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第2話 往くは荒野①

 ◆


 森を抜ければその先は荒野が広がる。


 雪解け間もない荒野の大地は、先ほどまで降っていた雨が土を湿らせ足を取られやすい泥濘となっていた。


 つい先ほどまで鬱蒼とした森を駆け抜けていたハイネとセイシロウは、森の最深部に潜む追手を撒くため、あえて遮蔽物の少ない荒野へ足を向けている。


 追われている身としてはこれは愚行だ。


 しかしセイシロウがその方が良いという。


「敵が見えていれば如何様にもできますからな。恐ろしいのは陰に身を隠したまま襲ってくる手合いです。私はそちらの手段には疎いのです。単なる斬り合いのほうがまだマシですね」


 日は薄く雲に覆われ、西から吹きつける冷たい風は二人の体温をじわじわと奪い取っていた。


 ハイネは不調を覚えながら、荒野の入り口で足を止める。


 朝からほとんど口にしていない──いわゆる空腹のせいなのか、あるいは王国を追われている精神的な疲労のためなのか、自分でも定かではなかった。


「……殿下、どうされましたか」


 先を進んでいたセイシロウが、泥濘に靴を取られながらも振り返る。


 ハイネは顔を上げると、やや落ちくぼんだ瞳でセイシロウを見た。


 青年とはいえ、王族として鍛錬する機会こそあったが、あくまで「嗜む」程度──決して長い距離を走り続けたり、厳しい自然環境を踏破したりできるほどではない。


 ましてや今は追われる立場だ。少しでも気を抜けば捕えられる可能性がある。


 だが──


「殿下、大分お疲れの様ですね」


「まあ……少し疲れた。どこかで休息を取りたいが、まだ大丈夫だ……」


「そうも行きますまい。どこぞで休む場所などみつけましょう」


 もうしばらく頑張られよ、と手を差し出すセイシロウはまるで疲れた様子を見せていない。


 武に疎いハイネから見ても化け物じみた体力であった。


 ──これほどの者がなぜ、余を


 あの森での戦闘以来、ハイネの胸には混乱が渦巻いていた。


 ──セイシロウは、忌み人


 ──『殿下の愛を欲する』と、真顔で言ってのけた。


「愛」といっても、セイシロウが何を望んでいるのか、ハイネにはまだ理解しきれない。


 心と心の結び付きであり、肉欲の行為ではないとセイシロウはいう。


 しかしその「愛」とやらがよくわからない。


 ただ、森での戦いぶりを見ていれば、セイシロウが相当な実力者であることは疑いようがない。


 それほどの力量を持ちながら、ハイネのために剣を振るい命を懸けようとしている──その動機が“愛”だというのなら、今のハイネには理解しえない心境だ。


 ──愛か。余にはわからぬ。そも、余自身が誰かを愛したこともないのだから


 ハイネはそんなことを想いながらセイシロウの手を取った。


 ◆


 視線の先には、西の地平線へ続く荒涼とした大地。


 多少の起伏はあるものの、森のように隠れるのには向かない。


 雨が降った後の黒土が靴の底に絡みつき、歩くたびに粘土のようにへばりつく。


「今のところ、追手の気配は感じませんが、いずれ奴らもこちらへ回り込む可能性は高いでしょう。

 日が沈む前に、岩陰か少しでも高い丘の上を探して休息の場を確保するのが得策かと」


「ふむ……」


 セイシロウは淡々と提案を続ける。


 ハイネも反論するだけの気力はなく、ややふらつく足取りのまま頷いた。


「では、頼む。なるべく敵に見つかりにくい場所……簡単に言うが、そんな場所があるのか? これだけ見通しが良い荒野だぞ」


「おそらく、もう少し進めば地形のくぼみや大きな岩の裂け目などが点在しているでしょう」


「……随分と詳しいな」


 ハイネは意外そうに眉を上げる。


 セイシロウは記憶を辿るように目を伏せて語る。


「いえ、かつて傭兵として各地を渡り歩いた際、同じような地形での籠城戦を経験したことがありまして。……似たような荒野なら、地表下に亀裂が走っている場所もあるはずです」


「ほう……」


 ハイネは、改めてこの護衛騎士の得体の知れなさを感じる。


 あの秘剣とも呼ぶべき独特の剣技や、“魂喰い”なる奇声。普通の騎士には到底あり得ぬ戦い方だ。

 それをさらりと披露するにもかかわらず、驕るそぶりも見せない。


 いや、それどころか淡々と状況を分析し、次の行動を指示している。


 ハイネは王族であるにもかかわらず、実質的に決定権を握っているのはセイシロウのように見える。


 ──少し癪だな。


 そう思いながらも、今は彼に従わなければ生き延びることは難しい。


 王族としてのプライドを刺激される一方で、不思議な安心感もある。


 自分をここまで守り抜いてきたのは事実で、さらに“愛”などという言葉を向けられたのだから。


 ハイネは知らず知らずのうちに、顔を少し赤らめる。


 セイシロウですら気づかない、ほんの僅かなもの変色ではあったが。


「……では、先に進むとしよう。日が沈めばあたりは闇に包まれるだろうから、早めに休める場所を見つけないとな」


「御意」


 セイシロウはそう短く返すと、先を歩き始める。


 ◆


 視界をさえぎる木々がない分、遠くの地平線がずっと先まで続いている。


 ところどころに背の低い草や雑木が散在し、風に揺られながらかすかな音を立てるだけだ。


 足元は相変わらず粘土質の土が続き、歩くたびに靴が沈む。


 ハイネは王宮の中庭で軽い運動をする程度しか経験がなかったため、この足場に馴染めず何度かバランスを崩しそうになる。


 セイシロウは先行して足元を確認しながら歩いており、時折ハイネを振り返って「大丈夫ですか」と問いかけて手を貸したりなどしていた。


 ──逃避行、か。まさにその通りのザマだ


 歯を食いしばり、ハイネは一歩、また一歩と歩を進めていく。


 ◆


 北西へ回り込む道は、より風が強く吹きつける斜面が続いていた。


 雑草がゆらゆらと風になびき、まるで絨毯のように波打っている。


 足下の泥濘は依然として続き、やたらに消耗を誘う。


 途中、ハイネが大きくバランスを崩して尻餅をついてしまった。


 泥がズボンにまとわりつき、冷たい湿気が肌を刺す。


「くそっ……」


 王子らしからぬ言葉が口をつく。


 セイシロウがすぐに寄り添い、手を差し伸べる。


「大丈夫ですか、殿下」


「起こしてくれ──……」


 ハイネはそう言いかけて、自分の心がちくりと痛むのを覚えた。


 まるで、自ら情けない姿をさらしているみたいで嫌だった。


 それでも、気丈に振る舞う余裕はない。


 手を握り、ゆっくり立ち上がると、セイシロウが「申し訳ありません。私が先に足場を確認すべきでした」と頭を下げる。


「貴様が謝る必要はない。余が不甲斐ないだけだ」


 苛立ちが声ににじみ出てしまう。


 しかし、セイシロウの態度は変わらない。


 忠実な騎士然としたセイシロウの姿に、ハイネは妙な罪悪感を覚えた。


 王家の第三子──スペアのスペア。


 そんな自分をここまで助けようとする意味が、ハイネには理解できない。


 ただ一つ言えるのは、この騎士がとても奇妙な男だということ。


 ──それと、やけに頼りになる男、か……


「まあ……よい。このまま先を進め」


「かしこまりました」


 そう言いあって、二人はまた泥濘の野を歩き出す。  

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