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 信号が切り替わった回数を算えるのにも飽きてきた頃、素子の方に鼻先を向けて一台の車が近づいてきた。ハイビームを点けているらしく、ヘッドライトの光が無闇に眩しい。素子は細めた目を凝らしてそれが乗用車でないことを認めると、急いで家の角を曲がってガレージの前に立った。普通免許も二輪免許も持っていないのでガレージの半分には屋外用物置を置いている。残り半分の前に立って手を挙げていると、はたして車は角を曲がって住宅の建ち並ぶ私道へと入ってきた。


 レトロバスを思わせるターコイズ色のバンから降りてきたのは二人の男性と、驚くことにどう見ても成人していない一人の少女だった。


「申し訳ありません。道に迷ってしまいまして」


 そう言って頭を下げたのは事務所でも顔を合せたフラミンゴである。


「いいえ、この辺は目印もありませんから。それよりそちらのお嬢さんは」

「はじめまして。調査員の池田小夜です。よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げた少女は中学三年生か、もう少し行っているにしても高校は卒業していないように見えた。まだ化粧を知らないと見える白い肌に、くりくりと大きな目が印象的である。そこだけリップかなにかを塗っているらしき唇が、ぷっくりとしたアヒル口なのが同性としてはうらやましい。


 服装は流行りのチューリップ帽を取り入れつつも、パステルピンクのパーカーとブラックデニムを合わせたアクティブスタイルでまとめている。完全にガーリーには傾かない、いや気恥ずかしくて傾けない、大人になりたい盛りの女の子という感じがして可愛らしい。これは男子に大モテだろう。


 ソーシャルゲームのキャラクターに例えるならチュートリアル担当のSRキャラ、のちに事件の核となる出来事に関わっていたことが明かされて、衣装チェンジしたSSRが実装されるタイプだ。発注書には誰からも好かれるような明るい子と書かれているに違いない。


 残るひとりの男は闇と同化するように立っている。彼の着るコートを引っ張って少女――小夜は尖った声で言った。


「ちょっと! 挨拶!」


 男は知らん顔でいる。玄関ポーチに灯した光がその輪郭だけを白く際立たせ、コートのうちにみっちりと詰まっているらしき筋肉の隆起を明らかにしていた。ほんのりと白い顔面は、しかし、上半分が夜と同化している。それというのもこの暗いのにサングラスをかけているからで――耳元で光っているエンブレムからするとプロ仕様の高級品だ――わずかな光も許さじとばかりに眉から頬のすぐ上までを覆っているのは異様としか言いようがなかった。


 こちらもゲームで例えるとすれば、闇属性のSSRキャラクターだろう。設定にスイーパーとか吸血鬼とか、仇敵との因縁とか、心を許している唯一の友がいるとか、女子受けの良い言葉が大量に書かれている感じの奴だ。間違いない。


 その長身が、見蕩れるほど長い足をアプローチへ向ける。サングラスのテンプルを持ち上げて一階から二階までをつくづくと見渡す横顔を、素子は素早く脳内でスケッチした。


 鼻の付け根から眼窩の天辺までのラインが日本人離れしてる。眉間も高い位置にあるから、正面から見たらきっと眼球に濃い影が落ちているはずだ。唇が薄くて、目はおそらく細いアーモンド型。そうするとかなり酷薄な印象にまとまる。悪役のストックにさせてもらおう。


「彼はケイレブと言って、うちのもうひとりの常勤です」


 ボンネットの前を大きく横切りながらフラミンゴが言った。


「これで全員ですか?」と、素子は用意した客用寝室を思い浮かべながら言った。まだなにも置いてない上に八畳もあるから余裕で泊まれはするだろうが、はたして男二人の中に若い女の子を放り込んでいいものか。

「あとひとり、非常勤の調査員が来る予定です。到着は明日の午前中になるかと」

「わかりました。じゃあ、ご案内しますね」


 そう言って家に向き直った時には、ケイレブなる闇属性男はサングラスを元の位置に押し込んでいた。家を見つめたまま微動だにしないもので、彼を避けながら素子は歩きだしたのだが、そこに物言いがついた。


「え!? 帰るんじゃないんですか!?」


 甲高く叫んだのは小夜である。素子が振り返ると、彼女はハッとした様子で首をすくめた。


「ごめんなさい、大声出しちゃって。住宅街って、けっこう声が響くんですね」

「それは構いませんけど。私はいないほうがいいでしょうか?」


 小夜はフラミンゴを見上げ、フラミンゴの方でも小夜を見下ろして、それぞれ困惑の色を浮かべた。


「いえ、異常が起こった時と同じ状況を作れるのは助かります。しかし――」

「うん。鍵渡して帰るって思ってました。だって……怖いでしょ?」

「怖いことは怖いですよ」と素子は答えた。「だけど、とことん落ちるところまで落ちてこれで最後って思ったら、なんだかやる気みたいなものが湧いてきちゃって。もしお邪魔でなければお手伝いさせてください」


 素子が笑うと、フラミンゴと小夜は再び顔を見合わせた。フラミンゴの方は表情を取り繕えているが、小夜の方にはデカデカと心配の二文字が浮かんでしまっている。やけっぱちの挙げ句に正体不明の自信を持ってしまったとでも思われたのかもしれない。


 それならそれで良いと素子は笑みを深めた。実際、そうかもしれないと自分でも思うところである。ただし、それだけではないことも理解していた。


 人間、誰しもが切り札を持っているものだ。ただし、それは切ってはならない。いかに苦しくともそれに手をつけずにいること、それ自体が矜持になったり意欲に繋がったりする。そして、いよいよ切り札に手をつけなければならないと悟った瞬間、ふうっと体から力が抜けてしまうのだ。凧が、糸の切れてしまって風に運ばれていくように、現実との接点がぼやけて体は動いても意志が定まらなくなってしまう。


 素子の場合、それは父親である。もし老いた父に頼らねばならないと悟れば、そっと消えることを選ぶのだろうなという確信があった。そこに至らない為の最後の砦として、超能力者の運営する探偵事務所を選んだのは、自分でもどうかしていると思う。だって、砦までの道は霊能者や占い師の裏切りで舗装されていたのだ。

 覚悟してなお震える手で鍵を開けながら素子は祈った。


 どうか信じさせてください。今度こそ本物であってください。あなたたちが駄目なら、私はもうどこにも行けない。否、行く場所はひとつしかなくなってしまうんです。

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