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アーベル・シュタール(2)

「そのお金、俺が立て替えましょうか?」

「……へ?」


 思わぬ言葉に呆然とアーベルを見てしまう。

 目の前の青年は不敵な笑みを浮かべ、挑戦的にこちらを見ている。


 でも、差し出せるものなんてないのに。この様子ではきっと領地も大変な財政難に陥っている。父と義母達が原因ではあるが、長年関係の修復もせずに逃げたハインツにも多少の責任はある。


「……有り難いお言葉ではありますが、私が貴方に差し出せるものがありません。タウンハウスを売却してもきっと」

「貴方の大切なものを奪うつもりはありませんよ」

「では余計にお返しできる宛てがありません。先程、身売りも失敗してしまいました」


 オメガの男娼、しかもどのようなプレイにも応じるとなればそれなりの身売り代が見込めると思ったのに。

 落胆して、膝の上で握っていた手により力が入る。情けない自分が嫌いになってしまいそうだ。


 だがアーベルはここで、思いもよらない提案をしてきた。


「では貴方の身柄を、俺が買いましょう」

「……へ?」


 驚いて顔を上げたハインツを見るアーベルはニッと口の端を上げる。挑むような緑色の目は怖いくらいの気迫があった。


「結婚してくれませんか、ハインツ様。俺と」


 け、こん?


 瞬間、響き渡る祝福の鐘がリーンゴーンと鳴り響き、幸福の使者である鳩が空を舞う。華々しいバージンロードに降り注ぐ白い花びら。そこを幸福な笑みを浮かべ純白のドレスを纏う自分が歩いている幻想が見えた。


 はっ! いやいや!


「結婚ですか!」

「いけませんか?」

「……何故」


 没落秒読みまったなしの名誉だけある侯爵家なのに、何故。


「あっ、俺は婿養子に入ります」

「余計に何故!」


 利点がない。マイナス多すぎる。この人は苦行がお望みなの? あえて苦徳を積む修行でもしてるの? 将来神にでもなるの!


「勿論利点ならございますよ」

「へ?」


 利、点?


 思わず「何言ってんだこいつ」みたいな目を向けてしまったハインツに、アーベルは思い切り笑った。


「まず、俺は貴方の持つケンプフェルト侯爵という爵位が欲しい」

「え?」


 そりゃ、結婚して婿養子となればこの人がケンプフェルト侯爵になるけれど。

 今の時代、家格よりも実績が問われる。古いだけで実績の無い高位貴族よりもそちらが重用され始めている。


 が、アーベルはニッと笑って先を続けた。


「俺は元は商人でしてね。二年前の王家の財政難と地方の飢饉のおりに資金提供と災害救援を行った事が評価されて、一代限りの子爵位を頂いたのです」


 確かに、元は一般市民でも国に大変な貢献をしたり、強大な魔物を討伐したりする事で名誉爵位を貰える事がある。普通は一番下の男爵だが、子爵までは可能だ。

 それでも子爵位を貰えるにはかなりの貢献をしなければならない。

 つまり目の前にいるこの人は大変な功労者であり立派な貴族の心を持った素晴らしい人なのだ!


「ですが、この爵位は俺のみ。しかも金銭と物資と人員の派遣であるため、貴族社会では新興の……ようは、成金貴族と揶揄されて大変肩身の狭い思いをしているのです」

「そんな! どのような形であれ貴方は国と民を救ったのに。何もせず、貴族の務めも果たさない者より余程貴族の心得を知っております」


 持つ者の務め。貴族としての心得。それは力ない者、苦しむ者への施しの精神。

 とはいえ、今では古くさいと言われ軽視される事も多い。皆、己の蓄えを無償で与える事を無駄と考えるようになってきているのだ。


 少し落ち込む。ハインツの祖父はこうして古い考えの人で、精神をよく説かれた。故にハインツもこの精神を引き継いでいるのだが……時代遅れなのだろうか。


「まぁ、格式ばかりで商売の下手な者共のやっかみだと、己を律してはいますけれどね」

「……」


 流石商人、いい性格はしているのかもしれない。


 それでも彼の心には貴族らしいものがある。それは間違いがない。


「そのような折り、名門ケンプフェルト家の窮状を耳にしましてね。同時に、恩のある貴方が困っているとも」

「それは……」

「ですのでこれは、貴方に命の恩をお返しするまたとない機会であると同時に、現状のうっとうしい口を黙らせる好機と思い、お探ししていたというわけです」

「はぁ……」


 確かにそういう事なら役には立つだろう。何だかんだと言っても侯爵位。そこらの伯爵程度が騒いだところで何処吹く風な高位貴族である。彼の面倒をある程度解決してくれる可能性は高い。


 だが、問題がないわけじゃない。


「あの……幾つか問題が」

「なんでしょう?」

「まず借金の額です。残り一週間で八千万Gを返さなければならないんです」


 八千万Gは下手をすると領地の運営費数ヶ月分。大変な金額だ。ハインツ自身がまず見た事がない。

 だがアーベルはまったく涼しい顔でエッボへと視線を向ける。そしてエッボは心得たように会釈をし、カートの下から鞄を取りだし、彼へと渡した。


 アーベルがテーブルの上に鞄を開け、中を開く。そこには八つの大きな袋が……え?


「ご確認を」

「……えぇぇぇ」


 これは現実だろうか。恐る恐る袋を開けたハインツの目の前にはまばゆいばかりの黄金がぎっしりと入っている。目が痛い! っていうか、どうしてこんな大金を!


「一応もう二千万G程用意はございますよ」

「ふぐぅ!」


 財力で殴られる痛みを知ったハインツだった。


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