そういった着物も重華は一着も持っていなかったから、用意してもらえるのはありがたい、とは思っている。


(皇帝の誕生日を知らない妃の方が悪いかもしれないけど、もう少し早く教えてくれても……)


 1日では、何の準備もできない。

 いや、そもそも財力のない重華に準備できるようなものは何もないし、晧月だって宴会に参加すること以外何も期待していないだろう。

 なにせ、着物1つであっても、こうして晧月に貰わないと着ることすら叶わないのだから。


「明日は、何か予定があったか?」


 晧月は、重華が驚いた理由が、あまりにも急であるとは思い至ってないらしい。

 この後宮で予定らしい予定などあるはずもないのに、見当違いな質問をしてくる晧月に驚きながらも、重華はぶんぶんと首を振った。


「それならよかった。で、明日、参加してもらえるか?」

「も、もちろん、です」


 というか、皇帝のお誕生日なのに、不参加の妃がいるなんてことが、果たして許されるのだろうか。

 そんな疑問が重華の頭の中に浮かんだけれど、その疑問を口にすることはなかった。


「では、明日の打ち合わせをしようか」

「私が『寵妃』に見えるように、ということですか」

「ああ。察しがよくて助かる」


 晧月が以前説明をしてくれていなかったら、思いつかなかっただろう。

 普通に考えて、宴会の主役であり祝われる側である皇帝が、1人の妃と打ち合わせることがあるなんて、重華には思えなかったから。


「明日、他の妃嬪は各自宴会の会場となる場所まで向かう予定だ。だが、そなたは1人で行かず、朕を待て。朕とともに会場に入ろう」

「は、はい」


 確かに、皇帝の誕生日にわざわざ皇帝からお迎えがあるのは、寵妃っぽいかもしれない、と重華は思った。

 また、まだ妃嬪の誰とも顔をあわせたことない重華は、1人で会場に入るのはなかなかに勇気がいりそうだし、晧月が一緒に行ってくれるのは安心かもしれない、とも思った。


「あとは、そうだな、朕の隣で適当ににこにこと笑っていればよい」

「そ、それだけ、ですか?何かお祝いを……」

「他の妃嬪たちは、朕の気を惹こうと何かしら贈り物なりなんなり用意しているだろうが、そういうのは不要だ」


 やはり、期待はされていないようだった。

 過度に期待されてしまっても、それはそれで困ってしまうのだけれど。

 何も期待されないのも、寂しいものだと重華思った。


「あと、これはそなたには言っていなかったが、そなたは入宮して以来、ずっと体調を崩し、ずっと病に伏せっていることになっている」

「だから、あの時、お役人の方が……」


 いろんな話を聞いたことで、重華の頭からすっかり忘れ去られていたけれど、天藍殿を晧月に案内してもらった時、そんな話を聞いたのをぼんやりと思い出した。


「ああ。あの時、そなたが本当は伏せってなどいない、というかとひやひやしたが、何も言わないでくれて助かった」


 言わなかった、というよりは、言っていいかどうかわからなかった、というのが正しいけれど。

 とりあえず、晧月に取って悪い選択にはなっていなかったようで、重華はほっと胸を撫でおろす。


「でも、どうしてそんな……」

「本来、後宮の妃嬪たちは輿入れをした後、すぐに皇太后陛下に挨拶に行くのが習わしだ」


 それを聞いて、重華は一気に青ざめた。

 重華は、輿入れから日付が経った今、まだ皇太后の顔さえ見たことなどない。


「そう、青くなるな。ちょうどそなたが輿入れの翌日に体調を崩しただろう?あれで思いついたんだ、しばらく伏せっていることにすれば、煩わしい挨拶などしなくて済むだろうとな」

「あ……」

「あと、後宮指南役である英妃にも、本当は定期的に挨拶をしなくてはならない。また、そなたは妃位が高いゆえ、他の妃嬪からの挨拶を受けることもあるだろう。だが、慣れるまで、そういった煩わしいことはない方がよさそうだと思ってな」

「それで、わざわざ……」

「まぁ、元々、熱を出した時に、皇太后陛下や妃嬪たちに、慣れない環境で体調を崩したからしばらく蔡嬪は挨拶等ができないという旨を通達し了承を得たまま、未だ治っておらず伏せったままだ、ということにしているだけだがな」


 重華が誰とも会わず、琥珀宮で穏やかに過ごすことができたのは、晧月のこの配慮があったからこそだった、重華はようやくその事実を知った。

 最も、晧月からすれば、丞相の娘として入宮した娘が、侍女にまで敬語を使っている様子が知れ渡り、自身や丞相にとって不利になるような妙な噂が立つのを警戒しただけである。

 しかしながら、そんなことを知らない重華は、ただただ晧月に感謝した。


「あ、でも、それだと、明日の宴会は出ても大丈夫なのでしょうか?」


 いくら皇帝の誕生日を祝う宴会といえど、伏せっている妃がわざわざ参加するべきではない気がする。


「もしかして、治ったことにする、ということでしょうか?」


 となると、急いで皇太后陛下にご挨拶をしなければいけないのだろうか。

 他の妃嬪との挨拶は、どのようにすればいいのだろうか。

 そんなことが重華の頭の中でぐるぐると回った。

 重華が後宮に入って教わったのは、実は皇帝である晧月への挨拶の仕方のみである。

 春燕も雪梅も、当面これだけ覚えておけば大丈夫なのだと、他の後宮のことはあまり教えてくれていなかった。

 今から急いで覚えて、明日までに身につけられるのか、そう考えるだけで重華は不安でいっぱいになった。


「安心しろ、治ったことにはしない」

「へ……?」

「朕のために、体調が悪い中、無理して出てもらったことにする。ただ、ずっと伏せっている状態なのだ、当然長居はできないだろう?」


 実際に、輿入れから今もずっと伏せっているくらい体調が悪いのなら、もちろんそうだろう。

 しかしながら、重華は実際のところ、柳太医には身体が弱っている、と言われてしまっているが、起き上がれずずっと伏せった状態の生活を送っているわけではない。


「そなたにあまり無理をさせられないということを理由に、そなたと早めに退席しようと思っているんだ。だから、その時は少し具合が悪そうな振りをしてくれ」

「それは、かまいませんが……陛下のお誕生日なのに、陛下が早めに離れてしまっていいんですか?」

「ああ、長々と居座る必要はない。皆、何か理由をつけて騒ぎたいだけだろう。祝いの言葉を聞いたら、朕の役目は終わりだ」


 重華を理由に、早く立ち去れる算段がついたことで、晧月は非常に満足気だった。

 また、重華としても、慣れない宴会という席を早めに離れられるのは、ありがたいとは思っている。


(でも、せっかくのお祝いなのに、なんだか寂しい)


 きっと、重華には想像もできないくらいの豪華な宴会が開かれるのだろうと思う。

 それは全て晧月の誕生日を祝うためだと言うのに、当の晧月には全く望まれていない。


(何か、喜んでもらえるようなお祝いができたらいいのに)


 豪華でなくても、ささやかでもいい。

 せっかくお祝いをするのであれば、当の本人がすぐに退席したくなるようなものではなく、もっと楽しみにできるものであるのが理想だと思う。

 しかしながら、重華自身、自分の誕生日を祝われたことなどないため、どうすればよいのかは全くわからなかった。


「何か気になることがあるか?」

「い、いえ、その……こんな豪華な着物、似合うでしょうか?」

「気に入らないのなら、他のものを用意するが」


 決して、そういうことではない。

 重華はただ、ごまかすように言っただけである。

 それなのに、危うく別の着物を用意するという仕事を晧月に増やしてしまいそうになり、重華は慌てて全身で違うということを表現した。


「そんなに必死に否定しなくともよい。明日は、まぁ、特に頭が重いかもしれんな」

「頭、ですか?」

「まぁ、それ以外も重いし、少し動きにくいかもしれんが」


 女というものは大変だ、なんて晧月は笑う。

 重華は、ふと輿入れの日のことを思い出した。


(あの時も、重かったかも)


 頭にもいろんなものが乗せられ、着物も豪華だったけれどとても重たく、動きずらい上に1人ではどうすることもできなかった。

 同様なのかもしれない、と思うと少しだけ心配になり、憂鬱な気分になった。


「そういえば、明日、皇太后陛下はいらっしゃるのですか?」


 重華は気分を変えよう、と考えていてふと明日の参加者が気になった。

 今まで顔をあわせずに済んだ理由は聞いたけれど、明日顔をあわせるのであれば、やはりきちんと挨拶をしなくてはならない。

 晧月に向けた挨拶と同様でよいのか、重華はそれすらも知らない。

 だから、急いで準備をしなくてはならないのだ。


「ああ、皇太后陛下は来ない。あの人は宴会が好きではないから、基本的に年齢を理由に出席されないんだ」

「そうなんですか」


 とりあえず、皇太后と顔をあわせることはないようだ、重華はそのことに少しだけほっとする。


「では、明日は妃嬪の皆さまにご挨拶をすればいいですか?他にも、ご挨拶が必要な方はいらっしゃいますか?」

「明日はそういうことは何も気にしなくてよい。言ったであろう、隣で笑っていればよいと」


 確かにそう言われたのだけれど、だからといって顔をあわせる場面で挨拶をしなくてよいものなのか、重華はただただ不安だった。


「出席者の中でそなたより位が高い、となると英妃くらいだろう。だが、寵妃はそなただけだ、明日は何も気にすることはない」

「そ、そういう、ものですか……」

「ああ、そういうものだ。朕が隣にいるのだから、何も心配するな」

「わかりました」


 腑に落ちてはいないけれど、少し不安はあるけれど、重華はそれでもとりあえず頷いておいた。

 これ以上何を聞いて、どう動けば、その不安がなくなるのかさえ、検討もつかなったから。


「そういえば、そなたの誕生日はいつだ?朕が祝ってやろう」


 その言葉に、重華は自身の心臓がどくんと大きく音をたてたような気がした。


「必要、ありません」

「なぜだ?希望があれば……」

「その日は、お祝いは不要なんです」


 そこに見えたのは、他の物を贈った時に見せた遠慮とは違う、明らかな拒絶だった。

 晧月は、はじめて重華の全力の拒絶を見た気がして、その先に踏み込めなかった。


「わかった。では、明日よろしく頼む」


 晧月はそれだけ言うと、逃げるように足早にその場を立ち去った。


(あ……不快にさせてしまったかも……)


 立ち去る晧月の後ろ姿を見て、重華は不安になった。

 せっかく祝うと言ってくれたのに、と申し訳ない気持ちも湧き上がってくる。

 けれど、幼い頃の記憶が、どうしても重華に誕生日に祝われるということを受け入れさせてはくれなかった。


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