森の中の騒がしさが、蹴り破られた扉の向こうから響いてくる。
いつの間に火がかけられたんだろう。もう閉じることもできない視界に入ってくる森は、ゆらゆらとした赤い熱に覆われていた。
その中を、悲鳴をあげながら逃げていく人たちが見える。でもその直後、それを追う馬の嘶きが聞こえて──森の中は静かになった。
私は血だまりの中で、それを見る。
唯一の自慢だったストロベリーブロンドの髪も、視界の端で赤黒くべたついている。こんな場所に追いやられてからも、私が貴族として生まれたことを思い出させてくれる、大好きな髪だったのに。
「一人たりとも逃がすな! 賤民の身でありながら我らが国を呪い、死を蔓延させた悪徒たちの集落だ! この地に実った果実一つ、作物一つ取り逃すことは許されん!! すべて燃やし尽くせ!!」
「しかしこの小屋はひときわ粗末だな。なんだ? 壁にあちこちぶら下げられてる草は。こんなものを食ったって腹の足しにもならんだろうに」
目の前で、鎧を纏った騎士が下品に笑う。
そうよ、そんなものじゃお腹は満たされない。だけど頭痛がひどい日にそれを食べたら、早く良くなった気がして──それ以来、保存のために乾燥させていたのよ。
それを、生きるための努力を、笑わないで。
だけどそんな反論も、もう声にならない。彼らは私のことなんて、視界にも入っていないみたいだ。
──当たり前か。私は床に這いつくばって、彼らの目からは文字通り見えないんだから。
ああもう、腕どころか指も重い。
生家である侯爵家を追放される少し前、たった一人の味方だったおばあ様が亡くなる直前に贈ってくださった指輪が、妙に光って見えた。
体が動かなくなって、あくびも出ないのに、意識がぼやける。
『これから私も死ぬんだ』
そう理解した途端。
なんだか無性に、今までの人生すべてに腹が立った。
「最っ低だわ、くそったれ……!」
初めて使う下品な罵倒を口にしてみたけど、全然気が晴れず、吐血まじりのため息が出るだけだ。
こんなことなら、もっと文句を言っておくんだった。
変なプライドなんて捨てて、自分と同じ境遇の人たちと結束し、国に不満を訴えればよかった。
そうしたらきっと、こんな馬鹿みたいな。
魔法を使えないだけの普通の人間なのに賤民とか呼ばれることも。
王国民を呪い殺したとかの有り得ない理由で、皆殺しに遭うことも。
たった十五歳で、斬り殺されるようなこともなく──
──違う。
とりとめもない愚痴を、自分で否定する声がした。
ただ不満を訴えたって、あいつらが。うちの両親のような貴族たちが、耳を貸すわけがない。
だけどそれならどうしたらいい?
もう、頭の中が纏まらない。目蓋が重い。呼吸ももう、続かなくなっていた。
眠りに落ちる直前、色々なアイディアが浮かんでは消えていくあの感覚に似ている。人の死に際は、それまでの思い出や後悔がまぶたの裏に映ると聞いたのに、私はそんなところすら普通の人とは違ったみたい。
頭が、考えることをやめない。
魔法を使えない私たちが、ほかの人となにも違わないことを証明できれば。
例えばもしあの草が、魔法よりも簡単に、誰かを救えるものだと証明できたりすれば。
もしかしたらこの世界を、私たちの扱いを。ひっくり返すことができるかもしれない?
そんな夢物語を想像しながら、意識を手放す。ぐるぐると体全体が振り回されるような感覚があって、不意にまぶたの裏が光った。
これが噂に聞く走馬灯かしら。
チカチカと点滅していたそれが、やがてぼやけながら強くなっていく。そのうちにまぶたの裏すべてを覆い始め、私は目を強くつぶった。
まぶしさが増す。そうだ、これ、まぶたの裏に映った光なんだ。
だったらどうする? そう考えている間にも、ずっと光の強さが増し続けていく。
目が痛い。まぶたの裏に溢れた光が、頭を突き抜けて行くような気さえする。
もうまぶしくて、目を閉じてもいられない!
「なんっなのよさっきから! 今から人が死ぬって時に!」
静かに死ぬことも許されないのかと思って、叫びながら飛び起きる。
そんな私の目に飛び込んだのは。
「っ、ジェンティアーナ……!」
思いきり目を見開いた、おばあ様の顔だった。
「え……あれ……?」
「よかった、ひどくうなされていたから心配したのよ。大丈夫? お熱がある? もし熱があるようなら、解毒石を……」
「熱、はないと思います。それよりおばあ様、なんでここに……?」
「なんでって。お前の侍女が教えてくれたのよ。一つ屋根の下で可愛い孫が辛そうにしているのに、駆けつけない婆がいて? ……ああ、ごめんなさいね。同じ敷地に住んでいるというのに、駆けつけない親だっているんだものね」
まだ頭の中がぼやけている。なぜ、おばあ様が私の目の前にいるのかしら。
だっておばあ様は、一年前に亡くなったはずよ。
だから私は侯爵家から勘当されて──。
「え、嘘……!!」
よく見れば、私が使っているのは柔らかなベッドだ。
なめらかな生地の寝間着に、少し身じろいだだけで弾むマットレス。ストロベリーブロンドの髪も、血に汚れたりはしていかった。
混乱する私を、おばあ様はひどく心配そうなお顔で覗き込んでくれる。
優しい、穏やかなお顔。だけどその表情が、次の瞬間には思いきり歪んで、窓の外を見た。
なにかあるのだろうかと、窓に向かって少し身を乗り出す。
窓の下には色とりどりの花が咲く庭園と、手前には馬車用の石畳が通っている。おばあ様の視線の先は、その通路の終点だった。
扉の開かれた馬車と、恭しく頭を下げている御者。そしてそこに向かって笑顔で駆け寄っていく親子三人の姿があった。
ソフォーラ・イリアルテ。──私の妹と、私とは一年に数回しか顔を合わせてくれない、両親だ。
「まったく。ティアナが急に体調を崩したという話は、本宅にも伝わっているはずなのに。それを放って今日も神殿で大規模治癒会だなんて。離れと言っても同じ敷地内に建っているのだから、まずティアナを訪問すべきでしょうに」
お怒りになるおばあ様に、私は愛想笑いしか返せない。
大規模治癒会。
治癒魔法を使えない人を集めて、ソフィーが神殿を借りて行う一斉治癒の会合だ。
ほとんどの人間は魔法を使うことができる。
だけどそれは火や水、光や闇と言った、世界創造の根源になったとされている魔法に限ったものだ。しかも治癒魔法は特殊で、どんなに勉強したとしても使えるようになるかどうかは賭けのようなものらしい。
使うことができるのは、百五十人に一人くらいと言われている。
さらに治癒魔法の強さは一律じゃない。数日続く咳のような軽い呪いしか癒せない人もいれば、切断された腕をなんの異常もなく繋ぐことができる人まで様々だ。しかもその治癒は基本的に、一対一の対面で行われる。
つまり習得も、そして行使すらも。集中して行わなければいけないほど、難しい魔法であることは間違いない。
なのにソフィーは、その常識をたった五歳の時に打ち破った。
広い講堂いっぱいに詰めかける人々の呪いや怪我を、ただ祝福を受けに来ただけの幼児が、一斉に治癒してみせたんだ。しかも、普通の治癒師の術よりも遙かに早いスピードで。
──それ以来ソフィーは毎日神殿に招かれ、お布施の対価として、街の人々に治癒を行っている。
父母にとってソフィーは手放せない宝物で、私はおばあ様の住む離れに、行儀見習いという名目で預けられっぱなしだった。
「そんなことはいいんです、それよりおばあ様。今は……何年です?」
「ええ? カンデラリア皇紀203年よ。それがどうかした?」
言葉が出なかった。
おばあ様が亡くなる二年も前だ。私が死ぬ、三年前。
つまり私は十二歳で──私とおばあ様が、本宅の離れで暮らしていた頃。
私がまだ自分のことを、魔法を教わっていないから使えないだけの普通の人間だと。
賤民ではなく、貴族としてふさわしい人間だと思い込んでいた頃に、戻っている。