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 ははあ、とフラミンゴは内心で笑った。施術とはまた、怪しい業者の代名詞であろうに、よくも臆面もなく使うものだ。あなたの魂には悪霊が憑いています、ついてはお祓いと二度と同じことが繰り返されないよう波動を修正しましょう、施術費用はこれこれ――とは最近流行りの手口と聞き及んでいる。要調査の三文字を頭に刻みながら尋ねた。


「効果のほどはいかがでしたか?」

「まったくといって。先生の名前は覚えています。名刺をもらいましたから」


 スポーツバッグから取り出した名刺を柴家素子はテーブルに置いて滑らせた。受け取って確認してみて、フラミンゴは吹き出すのを我慢しきれず拳で口元を押さえた。


 なんせ名刺は霊能者のものというより、夜職のものといったほうが納得のデザインだったのである。まず目につくのがピンク色のグラデーションと、全面に散りばめられたファンシーなハートマークだ。中央に大きな『愛華』の二文字、それよりは小さな文字で固定電話の番号とメールアドレスが印刷されている。そのメールアドレスがふるっていた。後半はよくある大手キャリアのドメインなのだが、前半のアルファベットはいかに良心的に判読しようにも『ラブリーアイカ』としか読めない。


「な、なるほど。愛華先生と、仰るのですね。どのような方でしたか?」

「二十代寄りのアラサーという感じですね。ヤンママ風と言って伝わりますか? 髪は茶髪で派手で長いネイルをしていて、化粧もバッチリで。服装だけは巫女さんのような着物を着ていらしたけど、着慣れている感じはしませんでした。ほら、マンガを映画化した時にいかにもコスプレって感じの俳優がいるじゃありませんか。ああいう雰囲気です。この人で大丈夫なんだろうかってもちろん思いましたよ。でも、面と向かって言えないじゃないですか。それでともかく挨拶をして家を見てもらって。霊の出た場所を尋ねられましたのでリビングへ案内しました。すると、なんていうんでしょうか、小学生がやるカンチョーを片手でするようなポーズをして」


 こうですか、とフラミンゴは左手の人差し指と中指だけを立てて示した。


「そう、そんな感じです。そして『私にお任せください』と言って、キラキラした本みたいなものを取り出したんです。表紙は千代紙みたいな柄入りで、真ん中にはずいぶん達筆な文字が書かれていました。それで開くとアコーディオンのように広がるんです。先生は両手で表紙を持って本を開いたまま、なにかを唱え始めました。内容は聞いていましたがよくわかりませんでした」

「巫女ということは神道系でしょうかね」人差し指と中指を立てていたのは密教だの陰陽道だのでいう刀印や剣印を結んでいたのだろうと思ったが、さておいてフラミンゴは思いつくところを口にした。「高天原に神留かむづます、聞き覚えはありませんか?」


 柴家素子は首を横に振った。


「では、掛けまくもかしこ伊邪那岐大神いざなぎのおおかみとか。かしこかしこもうすとか」

「そういうのじゃありませんでした。なんて言うか、そういう呪文じゃなくて、歌っぽい感じでした。曲の感じは、ほら、何年か前に沖縄の歌手がヒットしましたよね。もう亡くなってしまった人に向けた曲。あの感じにそっくりでした。五分か十分かわかりませんが、しばらくしてから先生は唱え終わったのか本を閉じました。それから私にお札を一枚差しだして、それを玄関の扉に貼るように言ったんです。私、思わず言ってしまいました。もしかして、これで終わりですかって。先生は笑って言いました。あら、ほかにもレイショウがあるんですかって。そう言われるとどう返事していいかわからなくて、お金を払って先生をお見送りしてからその日は終わりにすることにしました」


「終わりにしたというと」

「家で寝ることにしたんです。とても疲れていたもので。ネットカフェって毛布を借りても寒いし、床は硬いし。たまにホテルを取ったって家のことやこれからのことを考えると安眠なんて到底できませんし。まあ、こわごわではあったんですけどね。言われたとおり、玄関のドアの外側にお札を貼って、それから寝室で寝ました。寝付けないだろうと思っていたんですが、やっぱり疲れが出たんでしょうね、すとんと眠りに落ちました。次に目が覚めたのは、真夜中と言っていい時間。あの音がまた聞こえてきたんです。トイレの水が漏れる音。さーさーって言っていて、でも前と違って私は動けませんでした。だって、施術が成功したなら水漏れは収まるはずでしょう? それが収まっていないということは、そういうことじゃないですか。


 今すぐ家を飛び出そうと思って、でもその瞬間になにかが起こったらと思うと怖くて、それで目が覚めた時のまま固まっていたんです。そうしたら、次に泣き声が聞こえてきました。赤ん坊の泣き声です。同時に水漏れの音も大きくなっていく気がして、耐えきれなくなって私は布団を頭まで引き上げました。小さくなって、丸まって。あれに見つかりませんように、このままどこかへ行ってくれますように、必死に祈りました。祈って、祈って、どれだけ経ったのかはわかりません。気づくと泣き声も水の音も聞こえなくなっていました。それでも怖いのは収まらなくて、どれだけかわかりませんが、しばらくじっとしていました。


 自分の呼吸を何度も数えて、それでもなにも起こる気配はなくて。それで、私は勇気を出して布団の外を覗いてみることにしたんです。そうしたら――いたんです。空中に赤ん坊が浮かんでいました。はいはいのポーズで空中に浮かんでて、私と目が合うとあうとかわうとか言ったと思います。普段から子どもとの関わりなんてないものですから、それがどういった感情か私にはわかりませんでした。ともかく、それが合図だったようです。赤ん坊が手を伸ばして、足をもじもじさせて、ゆっくりと近づいてきました。空中を這ってたんです。なにもないのに床があるみたいでした。私は目を逸らそうと思うことさえできなくて、赤ん坊に釘付けになっている間に一メートル、九十センチ、八十センチ、私と赤ん坊の距離は縮まっていきました。あと少しで向こうの手が触れるという時です。理由はわかりませんが、赤ん坊が笑ったんです。その瞬間でした。どうしてか体が動いたんです。ベッドから飛び出して、私は転けそうになりながら階段を降りてバッグを掴んで、もうバスもない時間でしたので、息の続くかぎり駅の方へ走りました」


「おつらいところを承知で伺いますが」

「はい、なんでも訊いてください」

「赤ん坊がそのあとどうしたかは見ましたか? たとえば、寝室を出て追ってきましたか? 玄関はどうです? お札のところで立ち往生したとか」

「いいえ――いいえ、わかりません。そんなことわかりっこないんです。だって、目の前しか見えなかったから。覚えているのは街灯に虹がかかってたこと、走るたびにバッグが背中にぶつかっていたかったこと、そんなことだけです」


「わかりました。ありがとうございます。愛華先生にはその後、連絡を取りましたか?」

「もちろん取りました。だって、五十五万円も払って、一時間もかからない施術で、効果はまったくなかったんですから。そうしたら言われたんですよ」


 歪んだ笑みを浮かべて柴家素子は言葉を放った。


「あなたの魂は浄化が必要ですって。そんな言葉、質問ひとつで五千円の占い師にだって言えますよね。実際、何度も言われました。浄化、浄化って。いったい、私には何体の幽霊が取り憑いているんでしょう。あと何回施術を受ければ私は本当に浄化されるんでしょう。ねえ? どう思いますか?」

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