第3皇子というのは、気楽なものである。
この国の第3皇子、カミユ・ラインフェルトとして生を受けた僕は、いつもそう思っている。
第1皇子であるセドリック兄上は生まれた時より次期皇帝として期待され、厳しい教育を受けて育ってきた。
また、幼い頃から決められた婚約者もいて、その婚約者もまた未来の皇太子妃、皇后として厳しい教育を受けているようだ。
行動一つ一つにも制約が多く、同じ皇子の僕から見ても息が詰まりそうな毎日だと思う。
第2皇子であるフィリップ兄上は、セドリック兄上に何かあった場合、その代わりが務められることを求められる。
そのため、セドリック兄上ほどではないにしろ、やはり厳しい教育を受けて育ってきた。
婚約者はいないけれど、候補となる令嬢は何名かおり、婚約者はその中から選ぶことを期待されている。
しかし、第3皇子の僕に求められることは、決して多くない。
皇子として最低限の知識さえ身につけていれば、あとは自由だった。
僕には、婚約者はもちろん、婚約者候補すらもいない。
継母であるのに僕にだけ甘いと言われる母上は、いつか好きな人を見つけなさい、というだけだった。
世の貴族令息や貴族令嬢だって、家庭の様々な事情により早くから婚約者、もしくは候補となる者がいることはよくある話だ。
僕は皇族であるにも関わらず、そういった令息や令嬢たちよりも、ずっと自由で気楽だった。
シェリル・アトリー伯爵令嬢も、そうした家庭の事情で早くから婚約者がいる1人だった。
いつから婚約者がいるのかはさすがに知らないし、最初は特に興味もなかった。
ただ、わかっているのは、王立の学園に入学する前には、フランツ・エルドレッド侯爵令息と婚約していた、ということだった。
婚約者のいる貴族というのは、多かれ少なかれ、自身の意思に反していることが多い。
恋愛をして、お互いの気持ちが通じて、その結果婚約を結ぶ、そういったことが全く無いわけではないが、非常に稀なことである。
それでも、婚約が決まったその日から、いずれ夫婦となるのだからと、親しくなれるよう努力するものである。
しかしながら、シェリル・アトリーとフランツ・エルドレッドは少し違っていた。
そのため、変に目立って、僕の目にも止まった。
最初は本当に、それだけだった。
いつも、非常に鬱陶しそうにしながら、シェリル・アトリーを遠ざけようとするフランツ・エルドレッド。
それでもめげずに、必死にフランツ・エルドレッドに尽くそうとしているシェリル・アトリー。
どれだけ尽くしても尽くしても、見向きもされない令嬢が不憫で、望まぬ婚約はお互い様なのだから、もう少し歩み寄る努力をすればいいのに、そう思いながらよく2人の様子を眺めていた。
「フランツ様、お弁当を作って来ました。お昼はご一緒に……」
「うるさいっ、俺に構うなっ!」
お弁当まで作って、それでも邪険にされてしまう令嬢。
そんな2人のやり取りが、学園でも有名になるのは、そう時間がかからなかった。
婚約者に尽くしても相手にされない、かわいそうな令嬢。
僕も例に漏れず、彼女にそんな印象を抱いた。
しかし、僕の視線は、いつしか当たり前のように彼女を追いかけるようになった。
どれほど邪険にされようとも、一途に真っ直ぐとただ婚約者へと向けられる純粋な思い。
全てを犠牲にしてでも、ただ婚約者のために努力を重ねる姿。
その全てが、あんな婚約者ではなく、自分に向けられたのなら……
いつしか、そう考えてしまうようになっていた。
学園に入学して、一年が経った時、僕は忘れられない瞬間を目撃する。
フランツ・エルドレッドの隣には、おそらく新入生と思われる少女がいた。
後から知った話だが、それはシェリル・アトリーの妹だった。
シェリル・アトリーには決して見せない表情で、妹と笑い合うフランツ・エルドレッド。
そして、それを少し遠くから、悲しそうに見つめるシェリル・アトリー。
彼女の表情を見ているだけで、僕は胸が締め付けられそうだった。
フランツ・エルドレッドとシェリル・アトリーの妹の話も学園で有名になるのは、やはり時間がかからなかった。
そして、僕らが卒業を迎える年、フランツ・エルドレッドとシェリル・アトリーの婚約解消の知らせが、学園に広まった。
妹のことを知らない人などほとんどいない学園では、誰もがやっぱりという感想を抱いた。
けれど、僕はただ、シェリル・アトリーが心配だった。
あれだけ必死に婚約者に尽くした彼女は今、どうしているのだろう。
気になって気になって、必死に探した僕が見つけたのは、冷たくなってしまった彼女だった。
僕は、許せなかった。
フランツ・エルドレッドは、シェリル・アトリーの妹と幸せそうに笑いあい、ひたすらに努力を重ねたシェリル・アトリーは幸せになれずに一生を終えたなんて。
だから、僕は、僕にだけ許された力を使った。
今度こそ、シェリル・アトリーが幸せを掴めると信じて。
2回目、3回目は、あんな終わりをしたというのに、彼女は決して婚約者を諦めなかった。
さらに努力を重ね、それでも幸せを掴めず終わって行く彼女の生を見て、僕は自分のしていることが正しいことなのか自信がなくなった。
それでも、彼女の幸せを、僕は諦められなかった。
4回目にして、彼女ははじめて婚約者を諦めた。
今度こそ彼女は幸せになれる、そう確信したのに、彼女の生はやはり幸せを掴むことなく終わった。
だから僕は決意した。
5回目は、僕が彼女を幸せにするのだと。
5回目、僕ははじめて彼女に声をかけた。
彼女が僕に視線を向け、はっきりと僕を認識しただけで、僕は歓喜に震えた。
そこからの毎日、僕は幸せだった。
シェリルと生まれてはじめて言葉を交わして。
シェリルのおすすめの小説を教えてもらって。
シェリルと名を呼ぶことを許してもらって。
シェリルに自分の名前を呼んでもらって。
シェリルにおすすめの小説を紹介して。
シェリルのお気に入りに本を貸してもらって。
シェリルから手作りのお菓子をもらって。
シェリルの手作りのお弁当を食べて。
とにかく、毎日が幸せでしかなかった。
けれど、それは僕だけだった。
肝心の、僕が幸せにしたかったはずのシェリルは、幸せではなかった。
5回目もまた、フランツ・エルドレッドに苦しめられ、危うく幸せを掴めないまま生を終わらせてしまうところだった。
すんでのところで、なんとかそれだけは回避した僕は、失いかけたシェリルを見て恐怖に震えた。
今回もまたシェリルはフランツ・エルドレッドと自身の妹に苦しめられていたのだ。
自分の幸せに浮かれすぎていた僕は、危うくそれを見逃して、またシェリルを失うところだった。
濡れて冷たくなった身体が、いつか見つけた冷たくなったシェリルと重なるようだった。
僕は、あたためるようにその身体を抱きしめ、今度こそ幸せにしてみせると改めて決意した。
母上にシェリル引き合わせてからは、話はとんとん拍子に進んだ。
僕が恋をしたことを母上は喜んでくれたし、シェリルもいつしか僕に恋をしてくれていた。
シェリルとフランツ・エルドレッドとの婚約はなくなり、シェリルは僕の婚約者になった。
「シェリル、君を世界一幸せなお嫁さんにするって約束する。だから、僕と、結婚してください」
卒業から1年、婚約者が妻へと変わる日を迎え、僕はシェリルに跪いた。
もう二度と時間は巻き戻さない、シェリルは今回、必ず僕が幸せにするのだという決意とともに。
「はいっ!」
ところが、頷いてくれたシェリルは、誰よりも美しい僕だけのお嫁さんで。
ああ、やっぱり幸せなのは僕なのだと、思い知らされるようだった。