「先帝陛下の御子は、皇子様しかいらっしゃらないのですね」
晧月によって長々と説明された、先帝と先帝の妃嬪たちの話。
そして、晧月の廃位を目論む第三皇子を支持する勢力の話。
全てを聞いた重華が、最初に発したのはそんな一言で、そのあまりにも晧月の予想とはかけ離れた一言に、晧月は吹き出し声をあげて笑いはじめた。
「今の話を聞いて言うことがそれか。他に気になることはないのか?」
晧月は必死に笑いに耐えながら、重華に問う。
すると、重華は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯き、申し訳ありませんと小さく小さく呟いた。
その様子が晧月には、非常にかわいらしく映っていることを重華はもちろん、晧月自身にも自覚はない。
「そうだな、残念ながら公主は生まれなかった。朕はずっと妹が欲しかったゆえ、性別がわからず流れてしまった母上の三人目の御子を勝手に妹だと思っているがな」
1人くらいは女児が生まれていれば、晧月にとっては殺伐としかしていないように思えた皇宮も、もう少し和やかな場所になったのではないか、晧月はそんなことをよく考えていた。
また、公主であれば自身と帝位を争うことにもならない。
そういう意味で、先帝の妃嬪たちが子を身籠るたび、妹が生まれてくることを願い続けたが、残念ながら晧月の願いは叶わなかったのだ。
「で、他に気になることは?」
「え?ええと……」
重華は困ったように視線を彷徨わせる。
気になることがないわけではないものの、どこまで聞くことが許されているのか判断ができない。
しかしながら、無言で真っ直ぐと晧月に見つめられ続け、重華は意を決して聞いてみることにした。
「先ほどお会いした役人の方々は、陛下を廃位しようとしているのですよね?どうして、そのような方達を近くに置いているのですか?危険ではないのですか?」
いつでも皇帝と会えるような、皇帝とともに国の政治を担うような、そんな立場にいていい人間だとは、重華はとても思えなかった。
そして、皇帝であるなら、誰を役人にするか好きに選べるだろうと思っている。
それならば、自分の味方である人間だけを傍に置くのが安全なのではないかと、そう思ったのだ。
「今度はそっちか」
「聞いては駄目な、お話、でしたでしょうか……?」
「いや、そういうわけではない」
ただ、晧月が待っている言葉ではなかっただけ。
しかしながら、その疑問を持つ気持ちも、晧月にはよくわかった。
「彼らは先帝の頃からこの国の政治に携わり貢献してきた者たちだ。たとえ朕を廃そうと考えていたとしても、それを口にしたわけでもなければ、今のところ朕に何かしたわけでもない」
「で、でも、これから……っ」
「ああ、何かされるかもしれない。だが、されないかもしれないだろう。何も起きていない状態であの者たちから官職を奪えば、朕が悪者にされて終わる。それこそ向こうの思う壺だ」
確かにそうかもしれない、と重華は思った。
勉強らしい勉強をしたことない重華でも知っている、罪のない人に罰を与えたりするような皇帝は暴君と呼ばれることを。
しかしながら、何かが起きないと対処できないというのは非常にもどかしい。
「確かに危険かもしれないが、失うには惜しい優秀な役人達でもあるのだ」
国のためを思うなら、簡単に切り捨ててはいけないのだと、晧月は笑った。
重華は、自身が危険に晒されるかもしれないのに、国のための選択ができる晧月が純粋にすごいと思った。
「で、他には?」
「えっ?」
重華はこれでもう終わったつもりだったけれど、晧月はさらに求めてくる。
まだ気になることがあると思われているだけなのか、それともさっきの話を聞いて聞かなければならない正解の問いかけがあるのか、もはや重華にはわからない。
「だ、第三皇子殿下は……」
そこまで言っただけで晧月から深いため息が聞こえてきた。
何かを間違えたような気がして、重華は口を噤む。
「途中で止めるな。聞いてやるから、最後まで言え」
これも、晧月が待っている言葉ではなかっただけ。
気になることがあるなら、ちゃんと聞いてやるし答えてやるつもりではいるのだ。
「は、はいっ!第三皇子殿下は、陛下のご兄弟なんですよね?」
「ああ。母親は違うが、弟であることに間違いはない」
「でしたら、殿下のご家族が陛下の廃位をお考えでも、殿下とはご協力して争わないようにできるのではないのでしょうか?」
兄弟であるのならば、仲良くできるのではないか。
重華がそう考えていることは、晧月にもすぐに伝わった。
「そなたは、蔡 鈴麗と仲が良いのか?」
「そ、れは……」
仲が良いわけがない。
向こうはそもそも重華を姉妹だなんて思ってもいないのだから。
「その様子なら、そうでもなさそうだ」
黙り込んだ重華を見て、晧月はそう判断した。間違っているわけではないため、重華は否定することができず俯くしかなかった。
「朕と第三皇子も同じだ。確かに仲の良い弟もいるが、兄弟といえど必ず仲がよいものではない。帝位を争う者同士であれば、なおさらだろう」
「どうして……」
そもそも、どうして兄弟でそんなものを争わなければならないのだろう。
重華の中で燻っていた、一番の疑問だった。
しかしながら、重華は2人のことには触れないつもりでいた。
皇族同士の問題なんて、重華が簡単に触れていいようなことではないと思っていたから。
けれど、一度口にしてしまうと止まらなくなり、つい零れ出てしまった疑問の言葉。
聞けば困らせてしまうだろうと慌てて止めたけれど、その先に続く言葉を晧月はしっかりと悟っていた。
「どうして、か……。第一皇子として生まれた朕は、幼い頃から先帝や当時の皇后、今の皇太后陛下から当然のように『次の皇帝になるのはお前だ』と言われ続けてきた。だが、第三皇子も同じだったのだろう」
「同じ?」
「第三皇子は、自身の生母におそらくこう言われたのだろう、『第一皇子より身分の高い母から生まれたそなたこそ、皇帝に相応しい』とな」
どちらも幼い頃から自分が帝位を継ぐのだと親に言われ、厳しく育てられたとしたら、それは兄弟だからといって簡単に譲れないのかもしれない。
残念ながら重華にはそんな風に言われてきた経験はないので、共感をすることはできないけれど。
(それでも、帝位はもう陛下のものになったのに。まだ兄弟で争いが終わらないのは、なんだか悲しい……)
悲しそうに目を伏せる重華の様子に、晧月は苦笑する。
「なぜ、そなたがそんな顔する?」
「え?」
「朕と第三皇子のことで悲しむより他に、朕に何か言うことはないのか?」
晧月が待っている一言は、いつまでも出て来ない。
重華はただ、首を傾げるだけだった。
「今なら、どれだけ怒っても、文句を言っても許してやる」
「文句、ですか……?」
重華には怒る理由もなければ、言いたい文句も何もない。
互いに黙り込み、しばし沈黙が流れた後、晧月からまた深いため息の音が聞こえた。
「先ほどの朕の話を聞けば、怒ったり不快になったりするかと思ったのだが……朕に優遇され後宮で権力を得られるならそれでよい、という類の人間でもあるまい」
皇太后はどちらかといえばそんな人間だった。
先帝の寵愛を強くは望まず、ただ皇后の地位を守れればそれでよいと考える人だった。
一時は子がいないことに不安を覚えていたこともあったが、3人の皇子を養子に迎えたことで地位が安定して以降、皇帝の気を惹くという努力は一切せず、先帝の崩御後は皇太后の地位を得られるようにと次代の皇帝の育成に全てを注いだ人間である。
しかし、重華はそういった権力を欲している人間には到底見えない。
これがもし、そういった野心を隠す演技だというなら、晧月は一生重華に勝てない気がするが、そうではないという確信が晧月にはある。
「ええと……」
重華はただ、戸惑いの表情を浮かべることしかできなかった。
晧月の言う通り、重華は権力を得たいと考えているわけではない。
むしろ、今の高すぎる地位を申し訳なく思うくらいだ。
「つまり、陛下が私を寵愛していると思われるようにすることで、陛下を支持する方を増やすことになる、ということですか?」
政治の世界に明るくない重華が理解できたのは、それくらいだった。
それがどうして怒ったり不快になることに繋がるのか、重華は全く理解ができなかった。
「ああ」
「それは、いいことだと思うので、別に怒る理由は……」
「わからないのか?それとも、わからないふりをしているのか?」
重華の言葉に納得がいかない晧月は、重華に詰め寄った。
だが、晧月が何を問うているのか、それが今重華が最もわからないことであった。
「確かにいいことかもしれないが、そのために、そなたは何も知らされず朕に利用されたのだぞ」
晧月は少し強めの口調で、はっきりと重華にそう告げた。
なぜ自分がわざわざ、ここまで明かしてやらねばならないのか、そんな思いを抱えながら。
しかし、それでも重華の様子は変わることはなく、そこには怒りも不快感も現れてはいない。
「それも、悪いことではないと思うので……」
そこにいるのは、変わらず戸惑いの表情を浮かべ続ける重華だけだった。
それは晧月にとっては、今後も利用しやすいし喜ばしいことのはずである。
しかしなぜか晧月はもやもやとした思いを抱え、釈然としない。
「そんなことを言っていると、ますます朕に利用されるぞ」
「かまいません。私でも、お役に立てるのでしたら」
貰ってばかりで、何も返せていないことが重華の気がかりだった。
少しでも、丞相の娘として後宮にいることで役に立つことがあるなら、重華にはむしろ嬉しいことだった。
そして同時に、それは晧月にとっても喜ばしいことであるはずなのだが、なぜか晧月は手放しで喜ぶことができなかった。
(ああ、違うな……)
晧月はそこでようやく気づいた。
自分が待っていた言葉は、重華が言うべき言葉であると思っていた。
けれど、本当はただ、晧月が自身の罪悪感を軽くするために待ち望んでいただけにすぎないと。
利用されたことへの怒りだろうが、不快感を顕わにした文句だろうが、晧月は今回は全ておとなしく受け止めてやろうと思っていた。
皇帝である自身が、それを受け流すことで重華の気を少しくらいは晴らしてやろうと。
しかし、重華は全くそんなことを望んで居おらず、それを望んでいたのは晧月だけだったのだ。
(この娘は、決してそんなことはしない)
それがわかるからこそ、晧月の罪悪感はより一層募るような気がした。
「え……?」
晧月に突然手を握られ、重華は驚いた。
射貫かれそうなほどの真っ直ぐで強い晧月の視線が重華へと向けられ、重華は後ずさりたいような気持ちにもなった。
しかしながら、触れている手が、それを許してはくれないような気もしていた。
「次からは、事前にそなたに話そう」
利用しない、とは晧月には言えなかった。
皇帝として必要であれば、躊躇ってはいけないから。
だから、これが晧月にできる精一杯だった。