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15. お茶


(もっと煌びやかな場所を想像していたけれど……)


 あちこち金箔による装飾があったり、金で作られた置物が飾られていたり、とにかく光りものに溢れるような場所を想像していた。

 しかしながら、案内された部屋にはそんなものは一切なく、どちらかと言えば暗い印象である。

 物が溢れるようにたくさんあるような部屋ではないが、書物だけはたくさん積み上げられていた。

 きっと、皇帝になるべくたくさん勉強したのだろう、重華だけではなく誰もがそう感じるような部屋だった。


「とりあえず、そこに座れ。今、茶をいれてやる」

「え?陛下がいれるのですか!?」


 近くにあった椅子に重華を座らせ、自身は茶器へと手を伸ばす晧月を見て重華は目を丸くした。


(陛下にそんなことさせるわけには……でも、私はお茶なんて……)


 掃除は幼い頃からやらされていた重華だったが、家主たちの口に入るものに汚らわしい身なりのものが触れるな、という命の元料理に関連するような仕事は一切関わることが許されていなかった。

 そのため、まともなお茶の入れ方すら、重華はよく知らない。


「皇帝だって、茶くらい自分で淹れることもある」


 晧月はなんてことのないように、茶葉を手にし、お茶を入れていく。


「あ、あの、侍女の方は……もしかして、私が春燕さんと雪梅さんを奪ってしまったから……」


 そこまで言うと、晧月の笑い声が響き渡った。

 何がそんなに面白かったのか重華にはわからないが、笑いすぎたのか晧月の目には涙まで溜まっている。


「安心しろ。皇帝の侍女がいないなんてことはない。煩わしいから近くに置いていないだけで、呼べばすぐに来る」

「そ、そうなんですか」


 とりあえず、自分の所為で晧月に侍女がいないわけではないらしい。

 しかし、それならなぜ侍女にやらせないのだろう、と考えているうちに重華の前にことりとお茶の入った湯呑みが置かれる。


「慣れない事が続いて疲れているだろう。とりあえず、茶でも飲んで落ち着け」


 そう言うと、晧月は重華と向かい合うように座り、優雅にお茶を飲み始めた。

 皇帝自らいれたお茶を飲むということに、重華は恐れ多さを感じながらも、ただ何もせず座っているのも手持ち無沙汰でおそるおそるお茶に口をつける。


「おい、しい……っ」


 それは晧月に気を使ったお世辞では決してなく、思わず自然と零れた言葉だった。

 重華は後宮に入り、おそらくかなり質のいいお茶をたくさん淹れてもらったと思うけれど、お茶を飲んでこんな風に美味しいと感じることはなかった、そう思うほどにそのお茶をおいしいと感じた。


「気に入ったのなら、茶葉を分けてやろう」

「い、いえ、そんなつもりで言ったわけでは……」


 強請ったみたいになってしまったようで、重華は慌てた。

 しかし、晧月はただ、ふっと笑みを零すだけだった。


「いいんだ。この茶を旨いと言われたのが、嬉しかっただけだから」

「え?」

「この茶葉は決して高価なものではない。皇帝ならもっと高級な茶を飲めるだろうと言われることもある。だが、朕はこれが気に入っている」


 高級な茶葉を使ったお茶も、もちろんおいしいと思う。

 しかしながら、高級であるがゆえに特徴となるような何かしらの癖を感じるのが晧月の苦手とする部分であった。

 その点、今出している茶葉にはそういったものがなく、すっきりと飲みやすいと晧月は感じている。

 だが、皇子の頃からこれを好んで飲む晧月の嗜好は、なかなか理解されることがなかった。

 それが今、晧月の目の前で重華は何の迷いもなくおいしいと言った。その言葉に嘘がないと確信できるからこそ、晧月はそれが嬉しかった。


「持ち帰って、雪梅にいれてもらうといい。雪梅は茶を淹れるのが上手いゆえ、朕が入れたものよりもっと美味しく淹れてくれるはずだ」


 これでも十分すぎるほどおいしいけれど、と重華は思う。


(雪梅さんがお茶を淹れるのが上手だなんて、知らなかった)


 出されたお茶はいつも、そういったことを気にせず飲んでいた。

 春燕や雪梅と毎日過ごしている割に、重華はまだ2人について何も知らなかったと気づかされる。


「ちなみに、春燕は点心を作るのが上手いんだ」


 そう言われて思い返すと、必ずしもそういうわけではないものの、春燕が点心、雪梅がお茶を用意してくれることが多いような気がした。


(私は、知ろうとしてなかったかもしれない……)


 今度、2人についていろいろ聞いてみるのもいいかもしれない、そんなことを考えながら重華はまたお茶を啜った。




「慣れないことをさせて、すまなかったな」


 お茶を飲んで一息つき、重華の心も落ち着いてきた頃、晧月は重華に声をかけた。


「いえ、そんな……陛下はただ、以前私が言った、天藍殿を見てみたいという願いを叶えてくださっただけですし」


 そうしたら、たまたまたくさん声をかけられてしまっただけ。

 それでも天藍殿は見られたのだし、天藍殿の周囲は静かな琥珀宮とは違い、人がたくさんいるのだというのが知れたのもよかったのかもしれない、と重華は思っている。

 だから、驚いたし、緊張もしたし、疲労感も確かにあるけれど晧月には感謝しており、謝られる理由などなかった。


「ですから、むしろお礼を言わないと」


 そう言えば、晧月はなぜか少しだけ狼狽えた。


「その瞳には弱いな」

「え?」

「何の疑いもなく、そうも真っ直ぐ見つめられては、どうも罪悪感が募る」

「はい?」


 晧月は確かに天藍殿を案内する、と重華に約束したことを覚えている。

 けれど、今日はその約束を果たすのが目的では、決してなかった。

 重華がおそらく良いように勘違いしてくれるだろうというのも考慮に入れた上で、別の目的のため、その約束を利用しただけにすぎない。

 晧月は皇帝として必要であると判断すれば、嘘をつくことや人を騙すことも厭わない。

 目的を達成することが最優先であると割り切る術を身につけている自信もあった。

 にもかかわらず、自身の思い通りに進んだというのに、どこかすっきりしない自身の心に晧月は戸惑いを覚えた。


「あれは、そなたのためではない」


 額に手をあて、深くため息をついた後、晧月はそう言った。


(明かすつもりなどなかったのに)


 約束を果たそうとしたけれど、運悪く何度も声をかけられる結果になって悪かったと、それでも少しでも満足してくれていたらいいと、そう言えば全てが終わるはずだった。

 けれど、今の晧月はそうして終わらせることができなかった。


「そなたが朕の唯一の寵妃だという噂が広まっている。宮中ではもう、知らぬものはおらぬであろう」

「え……?ええっ!?」


 重華は言われたことの意味を飲み込めず、しばしぽかんとした表情を浮かべた。

 そして、何度も言われたことを心の中で繰り返し、ようやく理解すると同時に悲鳴にも似た驚きの声をあげた。

 その様子を見ている晧月がくすりと笑ったが、重華がそれに気づくことはなかった。


「妃嬪たちは常に朕の動向を注視しているゆえ、そこから徐々に広まったようだが……まぁそなたは知らぬであろうな」


 重華が入宮してから関わった人間は、皇帝である晧月、侍女の春燕と雪梅、そして医師の柳太医のみ。

 それもまた、晧月がそうなるように仕向けているのだが、もちろん重華の知るところではない。


(そういえば、輿入れの日、そんなことを聞いたかも……)


 晧月が寵妃として騒がれることになるだろう、と言っていたことを重華はぼんやりと思い起こす。

 だが、思い起こしたとしても、噂が立っていると聞いても、だからといって重華自身がどうするべきかさっぱりわからなかった。


「先ほど声をかけてきたのは皆、何かしらこの国の官職に就くものたちで、噂の真偽を確かめに来たものたちだ」

「真偽ですか……?」


 晧月の言葉を聞いて、先ほど話した時の様子を重華は思い返してみる。

 皆一様に晧月に笑顔を向けていて、仲が良さそうに話していたのが重華の記憶には一番残っている。

 それから、微笑ましそうに晧月と重華を眺めていた、そこまで思い起こして重華ははっとする。


「あ、あの、勘違いされてしまった可能性が……」


 重華は決して寵妃などではない。

 晧月はただ、何も持ってこなかった重華に生活に必要なものを与えてくれたり、妃であるにもかかわらず文字を知らない重華を不憫に思い文字を教えてくれたりしているだけだ。

 少なくとも重華はそう思っている。


「勘違いとは?」

「そ、その、私なんかが寵妃だと、思われてしまいます……」


 重華はそれはそれは申し訳なさそうに顔を伏せるが、晧月はむしろ楽しそうに笑っている。


「なら成功だ。朕はあの者たちに、そう思わせたかったのだから」

「え?」

「いくら言葉で説明したところで、そなたは丞相の娘だ。だから、他の娘より多少優遇しているか、そのように見せているだけだと思われかねない。だから、あえてそなたといるところを、あの者たちに見せてまわり、誰もが噂を信じるように仕向けたのだ」


 晧月が楽しそうであるのは、重華の反応から目論見が成功したと判断したからなのだろう。

 しかし、重華としては、腑に落ちないことだらけだった。


「父の娘だと、そんなに優遇されるのですか?父が、丞相だから、ですか?」


 政治に疎い重華も、父の丞相という官職がこの国で最も高位な官職であることは知っている。

 そして、だからといって皇帝より上に立てるわけでは決してない、ということももちろん知っている。

 どんなに高位な官職であろうとも、どんなに高位な身分であろうとも、この国で最も高貴な存在である皇帝の上に立つことなどありえないのだから。


「丞相だから、というのもあるが、丞相が朕の後ろ盾でもあるからだ」

「後ろ、盾……?」

「ああ、丞相は政治上で朕を支える数少ない味方だ」


 そう言うと、晧月は優雅にお茶を飲む。

 重華は理解できたような、理解しきれていないような、釈然としない気持ちでそんな晧月を眺めていた。


「つまり……父と仲良し、ということでしょうか?」

「ぶっ」


 晧月は、飲んでいたお茶を危うく盛大に吹き出しそうになったのをなんとか耐えたものの、むせて咳き込んでしまう。


「だ、大丈夫ですか?」


 重華は慌てて立ち上がり、触れて怒られないか不安になりつつも、おそるおそる晧月の背中を撫でてみた。


(誰のせいだと……)


 晧月は重華を睨みつけたい気持ちになったけれど、悪意はないのだからと自身に言い聞かせなんとか耐える。

 一方の重華は、怒られなかったことに安堵し、それだけ苦しかったのかもしれない、とさらに晧月の背中を撫でた。


「気持ち悪いことを言うな」


 ようやく咳がおさまった晧月は、唸るようにそう言った。


「確かに、朕と丞相は互いに協力関係だが、仲良しだとかそういった表現をするような関係ではない」


 互いに利害が一致しているが故に、お互いを上手く利用しながらなんとか協力関係を保っているにすぎない。

 今のところ裏切られる心配はないけれど、今後何かが変われば崩れ去るかもしれないような、危うい関係でもある。

 何より、丞相の顔を思い浮かべてみたところで、思い浮かぶのは気持ちの悪い腹黒い笑みばかり。

 そんな人間と仲良しだなんて言われたくなどなかった。


「そう、なんですか……」

「朕はもう平気だ。座れ」


 なぜか落ち込んでしまった様子の重華に首を傾げながらも、晧月は立ち上がっていた重華を元の場所に座らせる。


「では、先ほどの方たちの方が仲がよろしいのですね」

「先ほどの……?さっきの役人たちのことか?」

「はい」

「そなたには、あの者たちと朕が、仲良さそうに見えたのか?」

「はい、だって皆さん笑顔でお話をしていらっしゃいましたから」


 晧月はあまりに素直すぎると呆れ、深くため息をついた。

 だが、一方でとても重華らしいとも思う。


(後宮で生き抜くのは、苦労しそうな性格だな)


 ここまで自身が教えてやる必要はないし、話す必要もないはずだ。

 晧月はそう思いながらも口を開く。


「あの場に心から笑っていたものなど1人も居ない。先ほどのものは全て、朕にとっての政敵ばかりだからな」

「敵……?」


 重華にはとても信じられない言葉だった。

 敵、というにはあまりにも友好的で穏やかな雰囲気に思えたから。


「ああ。あの者たちは朕を廃し、朕の弟を皇帝にしようと企むものたちだからな」

「ええっ!?」


 重華は今日一番、いやもしかすると後宮に入ってから今まで一番の驚きの声が出た気がした。

 しかし衝撃の一言を放った晧月は、なんてことないことのように笑っている。


(わ、笑っている場合じゃないんじゃ……)


 なんでそんな人たちが、この国で官職に就いているのか。

 そして、どうしてあんなに簡単に皇帝である晧月に近づくことができるのか。

 重華の疑問は増えていく一方だった。



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