「なんですか、それ」
「マンガの設定でそういうのがあるみたいだ。見るだけで呪われてしまう道具、恐ろしい化け物が潜む異界への扉を開く道具、使った人に死を与える道具――」
どきりと跳ねた胸を押さえつけて小夜は相槌を打った。
「そんないわく付きの道具をそのマンガでは甲一級呪具って呼ぶんだって。昔なら小学生が面白がって終わりだったんだろうけど、今はこの情報化社会だろう? ネットの住人たちが面白がっておもちゃにするうちに一般化して、いつの間にかオカルト用語になったそうだよ」
「いわく付きなんて。誰が買うんですか」
商品の横に書いてある数字をよく見てみれば、けっこうな数のゼロが並んでいた。ものによってはブランドバッグより高いものさえある。そこまでのお金を払ってでも誰かに害を為したい人がいる、にわかには信じられないと思った直後に苦いものがよぎって小夜は唇を噛んだ。いるだろう、絶対に。死から免れる為、安逸な死を迎える為にお金を積む人がいるのであれば、苦痛を他人のせいにしたり他人の不幸を望んだりしてお金を積む人もまた存在するに違いないなかった。
「それこそ金運を高めたい人とかかな」
「え? でも、いわく付きなんですよね?」
「マンガではそうだって話だよ。現実では、ほら」と、明石は商品のひとつを選んで解説ページを開いた。「幸運のいわれがあるものを売ってるみたいだ」
そのページには、おむすびみたいな形をした木目込み人形の写真が数点、それから細々とした文字が並んでいた。反対からではあるが画面の文字を読んでみたところ、この人形にはある一族に莫大な富をもたらした座敷わらしが封じ込められているらしい。当主が困難に見舞われるたびに小さな女の子が現われては良き道を指し示してくれ、おかげで一族は地域で知らぬもののない大金持ちになったのだそうだ。
「これ、すっごく怪しくありませんか?」
「怪しいねえ」と、明石は肩を揺らしている。
「こんなに御利益があるものを手放すなんてありえます? だって、子孫のことはどうでもいいんですか? おかしいじゃないですか」
「その点も抜かりなしみたいだよ。ほら、下の方に書いてある。座敷わらし様のおかげで一族は十分な富を得られた、こんなに素晴らしいものを一族で独占していてはいずれバチが当たると考えて売りに出すことにしたってね。もっとも座敷わらしに関しては、そもそも言い伝えが残っていてね。座敷わらしに危害を加えたら家から去ってしまって一族が没落したとか、座敷わらしに去られた一家が病で全滅したとか」と明石は空中を叩いた。「ああやっぱり、TIPSにも同じ情報が書いてある。けっこう有名な話だと思うんだけど、普通の人は知らないのかな?」
「ますます怪しいじゃないですか。どういう思考回路なんですか、その人。だいたい、これを手放した人って生まれつき裕福だったんですよね? じゃあ、どうやって一族の繁栄がこの人形のおかげだってわかったんですか? 言い伝えがあったから? そんなの私なら信用しないと思います。だって、今の時代ですよ? 江戸時代じゃないんですよ? 普通に過ごしててオカルト的なことを実感するのって、普通の人は除夜の鐘とかお盆とか、そんなものじゃありませんか?」
「普通から外れてる身としては、その辺りの感覚はわからないけど。言いたいことはわかるよ。僕だってこんな能力がなかったら、超能力なんて信じなかったと思う。なにせ超能力が前に流行ったのって1970年代だからね。僕らの親世代より上かも。それだってスプーンを曲げて喜んでるような牧歌的なものだったしねえ。僕ら科学の申し子世代とその上世代が、代々伝わる言い伝えを信じるかって言ったら、そりゃあ信じないかも。まあ、金運のお札くらいは信じてもいいかもしれないけど、それだってちょっと頼ってみようかな、くらいのものじゃない? ましてや座敷わらしってさ」
「私なら絶対に信じません! こんなの詐欺ですよ詐欺! お金があったらわざと買って訴えてやりたいくらいです」
「あ、でも。見てよここ、ちゃんと予防線を張ってある。効果は人によるんだってさ!」
携帯電話をテーブルに放り出し、明石は腹を抱えて笑い始めた。小夜としては複雑である。要するに友達が引っかかったのはこの類いの、もう少しマイルドな奴であると突きつけられた形だ。程度がどうであれ、騙されてお金を取られたことには変わりなく――ああ、まったくもう、どうやって慰めればいいんだろう。
「ともかくさっきのオカルト本を調べてみたいです。URLを送ってくれますか?」
「構わないけど。アタリの可能性は低いと思うよ」
アタリ、という意味がわからなくて小夜は首を傾げた。
「君の友達が買ったお札が本物だって可能性だよ。だって、考えてもご覧よ。例えば一ヶ月にわたって十穀断ちして、そののち霊験あらたかな滝で身を清め、古木から削り出した薄皮に血を混ぜた墨でもって以下の呪文を書け、なんて条件が設定されていたとしようか。意気込んでいる人だって十穀断ちの時点でうんざりしそうなものじゃないか。ましてやお金稼ぎが目的で、占いすら面倒くさがった三谷君だよ? そんなことをしていると思うかい? 逆にそんな条件がまったくこの本に書かれていなかったとしようか。君ならそんな本を信用できる? だって、お札を書くのは一般人だよ? 超能力者でもない、穢れがなんぞやもハレとケの違いも知らない、もしかしたら加持祈祷を見たことすらないかもね。
じゃあ、そんな人がいきなりお札を書いてみたら? お札は力を発揮するかな? しかも三谷君は自分の為に書いたんじゃない。顔も名前も知らない、どうでもいい人間に買ってもらう為に書いたんだ。これで御利益があったら、この本は歴史に残るセールスをたたき出していたと思うよ。だって、口コミがオカルト界隈って狭い範囲に広がるだけで終わると思うかい? 噂は必ず噂を呼ぶ。得する噂、面白い噂ならなおさらさ。誰にも言ってはいけないなんて常套句がなんで生まれたと思う? つまりはそういうことだろう?」
ケイレブとは違う方向から、しかも今度はわかりやすくぐうの音も出ない説を展開されて小夜はすっかり参ってしまった。わかってはいるのだ。このお札を調べたところで、本物だという証拠はきっと出てこないのだろう。
「でも、友達の助けになりたいんです」
ぽつりと小夜は言った。しかも特別な友達というわけではない。同じクラスの同じグループで毎日話しているだけの友達だ。しかし、詐欺だったら許せないと思った。どうにかしてあげたいと思ってしまった。できれば本物であれと願ってしまった。
「理由は自分でもわからないんです。それでも、そうしたい。だから、できることは全部やってみるつもりです」
明石はまぶしいものでも見るように目を細めて小夜を見た。
「君がそうしたいなら僕は止めないよ。だから、言うことはあとひとつしかない」
小夜が承る姿勢を見せると、明石はテーブルの上に放った携帯電話を取り上げた。
「実は昨日、新宿の朴念仁からメールをもらってね。僕たち二人、近々フラミンゴからお呼びがかかる可能性があるらしい。かなりの高確率だから、その気があるなら準備をしておけってさ」
「準備ですか? どんなことをすればいいとか書いてます?」
「珍しいことに書いてある。水難、だってさ」
「水辺に幽霊が出るって話ですか?」
「いやあ、どうだろう。それしか書かれてないし。なにがどう水難なのかはわからないや」
あははと明石は慣れた様子で笑っている。小夜は内心で拳を握った。あの野郎め、今度会った時にはどうしてくれよう。
それにしても水難とは、また季節はずれなことである。真夏の海岸や川辺なら似合いの怪談がごろごろしているだろうが、この冬の寒いのにそんなところへ肝試しに行った人でもいたのだろうか。とりあえず、虫除けスプレーくらいは必要かな、と小夜はノートの端にメモを取った。
× × ×
いい? あんたが親友だから話すんだから。ほかの人に話しちゃ、絶対に絶対に駄目なんだからね。私に隠れて話そうって思った? ダメだよ、ダメ。ちゃーんとわかっちゃうんだから。だって私、この話はあんたにしか話すつもりないし。話したってわかったら絶交だから。じゃあ話すけど、約束守ってよ。いい? 絶対だからね。
話ってのはきいちゃんのこと。あの子の家が燃えちゃったのは覚えてる?
――そうそう、あのアパート。葡萄園の横に建ってたやつ。実はあそこでね、赤ちゃんが死んだんだって。なんでかっていうと、もちろん火事だよ。あの火事で燃えちゃったの。
――違うってば。きいちゃんの兄弟じゃないよ。別の家の子。
火事の時ね、赤ちゃんのお母さんとお父さんは用事があって外に出てたんだって――そう、赤ちゃんはひとりでお留守番してたの――理由なんて知らないよ。よく寝てるからそっとしとこうって思ったんじゃない? とにかくさ、火事になった、みんな逃げなきゃって時に赤ちゃんはひとりで家にいたわけ。だけど、ほかの家の人はそのことを知らなかったんだって。
――ううん、そこに赤ちゃんが住んでるってことは知ってたみたい。でも、赤ちゃんがひとりで留守番してるとは思わなくて。消防車が来たってさ、住んでる人も知らないことを消防の人がわかるわけないじゃない? だから、だーれもそこに赤ちゃんがいるとは知らないまま。火を消した時にはぜーんぶ遅かったんだってさ。
焼け跡からね、小さな小さな真っ黒焦げの死体が出てきたらしいよ。
ほんとだよ、うちのお母さん言ってたもん。きいちゃんとはもう遊ばないでって。きいちゃんはきっと呪われてるからって。
――わからないかなあ。もし自分がその赤ちゃんだったらって考えてみてよ。きっとすごく熱くて苦しくて、喉だっていっぱい渇いてさ。きっと一生懸命泣いたと思うよ。助けて、誰か気づいて、ここから出してって。それでもお母さんもお父さんも来てくれない。誰も気づいてくれない。助けてもくれない。そのまま体が端っこから火に焼かれていって、天井から燃えた木とか落ちてきてさ。そんなの全員呪うに決まってるでしょ。助けてくれなかった人たち、全員が犯人みたいなものだよ。きいちゃんだってそれは同じ。あの子だって赤ちゃんを助けなかったんだから。
いい? そういうことだから。今度からきいちゃんと話すの禁止ね――はあ? あんた呪われたいの? いいの? 夜にひとりで寝てるとき、真っ黒焦げの赤ちゃんに襲われちゃうかもしれないんだよ。もしかするとそのまま連れてかれちゃうかも。同じ目に遭わされるかもしれないんだよ。それでもいいなら勝手にしたら?
とにかく私はチューコクしたから。ただ言っとくけど、きいちゃんと話してるとこ見かけたら、その時は絶交するからね。私にまで呪いが移ったら大変だもん。いい? わかった?