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17.ティエリーの失踪

 ティエリーがいなくなった。

 マンションの管理人室に連絡して確認した監視カメラの映像では、ティエリーが出て行ったときにジルベルトが迎えに来ていた。

 仕事が終わるのを見計らって、サイモンはジルベルトのところに押しかけた。


「ジルベルト、どういうことだ?」

「彼の意思で選択したことよ。尊重してあげて」

「ティエリーは人身売買組織に追われているかもしれない」

「それも分かってる。地元警察に頼んで、見回ってもらっているわ」


 情報部のサイモンの手腕ならばすぐにティエリーの居場所までたどり着けると考えた上でのジルベルトの返事に、サイモンは言葉に詰まる。

 番のオメガがアルファから逃げた。

 この意味が分からないはずはない。


 一人で過ごすヒートがつらくて泣いていたティエリー。サイモンがマンションに帰ってくると明らかにほっとした顔でサイモンの匂いを嗅いで落ち着いていた。

 あれすらもいらないとティエリーは思い切ったのか。


「もう一度会って話したい。何か誤解があるだけなんだ。おれはティエリーを愛しているし、ティエリーもおれを愛しているはずだ」

「それなら、連絡が来るはずよ。それまで何年でも待つことね」

「その間にティエリーが死んでしまうかもしれない」


 オメガのヒートは一人で耐えるには苦しすぎて、自死を選ぶものもいるという。ティエリーがヒートの苦しみに耐えかねて命を絶ってしまったらどうするのだ。

 詰め寄るサイモンに、ジルベルトは真剣な表情をしている。


「サイモンにもティエリーにも冷静になる時間が必要だわ。携帯端末は持って行ったんでしょう? 連絡を待ちなさい。ティエリーの方にも落ち着いたら連絡するように言っているわ」


 ジルベルトと二人きりで話したいと言っていた内容がこんなことだとは思わなかった。

 あのときに止めていればティエリーは家を出たりしなかったのだろうか。ジルベルトの力が借りれなければ一人でも決行したかもしれないと思うと、ジルベルトの手を借りて安全な場所にいてくれるのはサイモンにとっては少しは安心できる結果だった。


 ティエリーがいなくなってから、サイモンはプライベートの携帯端末をチェックすることが多くなった。

 そこにティエリーからの連絡が入っていないか見ているのだ。

 ヒートの期間も安定していないティエリーが急にヒートになってサイモンを求めるかもしれない。

 そのときにはサイモンはどこへでも駆け付けるつもりだった。


 ティエリーがいなくなる前から違和感は覚えていた。

 首の隠れる新しい服を欲しがったり、チョーカーを欲しがったり、大きな旅行にでも行くときのようなボストンバッグを欲しがったりしたこと。決め手は携帯端末を水没させたことだった。

 元々ティエリーは携帯端末を使うことがほぼなかった。それなのに水没させたというのは不自然すぎる。持ち歩く習慣がなかったから、胸ポケットに入れていて落としたなどということもあり得ないはずなのだ。


「ティエリーの携帯端末を覗くつもりじゃないでしょうね、情報部のお兄さん?」

「覗くも何も、ティエリーの携帯端末の情報は定期的におれの用意したサーバーにバックアップが取られることになっているよ」

「こわっ! 情報部怖いわ!」


 平然と答えればジルベルトがドン引きしているのが分かる。

 前の携帯端末のデータもネット上のサーバーにバックアップされていたのでそこから復元してティエリーに新しい携帯端末を渡したのだが、ティエリーは多分そのことに気付いていない。

 水没させたので前の携帯端末のデータは完全に失われたと思っているだろう。


「てことは、今も?」

「もちろん」

「ストーカーがいます! ちょっと、警察を呼んで!」

「おれが警察なんだよな」

「職権乱用怖い!」


 ジルベルトにドン引きされたところでサイモンは気にせずにティエリーの携帯端末のデータをサーバーからダウンロードして自分の携帯端末で確認している。


「最初から逃がす気なんてなかったんじゃない!」

「そういう言われ方は不本意だな。ティエリーを守っていただけだよ。おれが番を解消しようと、解消しないでいようと、ティエリーは一生おれに囚われ続けるんだから、おれだけ自由になっても仕方がないし、ティエリーからおれはまだ離婚したいとも言われていない。おれとティエリーの婚姻関係は続いているし、番の関係も続いているんだ」


 番のオメガを守るのはアルファの役目だ。

 堂々と言えば、ジルベルトは「ティエリーも怖いのに執着されて可哀そう」と呟いていた。

 そうなのだ。結局ティエリーは番を解消したところで新しい番を持てるわけではなく、サイモンだけが新しい番を持てる状態になる。そんなことはサイモンは望んでいなかった。


「ティエリーはおれの唯一の番だ。離れて暮らしたいと言われても、番を解消するつもりはない」

「それ、本人に言いなさいよ」

「ティエリーが今の生活に慣れて、おれに連絡してくる余裕ができたら言うよ」


 これまではサイモンはティエリーに言っていなかったことが多かったのかもしれない。

 少しでも強引になればティエリーはサイモンの命令に従おうとしてしまう。それが嫌で強引なことは言わなかったが、それでは通じていなかったようだ。

 どれだけサイモンがティエリーを愛していて、ティエリーだけを抱きたいと思っていて、ヒート以外でもティエリーの許す限りティエリーを抱きたいし、一緒のベッドで寝たいと思っているか。そういうこともはっきりと伝えなければいけない。


 仕事が終わってマンションの部屋に帰ると、ティエリーの残り香がしていた。

 ティエリーの部屋に入ると、ボトムスが二着、シャツが三着だけ減っているのが分かる。そのボトムスもサイモンが最初に選んで用意したもので、ティエリーが選んだものではない。シャツは首の隠れるデザインのものをティエリーが自分で選んだものだった。

 それ以外は携帯端末と、財布とハンカチとポーチとペンケースの入ったショルダーバッグ、それに大量に処方してもらった抑制剤がなくなっていた。


 ベッドのシーツも枕のカバーも剥がれていて洗濯して畳んであって、部屋はきれいに片付けられている。物の少ない部屋なのでがらんとして見えるが、ティエリーはほとんどこの部屋では過ごしていなかった。


 ティエリーの定位置のリビングのソファに座ると、ティエリーの香りが残っているような気がする。


 この香りも数日すれば消えてしまうのだろう。

 ティエリーを恋しく思って、今すぐにでも会いたいのをサイモンは耐えていた。


 携帯端末の位置情報が教えてくるティエリーの居場所は、国境のようだった。

 携帯端末のアラームを使っているようで、それが早朝の四時にセットされているから、かなり朝の早い仕事をしていると思われる。

 声は聞けないし、メッセージを受け取ることはできないが、サイモンはティエリーの携帯端末の中身を盗み見てティエリーが生活している様子を想像はできた。


 ジルベルトが入れた見知らぬメッセージアプリにはパスワードがかかっていたが、それもプログラムで簡単に突破してしまう。

 住み込みで働く場所を紹介するとか、パン屋とか書かれているのを呼んで、サイモンはティエリーがパン屋で働いていることを知った。


 客のふりをして買いに行ったら多分ばれるだろう。

 ティエリーにはサイモンのフェロモンが隠せないし、田舎町にアルファが現れたら目を引いてしまう。


 ティエリーは無事で平穏に働いている。

 そのことだけがサイモンにとっては安心できる事実だった。


 ティエリーがいないと料理をする気も起きなくて、買ってきたものを適当に食べつつ、サイモンは何度もティエリーの携帯端末の情報を確認した。

 携帯端末の情報だけが、サイモンとティエリーを繋いでいた。


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