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第7話 熱

 ◆


 森の入り口で、ハイネとセイシロウは立ち止まった。


 前日のうちに野営を済ませ最低限の休息はとったものの、逃避行の疲労は二人の身体に確かに蓄積されている。


 ここから先はまばらな森を越え、その奥に控える山道を行かねばサルビナ帝国に辿り着けない。


 森の木々は一定の間隔で並び、その間に低木や苔むした倒木が点在している。


 荒野よりは隠れ場所が多いが、それは同時に敵にとっても潜伏に適した地形だ。


「殿下、追手が荒野を大規模に捜索する可能性はありますが、もしかするとこちらの森へ既に回り込んでいるかもしれません。私がサルビナ帝国に助けを求めるという手を考える事が出来たということは、グロウルにもできないことではないでしょう」


 セイシロウが淡々と告げた。


 ハイネは深く息をつき、短剣を服の下へしっかり収めた。


「分かっている。余は足手まといにならぬよう、できるだけ……そうだな、邪魔せぬようにしよう」


 王族としてのプライドが軋むが、現状ではセイシロウが頼りだ。


 過去の戦闘を振り返り、ハイネは自分の無力を痛感していた。


 下手に首を突っ込めばセイシロウの邪魔になる──だからこそ、少しでも負担を減らすため、自重しようと決意する。


 ◆


 森の中へ足を踏み入れると、湿り気を含んだ空気が肌を包む。


 陽光は葉の合間からかすかに射しているが、足元には朝の霧がうっすらと漂っていた。


 鳥の鳴き声が聞こえ、地面には苔や落ち葉が積もっていて足音を吸収してくれる。


 しかし、いつ敵が現れるか分からないこの状況では、気の休まる暇もない。


「殿下、なるべく枯れ枝を踏まぬようご注意を……」


「分かっている。心得ている」


 ハイネはセイシロウに言われなくとも、自然に足音を殺す歩き方を意識していた。


 狼、熊──森には野生動物もいる。


 下手に音を立てればそういった動物を刺激してしまうかもしれない。


 森を少し進むと、視界が若干開けた場所に出た。


 そこには半ば崩れ落ちた木柵や、朽ちた小屋のような建物が見える。


 かつて何らかの村か集落があったのかもしれないが、今は廃墟と化し人の気配はない。


「……廃墟か?」


 ハイネが呟く。


 木柵の一部が倒れ、屋根の梁がむき出しになっている小屋があるが、これは物置か倉庫の類だったのかもしれない。


「殿下、あそこに潜伏して休むのも手かもしれませんが……先を急ぐべきかと」


「うむ。まだ森に足を踏み入れたばかりで休んでいてはな。追手は間違いなく掛かっていよう。少しでも距離を離しておきたい所だ」


 セイシロウもうなずき、周囲を警戒しながらその小屋の脇をゆっくり通り抜けた。


 しかし、そのとき違和感が走る──。


 ふと背後の木の上か、あるいは茂みの中か、どこかで鳥が不自然に飛び立つ音がした。


 つい先ほどまで静かだったのに、急にがさりと茂みが揺れ、鳥がバサバサッと舞い上がる。


「気をつけろ、セイシロウ……!」


 ハイネが思わず声を潜めて告げた。


 次の瞬間──ひゅん、と空を切る音とともに、森の茂みから現れた槍がセイシロウの方へ突き込まれる。


「っ……!」


 セイシロウは咄嗟に身をひねり、鋭い音を立てて槍先を剣で受け流す。


 が、同時に背後からもう一本の槍が突き出された。


 二人組だ。


「伏兵か……!」


 ハイネは短剣を握りしめるが、セイシロウを助けようとしても足手まといになりかねない。


 それでも、何もしないわけにはいかない──そう決意した瞬間、さらに3人ほどの兵が左右の茂みから現れるのが目に入った。


 彼らは統一された装備こそないが、動きは明らかに軍隊の規律を感じさせる。


 恐らくグロウルが独自に編成した追撃隊か。


「数は五……いや、六……っ」


 ハイネが早口で数える。


 しかしセイシロウは敵の数を把握する前に、二本の槍に対処せねばならない。


 目の前の一人は剣で弾いたが、もう一人が背後を取ろうとしている。


「殿下!」


「分かっている!」


 ハイネは慌てて茂みから離れ、開けた場所へ移動する。


 正面からは3人、左右に1人ずつ、合計5人か6人──はっきりしない。


 セイシロウに相対する者以外が一斉にハイネの方へ動き出す気配を見せた。


「まずは王子を捕らえろ!」


 低い怒声が響く。


 たちまち槍や剣を構えた数名がハイネに向かって走り寄る。


 ハイネは思わず後退するが、草の根が足に引っかかり転びかける。


「……っ、余を狙うのか……!」


 当然だ。相手からすればセイシロウが強敵でも、ハイネという弱点がいれば、その身柄を確保することで戦況をひっくり返せる。


 足手まといになるまいと誓ったハイネだが、敵はその弱さを巧みに突いてくる。


「殿下ッ!」


 セイシロウが声を上げる。


 右手の剣を振るい、背後の槍を弾きながら、左手で短剣を素早く投擲──ハイネに迫る一人を牽制する。


 短剣は相手の太腿に突き刺さり、刺客は悲鳴を上げて尻餅をついた。


 しかし、もう一人がハイネの正面に迫っていた。


 斧のような武器を構えている。


 ハイネは短剣を必死に構えるが、力の差は歴然。


 それを自覚するだけに動きが萎縮する。


「くっ……セイシロウっ……!」


 助けを呼ぶ声が震える。


 セイシロウも必死に向かおうとするが、周囲の兵が阻むように囲みを狭めていた。


 ──このままでは捕まるか、あるいは斧で叩き斬られるか……?


 ハイネが短剣を振りかざそうとした瞬間、斧兵の動きが鈍った。


 いや、鈍ったのではない──セイシロウが背後から斬りかかっていたのだ。


「そうはさせん!」


 鋭い刃が斧兵の肩を裂く。


 血飛沫が舞い、そのまま兵が倒れ込む。


 絶体絶命だったハイネは安堵を覚えるが、ほんの一瞬後に、槍を持った別の兵がセイシロウの脇腹を狙って突き込んでいた。


「う……!」


 間髪入れずに剣で受け流そうとするが、そこにもう一人が短剣を構えてセイシロウの腕を狙う。


 絶妙な連携であった。


 セイシロウはどうにか槍先を逸らしつつ、背後を回ろうとする短剣兵を肘打ちで弾き飛ばすが、その乱戦の中でチクリと嫌な感触があった。


「ッ……!」


 脇腹を浅くかすめた槍先が何かの毒を塗っていたのか──瞬時に染みるような痛みと熱が走る。


 見れば、槍の刃先が紫がかった光沢を帯びている。あれは猛毒かもしれない。


「セイシロウ!」


 ハイネが叫ぶ。


 セイシロウは表情を歪めながらも槍兵を斬り伏せ、どうにか周囲の敵を倒していく。


 だが、自分でもはっきりわかる──毒がじわじわと血流に入り、腕や足が若干震えてきた。


「ぬうっ……」


 心の中で焦りを覚えるが、あと何人か敵が残っている。


 ここで倒れればハイネが危ない。


 その思いがセイシロウの四肢に力を与えたのか、残る一人をどうにか切り伏せる。


 最後の兵が地面に倒れ込むと、森は再びしんと静まり返った。


「セイシロウ……! 大丈夫か!」


 ハイネが駆け寄る。


 地面には複数の兵士の死体が転がり、辺りに血の臭いが漂う。


 セイシロウはゆっくりと膝をつき、肩で大きく息をした。


 顔は青ざめ、汗が浮かんでいる。


「くっ……すみません、殿下。毒を受けました……」


「毒だと!?」


 ハイネの声が震える。


 セイシロウを支えようと腕を貸すが、セイシロウの身体が熱を帯びているのが伝わってくる。


 ここで倒れられたら、どうすればいいのか。


「……解毒の丸薬を……持っています。小物入れに……」


 セイシロウが弱々しい声で言いながら、腰に下げた革袋を探ろうとする。


 しかし毒の影響か手に力が入らず、うまく掴めない。


「くっ、どれだ……」


 ハイネはセイシロウの小物入れを探す。


 黒い小瓶や薬草らしきものがいくつか入っているが、どれが解毒丸薬か分からない。


「色は……白……粒状……」


 途切れ途切れのセイシロウの声を頼りに探ると、小さな円形の白い丸薬を見つける。


 それを指先でつまんで取り出し、セイシロウの唇へ持っていこうとするが──セイシロウはうまく口を開けられない様だ。


「な、なんだ、どうすれば……」


「すみません……毒が効いて、……うまく……飲めそうもなく……」


 セイシロウが頭を垂れるようにしてうめく。


 視線は朧げになり、呼吸も荒い。


 このままでは薬を飲み込むどころか、意識を失ってしまうかもしれない。


「どうすればいいッ……」


 ハイネは焦る。


 セイシロウの口元をみながら、どうすれば丸薬を飲ませる事ができるかどうかを必死で考えていると一つ手を思いついた。


 物語などでよくある手法だ。


 ──四の五の言っている場合ではないな


 とにかくやってみるしかない。


 ハイネは持っていた水袋を掴み、丸薬を口に含む。


 口移し。


 男同士だが、それを躊躇している場合ではない。


 セイシロウに肉体的な愛を与えるわけでもない。


 ただ薬を飲ませるためだ──そう自分に言い聞かせ、ハイネは水を口に含み、丸薬を舌で転がす。


 セイシロウが微かに唇を開いたのを見計らい、ハイネは躊躇を捨てて唇を重ねた。


 そして唇を通じて感じるセイシロウの熱、荒い呼吸──


 セイシロウがわずかに喉を鳴らす。


 ハイネは口の中の水と丸薬を押し込むように送り、セイシロウの顎を軽く支えて嚥下を促す。


「……っ」


 少しむせかけたが、どうにか薬は喉へ通ったようだ。


 セイシロウは呼吸を乱しながら胸を押さえ、苦しげに咳き込む。


 ハイネは口を離したあと、そのままセイシロウを抱えるような格好で背中をさする。


「よし……飲んだな? 吐き出すなよ!」


「だ、大丈夫です……。ありがとう……ございます……」


 セイシロウの声にはまだ力が戻っていないが、毒が回りきる前に解毒薬を摂取できたことは大きい。

 ただし、即効性はそれほどでもないだろう。


 多少の時間が必要かもしれない。


 不安なままそれから暫く待っていると──


 ・

 ・

 ・


「なんとか……間に合ったか。よく持ちこたえたな」


「殿下、ありがとうございます……」


 ハイネはホッと胸を撫で下ろす。


「ここに長居するのはまずい。……動けるか?」


「はい、まだ多少……体は重いですが、ある程度は」


「なら、森の出口まで急ぐぞ。山道へ出れば──」


 息も荒く、顔は汗で濡れているが、セイシロウはそれでもハイネの言葉に応じる。


 ◆


 二人は森の深部へと移動し、木々の多い場所で茂みに隠れていた。


 セイシロウは朽ちた切り株に背を預けて休んでいる。

 。

 やがてセイシロウの呼吸が少し落ち着き、苦しげな表情も緩み始めてきた。


 解毒の丸薬が徐々に効いてきたのだろう。


「……殿下、申し訳ありませんでした。私が油断したばかりに毒など……」


「気にするな。むしろ、お前が守ってくれたから余は無事でいられる。……少しでも早く毒が抜ければいいが」


 ハイネはセイシロウの肩に手を置き、己のできる限り優しい声で言葉をかける。


「こんなことならもう少し真剣に剣術を学んでおくべきであった」


 ハイネは苦笑しながら言う。


 もとより気質的にそういったものは好きではなかったが、こうなると知っていたならば嫌いであっても真剣に学んでいただろう。


「殿下がこうして逃げねばならぬ事態、誰が想像できたでしょうか」


「剣の腕ではお前に及ぶまいが、せめて自分を守る術くらい身に付けないと……」


「ええ。いずれ時間が許せば私がお教えします。剣技の基礎や、身体の使い方など……」


 二人の話す距離が半歩近いことを二人はまだ気づいていない。


 ◆


 夕刻が近づきつつある頃、セイシロウの表情はだいぶ回復し、毒の影響も薄れてきたようだ。


 ハイネが付近を見回す。


 日が落ちる前に森を抜けるのは難しいだろう。


 夜間に移動すれのも良いが、夜間は夜間なりの危険がある。


「……今日はここで野営か。幸い、ここなら見通しがある程度きく。追手がくればすぐ分かるだろう」

「はい。私もほぼ動けるようにはなりましたが、さすがに全力の戦闘は厳しいかもしれません。解毒丸薬のおかげで死には至りませんが、体内から完全に毒が抜けるにはもう少し時間がかかります」


「なら、やはりここで休め。余が見張りをしよう。……お前ばかりに苦労をかけてはいられない」


 いつもなら「セイシロウに任せる」と言いがちなハイネだが、今回は毅然と告げる。


 セイシロウが控えめに苦笑を浮かべつつ、首を振る。


「……では、お言葉に甘えて」


「うむ。さっさと休め。お前に死なれては困る」


「御意」


 短いやりとりの中で、今までとは違う微妙な空気が二人の間に漂う。


 というよりハイネが一方的に意識しているのだ。


 昼の口移し──毒で衰弱したセイシロウに丸薬を飲ませるための緊急措置であったが、ハイネ自身あのとき何を感じたのか、まだうまく整理できない。


 ハイネは火打ち石を取り出し、落ちている枯葉や小枝をかき集めて小さな焚き火を作ろうとする。


 セイシロウが横から手を貸そうとするが、「無理するな、余がやる。が、助言はせよ」とやや乱暴に言って制止する。


 ハイネはセイシロウの指示に従って不器用な手つきで火を起こした。


「手間取ってしまったが、これでよかろう。よし、お前は休め」


「しかし、殿下……」


「いいから休めと言っている。毒が完全に抜けきるまでは、動いてもらっては困る」


 セイシロウは少し逡巡した後、静かにうなずく。


「かしこまりました。……では、しばし休息を取らせていただきます」


「うむ。少しは──少しは、余を信頼しろ」


 その言葉に、セイシロウの口元がほんのわずかに笑みを作る。


「もとより信頼しております」


「…………」


 ハイネは返す言葉を見つけられず、僅かに目を伏せた。


 一瞬の沈黙。


「──まあいい。お前が寝ている間は余がしっかり見張る。次の番に交代したら、今度はお前が見張ればよい」


「はい……殿下、本当にありがとうございます」


 低い声で感謝を述べるセイシロウ。


 ハイネは「礼には及ばぬ」と小さく呟くが、その胸には言いようのない温かさがじんわりと広がっていた。


 この先まだ長い逃亡の旅が続く。


 サルビナ帝国は遠く、グロウルの追手は執拗に迫ってくるだろう。


 だが、とハイネは思うのだ。


 ──セイシロウとならば


 我知らず、女のものと見まごうほどの細い指が自身の唇を撫でていた。


 あの唇の感触、そして熱。


 *

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