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 今日もソーシャルネットサービスには迷惑なメッセージが何通も届いている。


 電車に揺られながら、小夜はメッセージを開封しては断りの文章を打つという作業をしていた。曰く、友達を呪ってしまいました、呪いを解く方法を教えてください。曰く、好きな人に振り向いてもらいたいです、力を貸してくれませんか。曰く、今彼との将来が思い描けません、別れたほうがいいでしょうか。


 知らない知らない知らないったら。小夜は内心で文句を垂れながら、それを極力丁寧な、相手を刺激しない言葉に代えて打ち込んだ。好きな人との運命なんて私にわかるわけないじゃない。まったくもう、誰がどこで言いふらしているんだか。ものっすごい迷惑なんだけど。


 自身に超能力があることを、小夜は友達にも先生にも打ち明けていない。だって、小夜のそれは『死』が見える能力なのだ。花とおしゃべりする能力とか、テストで出される問題がわかる能力とか、そういうものだったら特別仲の良い友達には明かしたかもしれない。しかし『死』が見えるだなんて、可愛くもなんともないし誰を喜ばせることだってできやしない。ねえねえ見て、そこのおじさん、そろそろ死ぬよ、理由はねえ、ごめーん、私の目じゃ死因まではわからないんだ、なんて言われて困らない人はいないだろうし、小夜だってそんなことは言いたくない。だってそんな話を日常のおしゃべりに混ぜるなんて、ただの痛い子じゃないか。


 実の両親はそんな力を持って生まれた小夜を、特殊な意味で可愛がってくれた。新興宗教を立ち上げて教祖にし、神の子と呼んで敬ったのである。いろいろあって両親とは決別して、今は親戚の後ろ盾を得て普通の女子高生をやっているのだが、しかし、誰がどうやってどんな伝手で突きとめるのだろう。メールやソーシャルネット、果ては名前も知らない上級生まで、小夜を頼ってくる人はあとを絶たなかった。


 時々、何もかも彼らにぶちまけてやりたくなる。


 ――ねえ、私がなにやってたか知りたい? なんなら体験してみる? 私は構わないよ。


 かつての小夜がやっていたこと、それは教団の旗印となって『死』を操作することだった。例えば、信者の人が余命わずかだと告白してきた時、例えば明らかに意識がない人が運び込まれてきた時、小夜は超能力で彼らの寿命を延ばしてあげた。そうすると大好きな両親が褒めてくれたから、小夜は長らく彼らの言うことに従っていた。


 実際、意識のある人は体が軽くなったとか痛みがなくなったとか言って喜んでくれたし、意識のない人はないなりに、明らかに呼吸が安らかになったり眉間の皺が取れて優しい顔つきになったりしたので、誰かから『死』を除くことは良いことだと思っていたのだ。


 けれどもある日、教団に見たこともないほどの『死』に捕らわれた老人が連れてこられた。小夜の目には『死』が黒い羽虫の群れによるもやとして映るのだが、その老人の黒々とした様といったら、本人の顔立ちすらよくわからない有様だった。もやの隙間から見える老人の手はぐったりと担架の下に垂らされていて、母が言うにはもうずっとこうして意識がない状態が続いているのだという。続けて父が言った。


 ――小夜、この人を救ってあげなさい。


 とても恐ろしかった記憶がある。だって、こんな状態の人間なんてこれまで小夜は見たことがなかった。それに『死』を誰かから遠ざけるには、もやを小夜が吸収する必要があった。どうやっているかなんて自分でもわからない。歩く時に左足を出すと自然に右手が出るように、小夜がそうしようと思うともやは取り付いていた人から離れて小夜の体の中に入ってくる。


 そうして『死』を奪うと小夜は決まって苦しくなった。息を止めてプールの底に沈んだ時のように息苦しくなって、次第に頭がガンガンしてきて、体が爆発しそうになって――結果として小夜は『死』を吐き出してしまう。我慢に我慢を重ねたとしても三十分が限界であった。


 こんなに大量の『死』を迎え入れたら自分はどうなってしまうのだろう。小夜が震えていると、老人を連れてきた親族だという女の人が叫んだ。


 ――早くしなさいよ! とにかく生きていればいいの! 八月の末までは絶対に生かしておいてちょうだい! そのあともよ! 長ければ長いほどいいわ!


 彼女の恐ろしい顔つきを小夜はいまだに忘れられない。『死』に取り付かれているのは老人だが、彼女は彼女でなにかに取り憑かれたように血走った目をカッと見開き、口から細かな泡を飛ばしていた。


 母に背を押され、小夜は老人の手を取った。いつものように『死』を自身のうちに迎え入れればそれで終わり、その時の小夜はそう思っていたがそうではなかった。『死』が小夜が吸収するより早く老人から吹き出てきたからだ。吸っても吸ってもきりがなく、ついには小夜は咳き込んで倒れた。


 吐き出しなさい、と母は言った。それで小夜は老人の隣で正座して待っていた男の人に手を伸ばした。


 小夜の観察するかぎり『死』とは生き物と共にあるものらしかった。黒い羽虫があるところには、必ず昆虫や植物や動物や人間、あるいはそのうちのどれでもないものがいた。では小夜が『死』を吐き出すとどうなるかというと、手近にいる小夜以外の生き物にまとわりついていくのである。そして、まとった『死』がある水準を超えるとその生き物は死ぬ。


 教団が所有する道場内にいる生き物といったら、それは人間だけである。たまに入り込んでくる小さな虫はいたが、人間の数の方が圧倒的に多い。遠くおぼろげな記憶ではあるが、教団を立ち上げてすぐの頃は、小夜が吐き出した『死』のせいでたいへんな騒ぎになることがままあった。そんな教訓を経て両親が思いついたこと、それは、この世には『死』を望まない人間がいればその逆もいるということだった。


 リサイクル、そう両親は言っていた。


 『死』を忌避する人には大金を献上してもらい、それを除いてあげる。逆に『死』を望む人には多少のお気持ちだけで望みを叶えてあげる。


 それが良いことだったのか悪いことだったのか、小夜にはいまだにわからない。少なくともその人は、老人の『死』を移した男の人は事前の面会で俯いてこう言った。


 ――もう、疲れたんです。生きることに疲れました。もう死にたい。終わりにしたい。だけど、わかりますか、怖いんです。死ぬってことはとても怖い。駅のホームで何本も電車を見送りました。首をくくろうと思って、でも、どうしてもロープを首にかけられなかった。だからここに来ました。ここなら安らかに眠らせてくれるって聞いて。


 老人の『死』を移すと男の人はお礼を言って、父と一緒に別室へ去っていった。小夜は最後まで見送る余裕もなく老人を見上げて震えた。こんな『死』見たことない、自分じゃどうしようもない、そう思った。それでも母は命じてきた。


 ――吸いなさい。早くするのよ。死んでしまうじゃない。


 吸っては吐きを何度繰り返したのかは記憶にない。とにかく何人かに『死』を移して、そこで困ったことになった。とうとう移すあてがなくなったのである。ここで『死』をまき散らすわけにはいかない。必死に口元を覆いながら、それでも嘔吐くのをこらえきれずにいる小夜を母は道場の外へ引きずり出した。


 ――これに移しなさい。


 それは道場の隅に植えられていた桜の木だった。その日も青々と葉が茂っていて、忘れもしない、道場ができたての頃にその下でお花見をしたことがあった。また来年もお花見しようねと約束した。来年も、その来年も、何度でも桜は咲いて、そのたびに家族で笑うのだと小夜は信じていた。


 その桜に小夜は『死』を移した。自分でもどうしようもなくて、泣きながら移した。木の幹に触れた小夜の指先から『死』はすみやかに湧き出て、羽虫の形を取るなり桜に殺到した。みるみるうちに青葉を灰色に変えていく桜を見上げて小夜は大泣きした。それでも母は許さずに小夜を道場へ連れ帰り、けれども、結末は変わらなかった。


 桜を枯らしてまで生かそうとした老人は数日後に亡くなった。湧き出てくる『死』の勢いが小夜の能力を上回ったのもそうだが、それを移せる一切が道場周辺から失せたからだった。この一件で小夜は学んだ。


 自分は万能じゃない。


 死んでしまった老人、死を移した人々、立ち枯れてしまった桜、死という死に囲まれて小夜はどこまでも無力だった。誰かは救えたのか、それとも誰も救えなかったのか。道場から運び出されていく棺を、掘り起こされる桜を眺めながら何度も考えてみたが、どうしても小夜にはわからなかった。


 両親と決別したのは、それから数年もあとのことだ。親戚に連絡を取って引き止める両親と信者たちを振り切って道場から脱出し、以後、小夜は『バイト』を除いては能力を使わないことにした。バイトというのは、ケイレブの上司様であり探偵事務所の所長であるフラミンゴからの頼まれ事のことである。


 フラミンゴは小夜の知るかぎり善人だ。依頼人の幸福を最大化することを掲げて、探偵事務所を運営している。その結果、公式ホームページに謳われた浮気調査やペット探しではなく、幽霊だの呪いだのに右往左往する羽目になっているのは気の毒だと思う。けれども、どうしても世の常識では救われない人が駆け込める場所が、超能力者が、きっとこの世には必要なのだと小夜は思う。否、まだそう思っていたいのだ。


 今度はどんな頼まれ事をされるんだろう、ひどいことじゃなければいいな。また新しく着信したメッセージを開きながら小夜はふうっと小さく息を吐いた。

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