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乙女侯爵とバラの園(4)

◇◆◇


 数日後、アーベルの姿はとある侯爵家にあった。

 目の前にいるのはこの家の夫人で社交界でも重鎮。いわゆるファッションリーダーと呼べる女性であった。


「久しいわね、アーベル」

「お久しぶりでございます、ガブリエラ様」


 美しいドレスを纏い、髪を綺麗に結い上げた夫人は口元を扇子で隠して笑う。鋭い眼光ではあるが目の前のアーベルを好ましくは思っている。

 彼女こそがこの侯爵家の主人であり、沢山のオメガを侍らせる女帝であった。


「聞きましてよ。なんでも、ケンプフェルトの坊やを囲っているとか」

「お耳が早くていらっしゃいます。ゆくゆくは妻にと」

「相変わらず面白い男だこと。まるでアルファのようなオメガだというではありませんか。そのような者が好みだったのですか?」


 この問いかけに、アーベルはニッコリと微笑んだ。


「可愛らしい方ですよ」

「……ふふっ、そう。おもしろそうだわ」

「興味を持って頂けて嬉しい限りでございますが、どうかお手は触れずにお願いいたします」

「私は可愛らしい子が好きなのよ。残念だわ」


 そうとだけ言って、彼女はパチンと広げていた扇子を閉じた。


「それで? 少々珍しい物を持ってきたと言っていたわね。見せてくれるかしら?」


 楽しそうな声音にアーベルは頷き、付き添いの者から箱を受け取り、開いて出した。


 綺麗にカッティングされた小瓶には綺麗なラベルが貼られている。貴族女性が好む美しい香水瓶だ。


「一期一会?」


 手にした彼女は不思議そうな顔をする。アーベルは一度それを手にし、真新しいハンカチに香りを移して差し出す。が、そんなものは必要なかった。


 香りを移すために一滴垂らした途端に広がったのは気品あるバラの香りとフルーツのような濃厚で甘い香り。だが残るのは柑橘のような爽やかな香りである。


「凄いわね」


 これには夫人も驚いたようでジッと見ている。それだけでアーベルの勝ちだ。


「これは、私が新たに見つけた職人が作った精油を原料に作った香水です。これの他に十本作れましたが、それが無くなればもう二度と同じ香りには出会えません」

「あら、どうして?」

「職人は精油作りを趣味で行っているに過ぎないのです。庭に咲く花々を間引く際に、そのまま捨ててしまうのが憐れだと個人的な趣味で作っているものを譲って頂いたのです」

「あら、なかなかのロマンチストじゃない」


 そう言われ、アーベルは心の中で頷く。

 本当に心が清らかで美しく、ロマンチストで可愛らしい。あのような逞しい体をしているのに、浮かべる表情はまるで乙女のそれだ。面白いと同時に可愛らしく思えている。


「なるほど、日々間引く花は変わるもの。その量だっていつも同じではない。あくまで枯れゆく花への愛情として作っているからこそ、同じ香りは作れないと」

「左様でございます。ちなみに今回のものはブルームーンとボレロだそうですが、何をどのくらい入れたかは当人も把握はしていないそうです」

「ふふっ、細やかなのに大雑把ですのね」


 これが商売になるとは、おそらくハインツは思っていなかったのだろう。

 ケンプフェルト家はどちらかと言えば政治家の家系だ。商売ごとは門外漢で販路もない。本人も趣味の範囲だと思ってやっている。が、彼の腕前は趣味と言うには熟練だった。

 あの後、屋敷の調香師にこれを渡した所気持ち悪いくらい興奮していた。発情期かと疑ったくらいだ。曰く、バラをそのように組み合わせて精油にしようなどとまず考えないそうだ。

 精油を作る際は同一品種だけで作り、香りを合わせるときは精油を混ぜる。品質を一律に保つと同時にレシピとして残せるからだ。

 故にこれはもう二度と作れないと伝えると納得しつつも咽び泣いて「勿体ない」と言っていた。


 この香水はその調香師に作らせた。合計十五本。一本はここに。一本はハインツに。一本は調香師が持ち、もう一本はアーベルが貰った。品物の見本として更に一本をキープし、販売は十本の予定。次はまだ未定だ。


「買いましょう」

「いえ、そちらは夫人へのお土産でございます」


 瓶を箱に戻して差し出せば、彼女はジッとアーベルを見る。

 その目をしっかりと見ながら笑う彼に、夫人はニッと笑った後で扇子を広げ口元を隠した。


「大胆な子。この私を宣伝に使おうだなんて」

「ガブリエラ様ほどお美しい方だからこそ」

「いいわ、有り難く貰いましょう。今後も新作が出来たら見せにきなさい」

「ありがとうございます」


 社交界における女帝が身に纏う物は貴族女性の憧れとなる。特に香りは強く記憶にも残る。彼女が纏う極上の香りはこれから夜の舞踏会でそれは沢山の人の記憶に残るだろう。


「そうそう、アーベル。一つ仕事をお願いしたいわ」


 これで帰れると考えていたアーベルにガブリエラが声を掛ける。途端、アーベルの視線は鋭いものとなった。


「どのような」

「おや、怖い顔。それ程無茶な仕事ではないのだけれどね。私の領地でゴブリンの被害が出始めたの。私兵も出しているけれど、いまいち村を見つけられずに困っているのよ」

「ほぉ」


 ゴブリンは初級冒険者でも倒せる最低ランクの魔物だが、繁殖能力が高く集団で攻撃してくる特性がある。また、棍棒や拾った剣などの道具を使う頭はある。

 大抵は村と呼ばれる拠点を作り、そこから複数の兵隊を出して村を襲い家畜や農作物、店を荒らしていく。

 弱いからと放置すれば数が膨れ上がり、村の規模が大きくなっていく。そして単純だからこそ突然変異を起こしやすくもある。

 魔法を使うゴブリンメイジ、戦闘に秀でたゴブリンファイター。更に増えるとキングが現れると言われ、こうなると厄災だ。


「では、戦闘に特化した者を十名。魔法職を二名。索敵を二名でいかがでしょう」

「それで構わないわ」


 鷹揚に言われてアーベルはしっかりと礼をする。そんな彼に、彼女は意地悪に笑った。


「ケンプフェルトの坊やは貴方の本当の姿を知っているのかしらね? 奴隷傭兵商アーベル・シュタール」


 その名で呼ばれると多少睨みたくなる。だがそうした感情を押し込める訓練は人一倍積んできたのだ。


「知らなくていいことも、世の中には多い。ガブリエラ様であれば、おわかり頂けるかと」


 知らせる気はない。そのつもりもない。あの綺麗な人をこんな世界に触れさせる気はない。

 静かに暗く、アーベルはそう誓うのであった。


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