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第6話 往くは荒野⑤

 ◆


 ふと、かすかな足音が聞こえた気がした。


 ハイネははっとして身を起こす。セイシロウが戻ってきたのだろうか?


 しかし、耳を澄ますと、どうやら数人の足音が複数。


「まずい……!」


 慌てて短刀を抜き、岩陰に身を隠そうとする。


 セイシロウはいない。ひとりでどう対処する?


「おい、あそこに人影が……!」


 男の声が聞こえた。質感が先ほどの賊と似ているような粗野な響き。


 だが、同じ集団だろうか?


「ちっ……なんだ、ひとりか」


 岩の向こうから二人組が姿を現す。


 彼らの腰には剣らしきものがあるが、王国騎士の制式装備ではなさそうだ。


 賊か、あるいは傭兵の類か──。


「ゆっくり手を挙げろ。刃物は捨てるんだ」


 ハイネは短刀を握る手が震えた。


 セイシロウがいれば難なく退けられるかもしれないが、今の自分では……。


「余はキルシュカ王国の第三王子、ハイネ・トゥリエ・キルシュカである。迂闊に動けば報いを受けるぞ!」


 つい虚勢を張るが、相手は鼻で笑うだけだ。


「王子様? そりゃあ面白ぇな。なら、貴族どもを嫌う俺たちにとっちゃ、うってつけの人質かもしれないぞ」


 ハイネは喉の奥が乾き、冷や汗が背筋を伝うのを感じる。


「おい、そいつ捕まえろ。傷つけるなよ。たっぷり金になりそうだ」


 男の合図で、もう一人がゆっくりと間合いを詰めてくる。


 ハイネは懸命に短刀を構えるが、虚勢であることは本人が一番よくわかっている。


「くっ……」


 あっという間に腕を捻り上げられ、短刀が地面に落ちた。


 痛みで声を上げそうになるが、必死に歯を食いしばって耐える。


「やめろ、放せ……!」


「うるせぇな、王子様? へへ、顔つきは確かにどこか高貴な感じがするなあ。それにどうにもぺっぴんさんじゃねえか。まるで女みてえな顔つきをしてやがる」


 捕まえた男は嫌らしく笑いながらハイネの腕をねじり上げたまま、反対の手でハイネの胸元をまさぐった。


「や、やめろ!」


 おぞましさに総毛だつハイネ。


「胸はねえか、でも関係ねえ! おい! ちょっと味見していいか?」


 男が仲間たちに向けて叫んだ。


「悪趣味だねえお前さんも」


「好きにしろ。でも傷つけるなよ」


 男たちは口々にそんなことを言う。


 ただ一人、渋い顔をして眺めていた男だけがその会話に参加していなかった。


 ──こやつら、何を言っている……? 


 ハイネの呼吸が急速に荒くなっていった。


 男たちの言っていることは分かる。


 しかし理解したくなかった。


 この身が男でも女でも関係ない、ただ凌辱できればそれでよい──そんな連中の、なんたるおぞましい事か。


 ──セイシロウ、どこだ。余を助けてくれ、セイシロウ……


 ハイネは胸中で叫ぶ。


 その叫びをセイシロウが聞いたかどうかは定かではないが──


 、風を切るような音が響いた。


「何──」


 突如として男の腕から力が抜け、ハイネを掴む手が離れた。


 驚いて振り返ると、男の左目に短剣が突き刺さっている。


「があっ……!? 誰だっ……」


 男は呻きながら崩れ落ちる。


 刀を握ったセイシロウの姿がそこにあった。


「殿下、大丈夫ですか」


 低い声が耳に届く。


 ハイネは痛みと安堵で息を荒げながら、セイシロウの方向にうなずいた。


「こいつら、仲間がいる。気をつけろ……!」


 そう言った瞬間、渋い顔の男がセイシロウに斬りかかってきた。


 セイシロウは剣撃を受け止める。


 激しい金属音が鳴り、火花が散った。


「ちっ……!」


 男の剣術は山賊にしては洗練されている。


 やはり元傭兵か騎士崩れかもしれない。


「やるな!」


 セイシロウは無表情のまま自然体に構えた。


 いや、それが構えと言えるのかどうか。


 剣を持つ手はだらりとさげられたまま。


 いかにも脱力しているといった風情だ。


 が、そんな隙だらけにも見えるセイシロウに、男は後退を余儀なくされた。


 ──こいつ


 男の額に汗がじとりと汗が浮かんだ。


 “見えた”のだ。


 どのように剣を打ち込んでも、返しの一撃で自分は死ぬと。


「逃げるなら追わぬ──少なくとも、お前だけは」


 そんなセイシロウの言葉を聞いたとき、男はぺろりと唇の端を舐め、雇い主が命懸けで守るに値する者たちかどうかを考える。


 答えはすぐに出た。


「……分かった俺は去る。追わないでくれ」


「追わぬ」


 やりとりのあと、男は駆け足に去っていった。


「お、おい!!! 先生!!!」


「逃げるのか!」


 先生と呼ばれた男を罵る賊ら。


 そんな賊らにセイシロウは無造作に近づいていき、同じく無造作に一人を切り捨てた。


 余りにも無造作すぎて男たちの反応が遅れ、逃げそこなったのだ。


 ──や、やべえ! 


 思うや否や、駈け出そうとする賊の一人。


 しかしその足が動く前にセイシロウが──


「阿ッ!!!!!」


 と何やら奇妙な叫びを発した。


 機先を制し、気を制する例の猿叫である。


 賊どもはビシリと地に根が張ったように足を動かせなくなる。


 もはや、賊らは鎌で刈られる前の雑草、雑花も同然となった。


 となれば命運は決まっている──咲かせるのだ、花を。


 汚く生きてきた彼らが最期に咲かせる花の色は、美しい紅色であった。


 ◆


 続けざまの戦いだ。


 最初の追手4人、山賊とのいざこざ、そして今の傭兵風の男、ついでに賊。


 セイシロウは人を斬ることに一切の躊躇を見せない。


 その姿は凄絶で、恐ろしい。


 ハイネはセイシロウの顔をまじまじと見つめる。


 返り血はほとんど浴びていないようだが、剣にはまだ血の痕が微かに残る。


 その全身から立ち上る殺気はハイネを恐れさせもするがしかし、どこか惹かれる部分もあった。


 女の様な顔をしているからといって、気質までそうであるわけではない。


 男ならば“このような強い男になりたい”という願望はあるものだ。


 ハイネもまたそうであった。


「殿下、何もおっしゃいますな。彼奴輩は殿下を辱めもうした。それは、決して許せませぬ」


 セイシロウは低い声で言った。


 ハイネは反射的に首を振る。


「責めようなどとは思わぬ。助けてくれて感謝する」


 ハイネの礼にセイシロウは一瞬きょとんとした顔を浮かべ──


「ありがたき幸せ」


 と笑みを浮かべた。


 その笑みを目にしたハイネは、自身でも名状しがたい何かを胸に感じるのだった。


 ◆


 セイシロウは賊の懐をあさり、いくらかの金銭と水袋、保存食を回収した。


 余計な時間を取られたが、ともかく水が手に入ったのは僥倖だ。


「少し濁っていたので、できれば沸かしてから飲んだほうがいいかもしれませんが……当面の渇きはしのげます」


「助かる。まったく、貴様がいなければとっくに死んでいただろうな」


 ハイネは自嘲気味に微笑んだが、セイシロウの表情は変わらない。


 “殿下の愛”を求めると口にするわりには、こういう時に愛想よく笑ってもよさそうなのに、彼は不思議なほど無表情だ。


「日が高くなる前に、あちらの山麓まで移動できれば、少しは追手を振り切れるかもしれません。もしグロウルの兵が本格的に荒野に展開するとなれば、午後から夕刻にかけてこちらを捜索するでしょう」

「わかった。先を急ごう」


 二人は少し急ぎ足で歩き始める。


 そうして歩き続けること数時間、丘をいくつか越えた先にまばらな森が見えてきた。


 遠目に見るとそこが荒野の終端であり、森を超えた先で山岳地帯へと繋がるのだろう。


「やれやれ、ようやく荒野を抜けるのか……」


 ハイネは疲れをこぼしながら、ほっとした様子を見せる。


 セイシロウも少しだけ視線を柔らかくして、「ここまで大きな追撃はなかったですね」と呟く。


「まあ山賊やら何やらはあったが、グロウルの本隊はまだ我々の位置を把握していないのかもしれん」

 とはいえ、油断はできない。


 夜が再び来れば、今度は森を越えて山道を進まねばならない。


 その先にサルビナ帝国への大きな街道があるというが、そこまでの道のりはまだ長い。


「殿下、今日は森の入り口付近に進んでから野営をしましょう」


「うむ」


 そして二人は夕暮れの空を背に、荒野を抜ける直前の地点を目指して歩を進める。


「明日は森を抜けて山岳地帯か……道中で追手の奇襲もありうる。サルビナ帝国までは何日かかることやら」


 ハイネは疲弊した声で呟くが、セイシロウの表情は揺るがない。


「大丈夫です。必ず辿り着けますよ、殿下」


「そう言いきれる根拠は何だ?」


「私が殿下を守るから──それだけです」


 ごく当たり前のように言い放つセイシロウに、ハイネは一瞬言葉を失う。


「……ふん、ならば期待しよう」


 ハイネはそう言うと、わずかに口元に笑みを浮かべる。


 沈みゆく夕陽が二人の背後を赤く染め、荒野に別れを告げるように長い影を落としていた。


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