ティエリーからサイモンへの連絡はなかった。
その代わりに、ティエリーはジルベルトにパスワードがかかったアプリで連絡をしているようだった。
恐らくジルベルトの入れ知恵でパスワードは定期的に変えているようだが、サイモンのプログラムはそれくらいは簡単に突破できる。
『ティエリー、この会話はサイモンが監視しているものと思って、その上で発言した方がいいわ』
ジルベルトが打ったメッセージにどきりとしつつも、サイモンはティエリーの携帯端末を覗くことをやめられなかった。
『サイモンもこのメッセージを見ているんですね。分かりました』
ティエリーの方もサイモンに見られても構わないことだけメッセージアプリで打つつもりのようだ。これはサイモンに対するメッセージと言ってもいいのではないだろうか。
『初めて給料をもらいました。自分の手で稼いだのは初めてです。このお金は貯めておいて、サイモンとまた会えるようになったら、わたしに使った分のお金は返すつもりです』
『その必要はないと思う。サイモンは気にしてないし、ティエリーの稼いだお金なんだから自分のために使えばいいと思うわ』
『住む場所もあるし、食事は朝と昼は賄いで出してくれるし、夜は売れ残りのパンを食べればいいので、お金を使う必要がないんです』
『休日くらいあるでしょう。そのときに使いなさい』
『休日も、食事には呼んでくれます』
あまりにも慎ましい生活をティエリーが送っているようでサイモンは心配になる。自分にお金を返すなどと言わなくていいから、自分のものを買ってほしい。
そのことをティエリーに伝える手段がないのがつらい。作ろうと思えば手段はどれだけでも作れるのだが、自分で働いて給料を得ることに喜びを感じているティエリーにサイモンが何かメッセージを送れば、委縮させてしまうのではないかと控えている。
毎日ティエリーは充実している様子だった。
元々奴隷のような暮らしをさせられていたので、働くことに抵抗はないようだし、パン屋なので始まりが午前五時と非常に早いが、午後三時には仕事が終わるようなので、その後はティエリーは自由に過ごしているようだ。
『散歩に行きました。この町は小さいけれどとてもきれいで可愛い町です』
十五世紀には港町として栄えていたという小さな町は、運河が砂で埋もれてしまってから船が入れなくなって港町としては廃れて行ったようだが、そこに住むひとたちは離れずずっとひとの営みは続いていた。
少し散歩すると十五世紀に建てられた教会や時計台もあって、そこに行くのがティエリーの楽しみになっているようだ。
ヒートもまだ来ていないようで、ティエリーが苦しんでいる様子はないので、サイモンはメッセージを監視しつつもティエリーに干渉するのは控えていた。
仕事の方もそこそこ忙しくなってきていた。
人身売買組織の黒幕が動き出したのだ。
初めに狙われたのは、被害者のオメガを保護した施設だった。被害者のオメガを保護した施設に強盗団が入ってオメガを攫って行こうとしたのだが、護衛を付けていたので強盗団は捕らえられた。
そこには黒幕は混じっていなかったが、黒幕の指示で強盗が行われたことは間違いない。
強盗犯たちを尋問しても口を割らなかったが、強盗犯が使っていた携帯端末のデータを解析すれば、黒幕とのやり取りが残っていた。
「手配されて空路は使えないと分かったから、陸路で国境を越えようとしている」
「どのルートで逃げようとしているか、調べられるか?」
チームのレミとイポリートとジルベルトに伝えると、レミがサイモンに確認する。
サイモンは強盗犯の携帯端末を隅から隅まで解析したが、黒幕がどのルートを使うかは調べられなかった。
「どこからこのメッセージが送られたか調べて、追跡してみる」
「頼む、サイモン」
それからはサイモンの仕事だった。
メッセージの発信場所を調べて、そこから黒幕がどこに動いているかを探る。
顔認証システムで高速道路の監視カメラの映像を解析して、黒幕を追うサイモンに、一つの情報が入ってきた。
黒幕の逃走ルートの候補に、ティエリーのいる国境の町が入っている。
ティエリーの存在は隠してきたはずだし、ジルベルトも相当気を遣ってティエリーをあの町に運んだはずだ。サイモンくらいの力量と設備がなければティエリーの居場所を突き止めるのは難しい。一般人には不可能に近い。
それなのに、引き寄せられるように黒幕はティエリーのいる町に近付いている。
「被害者のオメガの保護施設の場所も極秘のはずだ。どうして、突き止められたんだ?」
イポリートの問いかけに、サイモンはある可能性に気付いていた。
「オメガの体内に、居場所が分かるようなものを埋め込んでいるとしたら?」
「あり得ない話じゃないわ。保護施設にいるオメガに協力してもらいましょう」
被害者のオメガが保護されている施設にはアルファは原則は入れないのだが、番のいるサイモンはフェロモンを感知されることはないし、オメガのフェロモンも感じ取ることはない。検査器具を持って保護施設に向かったサイモンは、ジルベルトとレミとイポリートと共に人身売買の被害者のオメガに面会した。
施設の職員と医者の立会いのもと、精度のいい金属探知機を使ってオメガの体を調べると、背中に微弱な反応がある。
医者と職員だけ残して一度部屋を出て、廊下で待っていると、医者が小さな金属片を持って出てきた。小指の爪よりも小さく薄い金属片は、オメガの体に埋め込まれた発信機だった。
「元々折檻されていたようで、背中に傷がたくさんあったんです。それで気付かなったのだと思います。許可を取って取り出させてもらいました」
背中の傷と言われてティエリーが思い出される。
自分で話し出すまで触れないようにするように医者には言われていたが、ティエリーを抱いたときにサイモンは背中に傷跡が残っているのを確認していた。
「ティエリーにも背中に傷がある」
「黒幕は逃亡の資金稼ぎにオメガを求めている。ティエリーが狙われたのかもしれない」
「ティエリーに連絡するわ」
サイモンの言葉に素早くレミとジルベルトが反応する。
ティエリーにメッセージを送ったジルベルトが、「既読にならない」と小さく呟いた。
「出遅れたか……すぐにティエリーのもとに向かう」
「サイモン、おれたちも行く」
「ぼくは、地元警察に連絡を取ってティエリーを保護してもらうように伝えるよ」
イポリートとレミもすぐに動き出して、サイモンのチームはティエリーのいる国境の町に向かって移動を始めた。
国境の町まで普通に車を走らせれば三時間はかかるが、サイレンを鳴らして法定速度を超える速度で車を飛ばせばもう少し時間を短縮できる。
「サイモン、ティエリーの居場所は分かるんでしょう?」
「携帯端末は取り上げられてるかもしれない」
「それでも、あなたのことだから、何か仕込んでいるんでしょう?」
ジルベルトのサイモンに対するこの問題についての信頼感は強い。
当然、サイモンはいざというときのためにティエリーに保険をかけておいた。それを使わずにすむのならばよかったが、今はそんな事態ではなさそうだ。
「ティエリーのチョーカーに位置情報が分かる小型の発信機を埋め込んでいる」
「やっぱり。さすがストーカー」
「おれはストーカーじゃない。ティエリーの夫だ」
「ティエリーがあなたを訴えたら、わたし、ティエリー側について証言するわ」
軽口を叩きながら、サイモンはレミと、ジルベルトはイポリートと警察の車に乗ってティエリーのいる町まで速度を上げて飛ばしていた。