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鬱蒼とした森を駆ける二つの影がある。
「殿下、こちらへ。足元にお気をつけ下さい」
男が手を差し伸べると、殿下と呼ばれた青年は無言でその手を取った。
二人の状況を一言で言い表せば、『逃避行』といった所か。
キルシュカ王国の第三王子、ハイネ・トゥリエ・キルシュカはたった一人の護衛騎士と共に追手から逃げていた。
しかし──
「もう良い」
ハイネはぼそりと呟いてその場に立ち止まる。
「父上も母上も身罷られた。叛逆を起こしたグロウルは許せぬが、彼奴ばらを誅する力は余には無い。かといっておめおめ捕まってやるつもりもない。貴様がここで余を斬るが良い。手数をかけるが余の死体は埋めて置いてくれぬか? ……ここまでの護衛、大儀であった。名は確か──セイシロウだったか」
諦めきったハイネの言葉に、しかしセイシロウと呼ばれた男は何も答えようとはしない。
ハイネではなく、その後方を静かに見ている。
そんな態度にハイネは表情をしかめ、叱責をしようとしたその時。
「……っ、もう来たか」
ハイネが吐き捨てると同時に、後方から複数の足音がする。
グロウルが差し向けた追撃隊であった。
「貴様は逃げよ。余はここで叛逆者共に一矢報いてやるとしよう」
ハイネが護身用の短刀を取り出し、覚悟を決めた様子で言う。
虚勢であった。
ハイネも王宮剣術の嗜み程度は齧っていたものの、騎士を相手に剣をまじえるには程遠い業前だ。
更にいえば全身が細かく震えている。
「セイシロウ、貴様はキルシュカ王国で生まれ育ったわけではない。なるほど、剣の腕は良いのだろう。だから王族の護衛として雇われた……しかし、余はあくまでスペアのスペアに過ぎぬ。だからこそ異国の者で構わないと選ばれたのだろうが、不運であったな。貴様にこの国に忠誠を尽くす義理はない。たまたま雇われたに過ぎぬ──だから逃げよ。貴様が如何に剣が達者だろうと、軍には勝てぬ」
そこでようやくセイシロウが口を開いた。
これという特徴のない声だ。
しいて言えばやや覇気に欠けるだろうか。
「恐らく本隊が後方へ控えていて、捕り逃しの無い様に分散させているのでしょう。こちらへ向かってくる数は4──で、あるならば問題はありませぬ」
「貴様、何を言ってる……?」
ハイネが訝しんだ様に言う。
4人もの騎士と同時に戦い、勝てるものなどはいない──通常は。
ましてや相手は精強で鳴るグロウルの配下である。
「私は剣しか能がありません。戦略は知らず、戦術もとんと理解できませんが、しかし剣を振る事だけは得意でした。とはいえ、余りに数が多くてはどうにもならぬゆえにこうして殿下を連れて逃げてきましたが……」
「……勝てると思っているのか? 貴様の言う事が確かならば相手は4人だ」
「個々の力量については把握していないため何とも言えませんが……では、もし私が勝ち、殿下の当座の命をお守り奉る事に成功したのならば、褒美を賜りたく存じます」
「褒美だと? くれてやりたくても余にはもはや何もない」
「ございます。殿下ご自身がいらっしゃるではありませんか。こう言えば分かるでしょう……私の様な者を、この国では忌み人と呼ぶらしいですな」
な、と驚くまもなく──
「いたぞ! こっちだ! 第三王子だ!」
ついに追手に追いつかれてしまう。
◆
「貴様、第三王子ハイネの護衛騎士か。悪い事は言わぬ。王子を寄越せ。同じ騎士のよしみもある、命だけは助けてやろう」
追手のリーダーと目される男がそんな事を言う。
これは事実とはやや異なる。
同じ騎士のよしみだからというより、無駄な損害を嫌っての言葉だ。
──王族の護衛を任される騎士ともあれば、腕は良いに違いない。戦って負けるとは思えぬが、1人2人は斬られるかもしれん
しかしセイシロウは言葉ではなく、抜剣を以て返答した。
交戦の意思あり──
そんな明確な意思表示に、追手の騎士たちも気色ばむ。
「いいだろう! そこまで命を捨てたいのならば、是非も無し! かかれ!」
・
・
袈裟に斬り落としてくる剣撃に、セイシロウは剣の腹を叩きつける様にして迎え撃った。
勿論ただぶつけたわけではなく、工夫がある。
──秘剣 "岩落とし"
剣と剣がぶつかり合う寸前に全身の関節を完全に固定し、全身を極限まで緊張させる。
それにより、自身の重みが剣にそのまま乗る様にしたのだ。
関節とはすなわち衝撃を吸収する為のアブソーバーに他ならない。
この衝撃緩和の機構が取り払われた場合、何が起こるか。
「ぐ、ばあぁぁぁッ!?」
斬りかかった方が、まるで丸太でぶん殴られたかの様に吹き飛んでしまった。
「何をした!」
そして詰問するように叫ぶもう一人に、セイシロウは舌なめずる肉食獣の如き敏捷さで肉薄して──
無駄のない所作から放たれた精密な突きで左目を狙い、貫き、頭部破壊を以て死に至らしめる。
残りは、2。
ここまでで約3秒。
こうなれば残った側は完全に気を呑まれてしまう。
追手たちの目に怯えが走り、逃亡を決断しようとしたその瞬間。
「キテハァァァッ!!!!」
凄まじい奇声が響き渡った。
──非剣 "魂喰い"
相対する敵手の心の挙動に合わせて、ここぞという時に裂帛の気合を乗せた声で相手の精神を搔き乱し、思ったような行動を取れなくする恐るべき業である。
追手たちは逃げようとした瞬間に精神を攪拌させ、あろうことかセイシロウに斬りかかってしまった。
しかしそのような混乱した状態では剣筋もろくに立っておらず、たちまちの内に2人の追手はセイシロウに撫で斬られてしまう。
ここまでで10秒か、15秒か。
戦いは一方的に始まり、一方的に終わった。
すなわち数的優位がある騎士たちがまずはつっかかり、そして為す術もなく全滅したのである。
「不義の剣、恐るるに足らず」
セイシロウが呟き、追手の死体に蔑みの視線をやる。
◆
「貴様は、一体……」
ハイネは絶句し、セイシロウを見つめた。
すると男はまるで日常会話をする様につらつらとこんな事を言い出した。
「王家はいまだ朽ちず……距離は多少ありまするが、サルビナ帝国を頼るというのも手でございます」
サルビナ帝国はキルシュカ王国の北西514キロルに位置する大国である。
「イシュリアナ姉上か……」
イシュリアナはいわゆる政略結婚でサルビナ帝国へ輿入れをした──つまり、セイシロウは身内の縁を頼ってキルシュカ王国を救えと言っているのだ。
しかし、とハイネは男を見た。
「貴様、忌み人と言っていたな」
「は」
男は短く首肯する。
「……では、褒美とはまさか」
「は。道中の護りに加え、お家復興の一助……そして先ほどの勝利の褒美として、殿下の愛を欲する所存でございます」
「愛、だと?」
「は。愛でございます」
セイシロウの表情には一切の遊びがない。
真剣そのものだ。
つまり、この男は本気でハイネ・トゥリエ・キルシュカ第三王子と愛しあいたいと乞うているのだ。
そう、忌み人とはすなわち同性愛者の事である。
「ふん……余は女でもないのに、この身を抱くが為に命を懸けるか。割りに合わぬな」
「それだけでは流石に身命を賭すには賭け金が足りませぬ。また、私にキルシュカ王国への忠義はありません。しかし、拾ってもらった恩はあります。それに、命も救って頂きました」
「命だと?」
「は。殿下は先ほど、私に逃げろと仰いました。本来ならば私にその場に留まらせるというのが当然でしょう。私は護衛騎士なのですから。しかし殿下はそうはされなかった。これもまた恩でございます。それら二つの恩と、麗しき殿下の愛──これらをもって、このセイシロウは殿下の手となり足となり、行く手を塞ぐ障害の一切を斬り倒してごらんに入れましょう」
「……その、私の体というのは、一度で終わりか」
「なにやら勘違いしておりますな。愛とは肉欲のみにあらず。誠の愛を所望しておるのです」
ハイネは大きくため息をついた。
何が何だかさっぱりわからなかったからだ。
いわゆる衆道というものはハイネも知っている。
が、同性同士の誠の愛とやらがどんなものなのかがさっぱりわからない。
とはいえ、選択肢がないのも事実であった。
そして──