「聞いているが」
低くなめらかな、俗に言ういい声という奴だ。響きもすこぶる良くて、こんな寒風吹きすさぶ中で売れない占い師――そうに違いない――をやるより、オーディションを受けて声優をやったほうがよほど生活が潤うだろうし、世のため人のためになるだろう。
いや、声優も良いが俳優の線も捨てがたい。今はサングラスに隠され、しかとはわからない風貌が、実はとびきり良いことを小夜は知っていた。
肌は白いし鼻は細くて高いし、広い肩幅のおかげで小顔に見えるし、一重まぶたなのがちょっぴり残念だが、目そのものは大きすぎず小さすぎずの理想的なアーモンド型だ。上背があるので当然足も長くて、しかし、個人的な意見を言うならもうちょっと筋肉を落としてくれた方が好みではある。服の上からでも胸筋が盛り上がって見えるのは、正直ちょっと気持ち悪いのだ。
「だったら、ちゃんと見てよ!」
お札を置いたテーブルを叩くと、ケイレブは唇だけを動かして答えた。
「見たが」
「あのねえ! 見たが、じゃなくて! どう思うかって話!」
そこでようやくケイレブははっきりとした動きを見せた。さも不思議そうに首を傾げたのだ。
「それこそ俺が君に聞きたい」
「はあ? どういう意味よ」
「君は俺になにを求めているんだ?」
むかっと来た小夜は、行灯をびしっと音がしそうな勢いで指差した。
「これを読んでみなさい。なんて書いてある?」
「占い、その漢字部分だけが書いてある」
「要するに! あんたは占い師でしょ! その立場からなんか言うことないわけ?」
「特にない。そして、俺は占い師ではない。それは君もよく知っていると思ったが」
「ええ、知ってますとも。だけど、商売自体は占い師のていでやってるじゃない。普通、知識とかさ、あとはネットワークとか? そういうのあるでしょ!」
「君には占いの上に書いてあるバツ印が見えないのか?」
「見えてますけど! その上で聞いてるの! そのくらいわかりなさいよ!」
心底面倒くさい男である。こちらが言ったこと、目の前にある現実、すべて四角四面にしか解そうとしない。
「直近の君にはなんの可能性も見えない」
「はあ!? 未来ある女子高生相手に失礼じゃない!?」
「答えの分かりきっている回答をすることに意味はあるのか、はなはだ疑問だ。だが、あえて言うならば――もう一度問わせてもらおう。君は俺になにを求めているんだ? 俺は占い師ではないし、拝み屋でもない。神主でも坊主でもない。その札の真贋を知りたいなら君が行くべきは陰陽師のところだ。そんなあてがないのなら、それこそ神社か寺に行けばいい。親切な神職者が相手をしてくれることだろう」
「わかった! わかりました! ちゃんとお金を払わないとまともに相手にしないって話なんでしょ! だったら、これでどう!」
財布から千円札を取り出すなり、わざと鼻先すれすれに叩きつけてやったのに、ケイレブは淡々とした声で「つまり君は俺の客になりたいのか」と呟いたのみだった。少しは身を引くとかすれば良いのに、なんて憎たらしい。ぷるぷる震える小夜を完全に無視して、ケイレブは千円札を取り上げるとその枚数を数えた。
「三千円。では、お客様、ご質問は三つまでとなります」
途端に声色は変えずに言葉だけ丁寧にするものだから、小夜の全身に鳥肌が立った。
「いや、気持ち悪いから普通に喋ってよ」
「承知しました。では、質問は? 三つまでなら答えよう」
「金運が上がるって説明なのに上がらなかった。それはこのお札が偽物だから? それとも友達の信じる心が足りなかったから? ケイレブはどう思うか聞きたい」
「そもそもの話をしよう。君の言う金運とはなんだ」
はて、と小夜は首を傾げた。ずいぶんと難しいことを聞かれたような気がする。
「えっと、だから。お金がいっぱい手に入るってことでしょ?」
「それを表わす適当な言葉は『金運が上がる』だ。金運そのものの説明にはなっていない」
「じゃあ、お金だ。お金の運命……運勢?」
「それは具体的にどういった事象を言う。給料に多寡が生じるのか?」
「タカってなに?」
「多い少ない」
ううん、と小夜は考え込んだ。サラリーマンになったことがないので給料と言われてもバイトの給料のことしかわからない。あとお金が手に入るとしたら賭け事だろうか。パチンコとか競馬とかは当たり外れがあると聞いたことがある。当たることが続けば、それは金運が上がったことになるのか。どちらかといえばツキが回ってきた、という言葉のほうが適当な気がする。いや、そもそもは金運とはなにかという話だった。つまり――どういうことだろう。
「わかんないけど。友達はバイトしてたんだから、その場合は時給が上がることを言うんじゃないの?」
「そういった話をしているのではない」と言って、ケイレブは息を吐いたようだった。「まあいい。あくまで時給が上がることをイコール金運だと主張するのならその線で話そう。だが、それは君の友人の日々の積み重ね、努力や研鑽によるものだろう。それをあくまで運と呼ぶのなら、運とは己の汗によってこちらを向かせるものであるはずだ」
「はい?」と小夜は首を傾げた。
「金運の正体が不明だと言っている。金が欲しいのならば働く時間を増やす。それでも足りないのであれば、仕事それ自体を見直して時給を上げる。君の年代なら、保護者と交渉して小遣いを上げてもらうのも手だろう。では、そうして手に入った金とは金運によるものか? もっとも、これらの事象は仕事運とも連動していると考えられる。上手く接客できた、効率が上がった、なんらかの契約を取り付けた、その結果として発生する臨時支給や昇給を仕事運と金運に切り分けて考えるのは極めて難しい。個人的には仕事運という言葉が示す事象のほうがまだわかりやすいと考える。金運、それを単体の事象として切り分けようにも、それはほとんどの場合においてその他の概念と干渉する。では、金運と連動する仕事運、両者について考えてみればどうだ。君はそんな札や金色の像といったものの功徳を信じられるか。それを拝んでさえいれば勝手に職能が上がると思うか」
「それは無理なんじゃない? それって要するにウサギと切り株の歌みたいなもんでしょ?」
「待ちぼうけだな。その通りだ。口を開けて待っているだけで仕事が上手くいったりいかなかったりする。これを金の話に限定するなら、金が手に入ったり入らなかったりするわけだ。そんな事象は特殊な例を除けばありえない」
「特殊な例? たとえばどんなの?」
「親類縁者の死だ。これならば黙っていても金が転がり込む。もっとも、借金も転がり込む場合もあるが」
「ああ、そっか。死亡保険とかけっこうするもんね」
「総括する。広義における金運とは実態のない信仰と同義であると俺は考える」
ううーんと小夜は唸ってしまった。小夜が知りたいのはお札が本物かどうか、友達が騙されたのかどうかであって、金運それ自体がどうかといったことではないのだが。しかし、ケイレブの言わんとするところもなんとなくわかる。
なにかにお祈りしていればお金が手に入るのならば、誰も努力をしなくなるだろう。お祈りした上で行動することが必要だと言うのなら、そもそもの祈りの段階からしておかしい。だって、それは祈りという行為の空洞化を意味するからだ。そこに祈り自体を信じることという条件が付されればなお奇妙、ケイレブが使いそうな言葉に置き換えれば滑稽ということになる。
「でもさあ。その考えむなしくない? それにほら、よすがってあるじゃない?」
「と言うと」
「それがあれば頑張れるって奴よ。お祈りして安心さえすれば行動できるってことあるじゃない。そういうのは運って言わないのかな?」
「信仰は自由だと思うが。だとすれば、そもそも札の真贋を気にかけることが誤りだ」
なるほど、と呟いてから小夜は夜空を見上げた。友達になんて説明しよう。今言われたようなことを滔々と語れば間違いなく友達をひとり失うことになる。それは嫌だ。しかし、嘘と言うのも嘘になるし、本当と言えばそれも嘘だ。どうしたら友達を怒らせずに納得させることができるだろう。ほんと友達づきあいって難しい、小夜は胸の内でごちた。
「にしても。あんたのところ、霊能探偵事務所だったと思ったけど?」
「それは質問の二つ目か?」
イラッとして小夜は折りたたみ机の前に置かれたキャンプ用の椅子へ乱暴に腰掛けた。
「もうそういうことでいいわよ! 霊能探偵が金運否定ってヤバくない?」
「ヤバいとは。意味の提示を要求する」
「えーっと、ほら、職務上ヤバいでしょって話よ」
「君は国語の授業を真面目に受けたほうが良い」
「受けてるわよ! うっさいわね! えっとだからさ、お坊さんが仏様を否定するようなことを言ってるじゃない。あんたは超能力者でしょ? それを活かしてこんな店を出してたりもするわけでさ、それが金運否定ってありえなくない?」
「事務所に関しては、旧友が手を貸してくれというので所属しているに過ぎない。能力云々に関しては、お互い足を突っ込んでいるものとして真摯に忠告させてもらうが、過信するべきではない」
過信もなにも、と小夜は映画で見る外国人のように肩をすくめた。
「そんなこと言ったって私は超能力者だもん。不思議なことは世の中にある、生まれつき知ってることなんだから信じるもなにもないじゃない。超能力があるなら金運だってUFOだってこの世のどこかにあるかもしれない。そう思うのは自然だと思うな」
「絵巻に描かれた獅子が実在するから
「はい? ショク……なに?」
「たしかに俺も君も超能力者だ。もしかすると、俺たちと同じように金運はこの世のどこかに実在する現象なのかもしれない。だが、常人が己が目に見えざるものを非科学と言ってオカルトという名の箱に押し込めるように、少なくとも俺にとっての運とは、今はいまだ存在が確認できない不確かで怪しげなものでしかない。超能力者だからといって、己が観測可能な世界を逸脱して世界を物語ることは、それこそ君の言う『騙す』に相当する。違うか」
「自分にわかること以上は喋るなってこと?」
「そうは言っていない。ともあれ、君が金運をもたらす札の真贋を知りたいのなら、せめて俺ではなくフラミンゴの事務所に行くべきだった。彼なら君の求める超能力者を紹介してくれるだろう。ちょうど彼のほうでも君に聞きたいことがあるようだ」
いやあ、と小夜は苦笑いを浮かべた。たしかにフラミンゴならこの男より親身になって解決に向けて動いてくれるだろうが、それはかなりの額と引き換えと決まっている。フラミンゴ自身が解決に乗り出さない場合――人を紹介してそれで終わりとなっても紹介料はかかるし、その先でもやっぱりそれなりの支出を覚悟せねばならない。その点、たとえ請求されても占い師価格のケイレブは、学生の財布にはちょうど良いのだ。
しかし安かろう悪かろうって言葉があったっけ、こういうことを言うのかな、と小夜が腕を組んでいる間にケイレブはテーブルのお札を取り上げた。もう片手で少しサングラスを引き下げて、例の形の良い鳶色の目を覗かせる。しばらくそうして眺め、次に小夜の周囲をジロジロ見るとサングラスを元の位置に押し込んで彼は言った。
「質問の三つ目だ。二子玉川のライターなら無料で、それも親身に相談を受けてくれるかもしれない」
「ちょっと。三つ目はまだ頼んでないんですけど!」
「俺に見えるのは可能性だけだ。過去や現在を知りたいのなら彼が適任だろう」
言うなりケイレブはお札を小夜に突き返して、メモ用紙にさらさらとなにか書き込んだ。それも小夜のほうに突き出してくる。受け取って見てみると、アルファベットと数字が@の一文字を挟んで並べられていた。どうやらメールアドレスのようだ。
「本人の許可もないのにメアド教えちゃっていいの?」
「彼はホームページを運営している。それはそこで公開されているものだ。問題ない」
彼もまた超能力者だ、と付け加えたのを最後にケイレブは口を閉じた。まるでそういう仕掛けの人形であったように、それ以上はいくら話しかけてもなにも返してこなかった。帰りのバイクを出してもらえなかったのは言うまでもない。