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転生の檻 ~水音が響く夜~
転生の檻 ~水音が響く夜~
保坂星耀
ホラー都市伝説
2025年03月16日
公開日
6.4万字
連載中
『噂を操り、噂に踊る。恐怖の連鎖は、やがてあなたの心さえ蝕む――』

新築一戸建てを購入したばかりのイラストレーター・柴家素子。
彼女の平穏は謎の水音によって侵され始める。
栓を閉めても閉めても漏れる水、夜中に聞こえる流水音――
水道屋を呼べど原因は見つからず、素子は段々と追い詰められていく。

そんな中、近隣の老女から聞かされたのは、
かつてその地で起きたアパート火災と、取り残された赤ん坊の悲劇だった。
誰にも知られぬまま焼け死んだ赤ん坊が水を求め彷徨っている――
老女から聞かされた噂は素子をさらに追い詰める。

水音は警告か、それとも亡者の叫びか?

極限状態の中、素子は霊能者への依頼を決意。
口コミを頼りに評判のいい霊能探偵事務所を探しあてる。
が、フラミンゴと名乗った所長は素子の訴えを退けて……?

   *  *  *

ホラー×超能力×ミステリ×ヒューマンドラマ!
面白いもの全部詰めました!

大衆小説を思わせるリッチなテキスト、展開をご用意しております。
ぜひ、ご一読ください!!

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【速報】アパートで火災 住人の一部が安否不明


 八王子市でアパートが燃える火事がありました。住人の一部と連絡が取れておらず、警察が安否の確認を急いでいます。


 火事があったのは八王子市和幸町にあるアパートです。21日午後8時34分ごろ、「窓から煙が出ている」と通行人から消防に通報がありました。警察や消防が駆けつけると2階の一室が燃えていて、現在も消火活動が続けられています。現場は風が強く、付近の葡萄園や畑への延焼が心配されています。死者や怪我人の情報は入っていません。


 空気が乾燥しています。火を取り扱う際は十分に注意し、確実に消火したことが確認できるまで絶対にその場を離れないでください。


                             ――共有通信


   × × ×


 夫は考え得るかぎり最も愚かな選択をした。


 ヘラヘラと笑いながら、不倫なんてしてないよと答えたのだ。語尾がだらしなく伸びていて、十代や二十代の若い男ならともかく三十も半ばを越した男がまるでママに甘えるように振る舞うのは、気持ち悪さよりむしろ哀れさの方が際だっていた。


「そう。じゃあ、先月の5日から7日、どこでなにをしてたのか教えてくれる」


 質問ではなく、確信を込めた詰問の口調で言った素子もとこを夫は笑いながら見上げた。ダイニングテーブルに頬杖をついて顎を引いて上目遣いに素子を見る、彼の十八番のポーズである。


「出張だって。そう言ったじゃん。お土産だって買ってきたろ」

「私、電話をかけたのよ」

「ええ? どこに」

「あなたの会社。あの日、仕事用のUSBメモリを忘れていったでしょ。大変だと思ってすぐにあなたの携帯を鳴らした。でも、電源が切られていた。だから会社にかけた」素子は平坦に続けた。「すると女の方が出て、不思議そうに言ったの。あなたは有休を取ってるって」


 話が進むにつれて夫のヘラヘラ顔は徐々に真顔になっていった。ようやくなにが起こっているか理解したのだろう。そう考えた素子は次に話すべきことの為、膝に置いていた二封の封筒のうち一封を掴んだ。ほとんどそれと同時に夫が吠えた。


 あああああっ、としか表わしようのない、作ったような大音声だった。両手で頭を掻きむしり、次に両腕で抱え込んで左右に振り、ひとりきり吠え終わると制止する。そして、いないいないばあのように顔を見せるなり、夫はテーブルを叩いてこう叫んだ。


「なにしてくれてんだよ! 会社に連絡とか、普通するか!?」


 続く言葉はなかった。唾さえ飛ばしながら叫んだ口を夫はしばらく開けたままにしていたが、やがて戸惑ったように閉じた。ほかに言うことがないと見てから、素子は封筒をテーブルの上に置いた。こちとら二十そこそこの小娘でもないのに、そうして常ならぬ怒りを見せれば素子がひるむと思っている夫が可笑しくて、笑わないように頬の内側を噛みながらだった。


「出張じゃなくて不倫旅行だった。そうでしょ? 証拠はこれ。探偵に調べてもらったの」

「はあ!? 探偵ってお前! 俺の金を勝手に使ったのか!!」

「私が家事を全部引き受けていたから、あなたは仕事に集中できたし出世できた。あなたが稼いできたお金は私が適切に管理してきた。こうしてマンションを買えたこと、探偵料を払ってもまだ余裕があること、証拠は十分なはず。つまり、お金のことは二人の成果。違う?」


 素子が冷たい声で返すと夫は唇を噛み、封筒をひったくって中の書類を引き出した。内容を確認する手は最初ゆっくり動いていたが、次第にせわしなくなり、やがて書類を破こうとしてあまりの分厚さに果たせず、最終的にまた頭に戻った。まったく同じ中身が入った封筒を膝から取り上げて素子は言った。


「あなたとは離婚、そして慰謝料を請求します。財産分与についてだけど、私、このマンションは欲しくないの。だから、あなたに譲ります。あなたの取り分はそれでいいでしょう? 貯金は私が持っていきます」

「待てよ! 貯金全額かよ!」

「あら、駄目なんですか? このマンションと貯金と、どっちが価値があるか考えみては? あなたはむしろ得をするほう。本来ならこのマンションだって売って折半するところなんですよ。それで慰謝料だけど。三百万請求します。探偵費用と弁護士費用も併せて請求するのでそのつもりで」

「ぼったくりじゃねえか! てめえ、夫を恐喝するのかよ!」

「慰謝料の額は弁護士と相談して決めました。ちゃんと相場の範囲内です。減額を希望するならここに電話してください」と言って、素子は弁護士の名刺をテーブルに置いた。「今後は私に言いたいことがある場合もここに連絡するようにしてください。お義母さんにも伝えておいてくださいね。くれぐれも直接電話したり、会いに来たりしないようにって」


 こうした場合、不倫した側はされた側にすがるものだという。だが、夫は項垂れて、テーブルの一点を見つめることにしたようだった。それならそれで素子は構わなかった。


「もちろん、お相手の方にも慰謝料は請求しますから」


 素子がそう言った途端、夫は勢いよく顔を上げた。


「いくら!?」

「二百五十万」と素子は答えた。


 夫の動揺ぶりと言ったらなかった。自分が慰謝料を払うより、不倫相手が慰謝料を払う方がこたえるらしい。普通の浮気者は自分だけ助かろうとすると聞いていたが、ずいぶんと情の深いことである。もっとも、妻への裏切りを鼻歌交じりに働ける男をして情が深いと評していいものかどうか、はなはだ疑問ではあるが。


「困ったわよねえ」


 本当に困ったふうに素子は言った。夫がぎろりと睨んできたが怖くもなんともない。


「相手の方は赤ちゃんを抱えているんだものねえ。それも、あなたとの間にできた赤ちゃん。二百五十万なんてお金、フリーターだったお相手には準備できないでしょうし。正社員を目指そうにも赤ちゃんを抱えてちゃ難しいでしょうし。そうだわ、あなたが払ってあげたら? 多少の苦労はするでしょうけど、いいじゃない。あなたはお相手の方と赤ちゃんを心から愛してるんだから。愛があればどんな試練も乗り越えられる。そう言うでしょ? 飯炊き女はもらうものをもらったら退散しますからね、どうぞ末永くお幸せに」


 言いながら素子は書類の該当個所を示した。優秀な探偵はどうやって手に入れたのか、ピロートークを録音して文字に書き起こしてくれていた。あんなの飯炊き女だよ、ひっどーい、炊飯器と違って喋るのが玉に瑕だけど、奥さん泣いちゃうよ、俺が泣かせたいのは君だけだってば、やだーもうカッチカチ――頭痛のする会話である。


「それにしても良かったわね、生まれたのは可愛い男の子なんですって? 意外だったわ。あなた、子どもなんて大嫌いだって言ってたのに。こぉんな笑顔で子どもを抱くのね」


 さらに書類を繰って写真と時間と場所が連なるページを見せてやる。夫は今にも湯気が出そうに顔を真っ赤にしていた。


「私はね、あなたが不倫したことなんて本当はどうでもいいの。あなたが私を飯炊き女だと思っていたように、私はあなたをお金を稼いでくる生き物だって割り切っていたから。だけど、言ったはずよ。私は子どもが、特に赤ん坊が大嫌いだって。子作りを望むのならあなたとは付き合えない、結婚できないって」

「お前と作ったわけじゃないだろ」


 かすれた低音で夫は唸った。


「そうね。私とじゃない。でも、嫌なの。汚らわしいの。よその女とセックスすることは構わない。それだけなら私は再構築を選んだと思う。だけど、子作りだけは許せないの。どうしてもそうなのよ。たとえそれが私とじゃなくても同じなの。これは理屈じゃない。だから、わかってくれとは言わないわ。こんな感情論が理由で離婚だなんておかしいと思う? 私もそう思う。でも、ごめんなさいね。不倫したのはあなた。有責者には拒否権がないらしいから。諦めてちょうだい」


 夫はギリギリと拳を握って、返す言葉を探しているようだった。これが最後と思って素子は待ってやることにした。夫は目を左右に忙しく動かして、貧乏揺すりをして、仕舞いには小さな子どものようにううーっと唸りだした。お菓子コーナーの前で地団駄を踏んでいる子どもそっくりである。


 ようやく夫が顔を上げたのは、彼の指から噛む爪がなくなってしばらくのことだった。


「離婚してどうすんだよ」夫の声は絞り出すようだった。「専業主婦がどうやって食ってくんだ。パートするからいいわってか? そんなんで生きてけると思ってんのかよ。馬鹿だな、お前。俺がいなくなったらお前なんかすーぐ泡落ちだよ。わかってる? わかってねえよな。ずうっと家に閉じこもって掃除して洗濯して飯作って、それしかやってねえもんな。世間知らずが、えっらそうな口叩きやがって」


 良かった、と素子は思った。この男が愚かで、幼稚で、鈍感で、もの知らずで、本当に良かった。安堵が心に染み入っていくにつれて唇は勝手に緩んでいった。浮かべた微笑みは、きっと聖母のようだったに違いなかった。


× × ×


3階建てアパートで火事 1人が怪我 東京都八王子市


 1月21日午後8時30分ごろ、八王子市和幸町の3階建てアパートで「2階から煙が出ている」と通行人が消防に通報しました。火は約2時間後に消し止められましたが、3階に住む高齢男性が煙を吸うなどの軽い怪我をしました。死者は出ていません。


 現場は八王子駅から南に約2.3キロほど離れた場所で、警察が出火原因などの捜査にあたっています。


                             ――さくらニュース 

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