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第4話 往くは荒野③

 ◆ 


「……嗤うか、セイシロウ」


 ハイネは少しだけ自嘲気味に言う。


 結局見逃したのだ。


 ハイネは自身を馬鹿だと思うし甘いと思う。


 セイシロウは淡々と首を横に振った。


「甘いとは思いますが私は嗤いませぬ。降伏した者を殺して良い気分になる者はそうそうおりませぬゆえ。それに──」


「それに?」


「殿下が死を望まぬというのなら、私はそれに従うだけですし、楯突いた者を皆殺しにする主君というのは実のところ余り好かないのです。もちろんこれは私がいかようにでも連中を料理できたという立場での発言ですが。時と場合により判断は変わります。例えば殿下、襲われたのが我々ではなく、弱き者であればどうしたでしょうか。我々がそれを偶然見つけたとあれば──」


「無論、容赦はせん」


「でしょうな。まあそういう事です。それに、王たるものは強くなくてはなりませぬ。強いというのは腕っぷしがどうこうという話ではなく、選ぶ自由がある者を言います。殺すか生かすか選べる状況で、御身が殺したくないと思うのでしたら、殺さなければよいだけの話です。甘いと思われるからだとかそんなモノで御身の意思を曲げるというのは、どうにも貧弱に思えますな」


 ハイネの胸にかすかな安堵が広がる。


 自分の意志を尊重してくれる──それが、王子としてではなく、一個人として扱われているようでなんとなく嬉しかった。


 ◆


 賊との小競り合いを終え、再び歩みを進めると、やがて斜面を上りきったあたりで見通しが良くなる。

 あたりは次第に暮れなずみ、日没が近い。


 ここで野営をするにしても、最低限の遮蔽物は欲しい。


 セイシロウは軽く辺りを見回し、少し先に小さな岩山がそびえているのを見つけた。


 岩が折り重なっている箇所ならば風を避けることができるかもしれない。


「殿下、あちらへ行きましょう。岩場の裏手に人目につかない空間があるやもしれません」


「良いだろう」


 ハイネは疲労困憊ではあるが、先ほどの山賊との遭遇を考えると一刻も早く安全な場所で休みたい。

 二人は急ぎ足で岩場へと向かう。


 運よく、岩と岩との隙間にほどよい空間があり、地面が乾いていた。


 風も多少は防げそうだ。


「ここなら……夜をしのげるだろう」


 ハイネはかがみ込み、背中を伸ばす。


 セイシロウは落ちている枯草や小枝をかき集め、即席の焚き火を準備していた。


 小ぶりな火打ち石で火花を散らし、やがて小さな炎が上がる。


 ぱちぱちと乾いた木が弾ける音が、あたりの沈黙をわずかに破った。


「よし、暖がとれるな。……やはり火があると安心できる」


 ハイネは火に当たりながら、暗くなりはじめた空を見上げる。


 先ほどまでの灰色の雲が、東のほうへ流れていき、上空にはかすかに星が覗き始めている。


 王宮のバルコニーから見た夜空を思い出す。


「…………」


 口を真一文字に結んだまま、ハイネは思考の中に沈もうとするが、その時セイシロウが袋から干し肉や乾パンのようなものを取り出して差し出した。


「腹が減っているのではありませんか。簡易的な食事ですが、どうぞ」


「……悪いな」


 自分でも驚くほどの素直な口調で礼を言う。


 王族であれば、本来は給仕が当たり前の世界──だが今はそんな立場も地位もない。


 だというのに、この騎士は自然にハイネを“殿下”と呼び、必要なものを与えてくれる。


「貴様、なぜそこまで……」


 ハイネは思わず口走るが、セイシロウは首を傾げるだけだった。


「もとより、私は殿下の護衛騎士として雇われました。殿下が嫌おうと何だろうと、まだ契約は果たせていません。 それだけのことです」


「ふん……それに加えて、愛を所望すると?」


 投げやりな口調になってしまうのは仕方ない。


 しかし、セイシロウは表情を変えず、「は」と短く返すだけだった。


 薄暗がりの中、焚き火の橙色の光がセイシロウの無表情な頬を照らす。


「余は……」


 言葉が続かない。


 何も想像できないのだ。


 セイシロウに約束通り愛をくれてやれるかはもちろん、王国はおろか、自身の未来もなにもかも。


「……まあ、よい。ひとまずは、共にこの苦境を乗り切ることを最優先としよう」


 乾パンをかじりながら、ハイネは視線を火へ戻す。


 セイシロウが口にした“愛”なるもの──よく分からない上に受け止めきれない。


 あくまで、自分は第三王子。女と結婚し子を成すべき身分という常識がある。


 同性愛など公言すれば、民も貴族も受け入れないに違いない。


 ──だが、そもそも余が本当に“王”になる日は来るのか?


 そう思った瞬間、ハイネはぎゅっと乾パンを握りしめる。


 国を取り戻すなどできるのか。


 グロウルは圧倒的な兵力を持ち、騎士団を掌握している。


 逃げ延びる先に“王の未来”が待っているのか、それとも“ただの亡国の王子”として朽ち果てるのか──。


 王族の責務を考えれば、「亡国の王子」という存在でいるのは耐えがたいが、現状は何もかもが不確かだ。


「殿下」


 セイシロウが落ち着いた声で呼ぶ。


 ハイネは思考を断ち切るように顔を上げる。


「遠くで何か、音がしたようです。馬の嘶きか、あるいは野生動物か……。念のため、今宵は交互に見張りを立てたほうが良いでしょう」


「……そうだな」


 実に頼りになる男だ、というのがハイネの正直な想いであった。


 もしセイシロウがいなければ、すでに自分は捕えられていたか、あるいは森で死んでいただろう。


「先に眠るか? それとも余が先に見張る?」


「殿下が先に眠ってください。私が二、三刻ほど見張ります」


 ハイネは少し迷うが、結局頷くことにした。

「……すまない。なら、そうさせてもらう」


 言い終えるや否や、ハイネは岩肌に背中を預けて目を閉じる。


 眠りへ落ちるのは早かった。


 ◆


 セイシロウは火のそばに陣取り、刀を膝に乗せて座る。


 闇夜の中、ほんのわずかな気配や音を逃さぬように耳を研ぎ澄ます。


 風の流れ、遠くの獣の足音、時折吹きつける冷たい夜気──すべてを観察しながら、微動だにせず時間を過ごす。


 ハイネは王子という肩書の割に、緊張の中で生きてきた経験が少ないのか、逃亡の疲れか、ぐっすりと眠っているようだった。


 その寝顔に、セイシロウは微かな感情を抱く。


 綺麗な感情ではない。


 もっとドロついていて、ねばついているモノだ。


 ──その気になればこの場で手籠めにも出来ようが


 セイシロウは一瞬そう思うが、すぐにその考えを「つまらぬ」と切って捨てた。


「殿下……」


 小さく囁くが、答えはない。


 焚き火の明かりに照らされるハイネを見つめ、思考を巡らせる。 

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