手が震える。なにがどうなっているのか分からない。
目の前にいるおばあ様は本物だ。それは、心配して握ってくれている手の温かさで実感できる。
この暖かさは夢じゃない。灼熱と鉄のニオイが充満した森の中に、こんなホッとする暖かさがあるわけがない。
知らない間に、私は涙を流していた。
「ティアナ……! どうしたの、なにがそんなにあなたを苦しめてるの。おばあ様に話してご覧なさい。少しでも楽になるから」
抱きしめてくれる細い腕、私はこの腕が大好きだった。
ぎゅっとすると、高くてくどい香水の匂いじゃなく、ほんのりとした花のような香りがする。
この腕に、あと二年で触れることもできなくなるんだ。
あの日おばあ様は、私の目の前で倒れた。
あまりに突然のことで、本宅に控えている治癒師も間に合わなかったくらいだ。セレスティナも神殿に出掛けていて、私は見ていることしかできなくて。
──もしかして、今からならおばあ様を救えないかしら?
そうだ、あの日は救えなかった。だけど二年後に同じことが起きるなら、今から動けばなにかできるかもしれない。
気がつくと私は、縋るようにおばあ様の手を握っていた。
「おばあ様、聞いてほしいことがあるんです。自分でも信じられない話だから、おばあ様はきっと馬鹿馬鹿しいとお笑いになるかもしれません。だけど私、絶対におばあ様をからかったり、騙すようなことは言いませんから、だから……!」
「落ち着いて、ジェンティアーナ」
優しい手の平が私のほっぺたを包み、しっかりと私の名前を呼んだ。
「大丈夫、笑ったりなんかしないわ。よほど大事な話なのね? 人払いはいるかしら」
「人払い……そうですね。できればおばあ様と二人で、お話ししたいです」
少し大げさかもしれないけれど、おばあ様以外に聞かれたくない話なのは事実だし、お言葉に甘えることにした。
控えていた侍女達が退出し、おばあ様と二人でテーブルにつく。
なにから話せばいいか迷う私に、おばあ様はそっと頭を撫でてくれた。
「ゆっくりでいいの、あせらないで。ティアナの思いついたことから話せばいいのですよ」
他人から気遣われることなんて、おばあ様が亡くなってから一度もなかった。だからだろうか、また目頭が熱くなってきて、私は慌てて目をこすった。
胸がいっぱいになる前に、もう言ってしまったほうがいい気がする。
大きく息を吸って、静かに吐き出す。ようやく心を落ち着けてからおばあ様に向き合い、意を決して口を開いた。
「私、一度死んだ未来から戻ってきたんです。今から三年後、虐殺に巻き込まれて」
「一度死んで……なんですって、虐殺!?」
「はい。もし今から言うことが私の妄想であるなら、そうおっしゃってください。──私は魔法を使うことのできない、出来損ないなのでしょう?」
まっすぐにおばあ様を見ながら投げかけた問いに、返答はない。
ただ悲しそうに眉尻を下げて唇を噛み締める様子を見て、やはりあの出来事は事実だったのだと理解した。
だけどそれならそれでいい。
私はあの死を。あの馬鹿馬鹿しい虐殺を回避するために、できることすべてをやるだけだ。
そう思った私が決意の息を吐き出す前に、おばあ様が私の手を取った。
もしかしたら、私の頭がおかしくなったとお思いになったのかもしれない。すごく悲しい目をしているおばあ様に、慌てて弁解した。
「あの、おばあ様。誓って私、考えは正常で……」
「ええ、分かっていますよティアナ。誰があなたの言葉を疑うものですか。言ったでしょう? 笑わないと。あれはあなたが話す内容をすべて信じるという信頼の言葉よ。だけどひとつだけ訂正させてちょうだい」
いつも優しいおばあ様の目が、ほんの少し、怒りの熱を持って私を見た。
「あの不出来な息子があなたを見限って以来、私は祖母であり母のつもりでもあったわ。だからこそ言うのだけど──私はあなたを、魔法の使えない人のことを出来損ないなどと軽蔑するような人間に育てた覚えはありません。それが例え、あなた自身のことであってもね。──あなたは出来損ないなどではないわ」
おばあ様は、何度私に涙を浮かべさせれば気が済むんだろう。
こんな荒唐無稽な話でも正面から受け止めてくださって、ささいな言葉でも大事に慈しんでくださる。
私は何度もうなずき、おばあ様の手を握り返した。
「ありがとうございます、おばあ様」
「話の腰を折ってしまってごめんなさいね。……とにかくあなたは今から三年後、虐殺によってこの世を去ることになる。そうね?」
「そうです。今から二年後、私は賤民としてこの家を追い出され、その一年後に殺されます」
「それは二年後に私が死ぬということね? あなたを庇護する者がいなくなったから、あの愚か者たちは実の娘を無慈悲にも放逐した」
棘のある言葉に、私が苦笑いしか返せない。
おばあ様はそれを肯定ととったらしい。お怒りを隠しもせずに美しい眉間に皺が刻まれるのを、私は眉尻を下げて見ていた。
やがておばあ様は、ご自分の指に填まっている指輪に視線を落として唇を開く。
「ともあれ──きっとその時の私は、あなたにこの指輪を渡せていたのね。そうでなければあなたは……」
「指輪? はい、おばあ様がお亡くなりになる直前、私に──その指輪が、なにか?」
「これは我が先祖が神から授かったもの。持ち主の命の火が消える瞬間、神の恩恵を授けると同時に、時間を巻き戻す魔術が編み込まれている。……当家には数世代に一度、必ず魔力を持たない子どもが生まれてくるの。これはその当事者に代々受け継がれてきた」
「じゃあ、まさか」
「そう、かつては私も魔力を持たない者だった」
「でもおばあ様は魔法を……」
「ええ使えるわ、ただし一種類のみ。……知っているでしょう?」
お話の途中から、室内にいい香りが漂い始める。
サイドテーブルに常備されている小皿の上には、いつの間にか焼きたてのクッキーとチョコレートケーキが置かれていた。
「口にしたことのあるものであれば、どんなものでも即座に生み出せる魔法。火や水、光、闇に代表される根源魔法に依らない、完全固有の魔法とされているわね。だからこそ、これ以外に使える魔法がなかったとしても、人は私を特別扱いし、賞賛した。だけどそれはね」
小皿を持ち寄り、クッキーを口に運びながらおばあ様が笑った。
「死の瞬間、私が最後に願ったのが──絶対に飢えない魔法が欲しい、だったからよ」
そのお顔は、私が今まで見たことがないほど、凄惨な笑みだった。
「この指輪は死の瞬間に私の時間を巻き戻し、願いを叶える神の恩寵は、この固有魔法を授けてくれた。……私が死んだのは十二歳、今のあなたと同じ歳の頃ね。その世界では食糧難が起き、多くの民が飢えに喘いでいた。……私たちは魔法を使えないというだけで、この世界の大多数からは穀潰しとして見做されている。真っ先に食糧を奪われるのは、仕方がないことだったのかもしれないわね。──だけど私にとってそれは、許せない所業だった」
言葉も出せずに息を飲んだ私の肩を、おばあ様が抱きしめる。
「私にはあなたが死の瞬間、なにを願ったかまでは分からない。だけどねティアナ。あなたがもし、もし私と同じように魔法を願っていたのなら」
まるで託宣のように、おばあ様は口を開いた。
「──今のあなたは、魔法が使えるようになっているはずよ」