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25. ご褒美


「今日はこれだ」


 晧月のそんな一言とともに、重華の手には一冊の書物が置かれる。

 怪我による痛みが落ち着くまで、しばらくは寝台でおとなしく過ごすように言われた重華に、こうして晧月が書物を持ってくるのが最近の日課となりつつあった。


「昨日のは、ちゃんと読めたか?」

「ここが、わからなくて……」

「ああ、これはだな……」


 重華に手渡されるのはどれも、文字を覚え始めたばかりの重華でも読みやすいよう、晧月自ら選んだものばかりである。

 とはいっても、まだまだ、全てを読んで理解するのは重華には難しかった。

 そのため、前日に渡した書物の中で、わからなかった部分を聞くのもまた、晧月の日課となりつつあった。




「怪我の具合が、随分よくなったと聞いたが」

「はい、おかげさまで、もう痛みもほとんどないです」


 数日の間、ずっと寝台で過ごしていた重華は、今日になってようやく寝台から出られるようになった。

 晧月と机を挟んで向かい合って座るのが、重華には随分久しぶりのことのように思えた。


「なら、望みを聞こうか」

「あっ」


 回復したら聞いてくれると、晧月は確かに言った。

 それを覚えていてくれたのだと思うと、重華はそれだけで望みが叶ったように思えるほど嬉しかった。


「あの、その……っ」


 少し顔を赤らめ、恥ずかしそうに重華は俯く。

 それを口にすることは、重華にとってはなかなかに勇気のいることであった。

 晧月は決して重華を急かすようなことはせず、ただじっとその言葉を待ち続ける。


「また、一緒に、お散歩……して、ほしい、です……」


 重華の声は徐々に小さくなり、最後は目の前にいる晧月がなんとか音を拾えたくらいであった。

 だが、晧月は声の大きさよりも、その内容に呆然としていた。


「や、やっぱり、駄目でしょうか……?」

「いや、駄目ではないが……そんなことでいいのか?」


 問えば重華はまた恥ずかしそうに俯いて、こくんと小さく頷いた。


(散歩くらいなら、褒美として望まなくとも、普通に言えばいいものを)


 せっかくなのだから、もっと大きなことを望めばいい、と晧月は思う。

 だが、こういう機会でもなければ、このくらいの望みを言うことすらできないのもまた、重華らしいとも思った。


「かわいいな」

「え……?」

「あ、いや、なんでもない」


 無意識に出た一言が、重華に届いたか届いてないか晧月にわからなかった。

 だが、音にするつもりがなかった一言が飛び出してしまったのはあまりにも決まりが悪く、晧月はごまかすように口元を抑え、視線そ逸らした。


「散歩なら、しばらく寝てばかりだったし、身体を動かすのにちょうどいいだろう。今からどうだ?」

「は、はいっ」


 晧月が立ち上がり、重華を立ち上がらせようと両手を差し出す。

 重華はその手に自身の手を重ねようとして、躊躇うように不自然に動きを止めた。


(必ず、ここで一度止まるんだな)


 晧月が手を差し出した時、重華の手は晧月に触れる直前で必ず一度戸惑うように動きを止める。

 最初はそこから手が晧月に触れる気配さえしなかったが、徐々に根気強く待てば恐る恐る触れてくるようになったことも晧月は知っている。

 しかし、今日は待てないとでもいうように、重華の両手を掬いあげ重華を立ち上がらせた。


「そのままでは、少し寒いかもしれんな」

「あ……」

「では、こちらを」


 まるで、まるであらかじめ予想して待ち構えていたかのように、雪梅が外套を手に現れ、ふわりとそれを重華にかけた。


「あ、ありがとうございます」

「さすが、用意がいいな」


 二人のそんな言葉に、雪梅はただ笑みを返すだけだった。

 晧月は掛けられた重華の外套の前をしっかりとあわせて止めてやり、重華の手を引いて庭へと向かった。




 前回同様に晧月に手を引かれるようにして、重華はゆっくりと庭園を歩く。


「久々に身体を動かすのだから、無理はするな。少しでも辛くなったら、すぐに言え」


 晧月は念を押すようにそう言った。

 重華は頷いたものの、できれば少しでも長く今の時間が続いて欲しいと思っていた。


「ああ、着物も新しく用意しないといけないんだったな」


 ふと、思い出したように晧月が言う。


「一着、駄目になったのだろう?」

「だ、大丈夫です。今いただいているので、十分……」

「せっかくだ、何か着てみたい着物はないのか?色でも柄でも、希望があれば言ってみろ」

「いえ、そんな……」


 重華はとんでもない、と首を振るだけだった。

 正直なところ、どんな着物を着てみたいかまで考えたことなどない。

 今持っている着物に袖を通すのだって、まだまだ恐れ多いと感じているのだから。


(散歩したいと希望を述べたから、着物についても希望を聞けるかと思ったのだが……)


 今の重華であれば、と晧月はわずかな希望を持ったけれど、なかなか上手くはいかないようである。


「好きな色はないのか?」

「わ、わかりません……」

「なら、淡い色と、濃い色どちらが好きだ?」

「わかり、ません……」

「ふむ、なら、何か好きな柄とか……」

「あ、あの、本当に今あるもので、大丈夫なので」


 なんとか重華の好みを聞き出そうとする晧月だったが、重華は聞かれれば聞かれるほどわからなくなり戸惑うばかりだった。


「いつまでも、余りもの、というわけにもいかないだろう」

「駄目、ですか……?」

「朕の『寵妃』が皇宮の余りものの着物を身に纏っているなんて、おかしいだろう?」

「あ、えっと……」


 晧月は少しずるいやり方だと自覚しながらも、これは寵妃であると思わせるのに必要なのだという態度を取ることにした。

 案の定、重華の態度は少し変わり、断ろうとする様子はなくなった。


「で、では、その……陛下が選んでくださいませんか?」

「それはかまわないが。もし、朕が袖も通したくないような奇想天外な着物を選んだらどうするんだ?」

「陛下が選んでくださったものなら、ちゃんと使います」


 少し揶揄うような口調の晧月に、重華は大真面目にそう答えた。


(まぁ、そうだろうな)


 晧月にとって、期待通りではないけれど、ある意味予想通りだった。

 重華なら、おそらくどんな変な着物であっても、晧月が贈れば使うのだろう。

 しかし、晧月はそれを望んでいるわけではない。


「そうだな。淡い色が似合うと思っていたが、濃い色も似合うかもしれんな。いくつか見繕ってみるか」


 そうして様々な着物を着るうちに、もしかしたら重華の好みもわかるようになるかもしれない。

 晧月はそんな淡い期待を持って、そう呟いた。


「あ、あの、一着では……」

「どうせ選ぶなら、一着も数着も変わらんだろう」


 選ぶ方は変わらなかったとしても、貰う方は大きく変わる、と重華は思った。

 けれど、選んで欲しいと言ったのは自分なので、それ以上何か言ってはいけない気がして、重華は口を噤んだ。




「今日は、このくらいにしよう」


 さらに少し歩いて、重華が少し疲れを感じはじめた頃、まるでその疲れを見抜いたかのように晧月がそう言った。

 しかしながら、前回に比べるとずっと短い。


(せっかく、ご褒美に叶えてもらえたのに……)


 そう思うと、重華はまだまだこの時間を終わらせたくはなかった。

 できることなら、もっと一緒に散歩したい、そんな気持ちから重華はなかなか晧月の言葉を受け入れられない。

 なかなか頷く様子のない重華を見て、晧月は苦笑する。


「そんな顔するな。散歩くらい、またいくらでも付き合ってやるから」

「本当、ですか……?」

「ああ」

「嬉しいです」


 重華がはにかんだような、それでいて嬉しそうな笑顔を見せる。

 その笑顔がまた晧月にかわいいと思わせていることを、重華はもちろん知らない。


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