カミルに手を引かれ、やってきたのは白い壁に翡翠が散りばめられた離宮だ。入口で先導の侍女が礼を取り道を譲る。
カミルはそのまま扉を開けた。
部屋に一歩踏み込んだ途端、白檀の香りが漂う。奥にはカミルの背中越しに大きな寝台が見えた。白檀は崔淫効果のある香だ。ここはつまり初夜の閨という事だろう。
韵華も一端の公主なのだから知識はある。しかし、死を覚悟していた韵華には全くと言っていいほど現実味が無い。子を成す事無く逝くのだと思っていた。それなのに、訳も分からないまま、叶わなかったはずの未来が目の前にある。
韵華はこの後の行為を想像し、瞬く間に紅潮した。思わず引き返そうとする腕を強引に引かれる。
「ちょっと、離して!」
抗議の声を上げると、カミルはにやりと笑った。それは意地悪で楽しげな顔だ。
「やっと喋ったな。人形かと思ったが、ちゃんと血の通った人間らしい。安心した。可愛い声だ」
そう言いながらも寝台に近づいていく。韵華は反抗したが、力及ばず引きずられていく。
そのまま寝台に投げ出された。
はずみで衣の裾が捲れ、細い素足が晒け出される。峰嵩ではみだりに素肌を晒すのは下品だとされ、重い衣を幾重にも重ねるのだ。
ただでさえこの国の花嫁衣裳は布地が少ないのに、素肌を初対面の男に見られるなど恥でしかない。慌てて裾を正すとカミルは声を上げて笑った。
「そんなに慌てなくても、子供に手は出さないよ。お前、まだ十三だそうじゃないか。子供を花嫁に差し出すなんて、峰嵩では普通なのか?」
韵華はその言葉にカッとなり声を荒らげる。
「子供じゃないわ! ︎︎もう笄礼も済ませた立派な大人よ!」
笄礼とは峰嵩に於ける女子の成人の義だ。髪を結い上げ、初めて笄を刺す。本来は十五で行う儀式だが、韵華はこの婚姻が決まった時に済ませていた。
「そりゃ、確かに他の人より早いけど……でも前例が無い訳じゃないわ」
韵華は帝室の一員だ。峰嵩の帝室では往々にして若い内に嫁ぐ事がある。峰嵩での女性の地位は低く、多くの場合、臣下に褒美として下賜されるため、初潮が訪れた公主から嫁いでいく。そのため二十も三十も歳上の男に娶られる事も珍しくない。韵華は恵まれている方なのだ。
「私は……」
韵華も自分の価値を分かっていた。戦の火種になる事。そのはずだったのに。
それっきり黙り、俯く韵華の顔を、寝台に上がり隣に胡座をかいたカミルが覗き込む。
「死ぬ予定が外れて不服か?」
核心をつくカミルの言葉に韵華の肩が跳ねる。これは極秘で進めてきた計画なのに、カミルには知られてしまっているのか。
どくどくと心臓が煩く鳴る。目論見がバレてしまっては韵華の価値が一気に下がってしまう。人質にもならない韵華はセーベルハンザにとって利は無く、生きて第三王子の妻となっても峰嵩の利にはならない。戦が目的なのだから親交など意味は無いのだ。
負け戦になろうとも、峰嵩に大義名分を与えるのが韵華が死ぬ意味だった。
ただ死ぬだけでは駄目なのだ。自死を選んでも、セーベルハンザを討つ理由にはならない。どころか、逆にセーベルハンザに有利になる可能性が高い。
そうなってしまったら、峰嵩など一溜りもないだろう。どうするべきなのか判断できず、韵華は青い顔でカタカタと震える。
そんな韵華を、カミルはそっと抱きしめた。
「俺も本当は死ぬはずだったんだ。考える事はどっちも同じ。父は俺を殺して峰嵩に戦を仕掛ける気でいた」
離れようと暴れた韵華だが、辛そうに絞り出される声が胸に刺さる。
まさかセーベルハンザも戦をする気でいたなんて思いもよらなかった。国力に差があるのだから、そんな小細工を弄する必要は無いように思うが、やはり必要なのは大義名分。侵略は諸外国の反感を買いやすいものだ。
第三王子など予備の予備。第八公主という立場の韵華にもそれは理解できた。
王や帝は女を囲うのも共通するところだろう。峰嵩に後宮があるように、セーベルハンザにはハレムがあった。尊き血を残すための悪しき因習だ。
「俺の母はハレムの第七夫人で身分も低い。弟達の方が余程王位に近いよ。だからこの婚姻には俺が選ばれた。死んでも惜しくない俺が」
縋るようにきつく韵華を抱きしめるカミルの声は泣いているように聞こえた。
韵華には、その気持ちが痛いほど分かる。国のためと遠い異国に一人で嫁いできたが、死ぬのは当たり前だが怖い。韵華の母も下級妃嬪だ。女官として後宮に勤め、父帝に見初められた。
後宮での扱いも酷いものだ。韵華が産まれた後、帝の寵愛は他に移った。寵を受けられない妃は、小さな離宮で侍女も少なく、ひっそりと暮らすしかない。
おそらくハレムも似たようなものだろう。女が一人の男を巡って争う、醜い場所。しかもその目的は愛では無い、権力だ。国の女の頂点に君臨し、金を湯水のように使う。
そして運良く男児を産めば、次の目的は玉座に向かうのだ。しかし、それが女児であれば寵はあっさりと失われる。特に秀でた美しさを持つ女であれば、寵は注がれ続けるかもしれない。だが地位を得た者との扱いの差はやはり大きい。
表舞台に立つために、人々の羨望を浴びるために、女達は争うのだ。
韵華の母は、その戦いに敗れ、存在さえ忘れ去られていた。今回の話が持ち上がって、初めて韵華の存在を認知した父帝は、これ幸いとセーベルハンザへ送り出したのだ。
失っても、なんの損失も無い韵華を。