サイモンに抱かれずにティエリーがヒートを過ごした後、ティエリーはサイモンにお願いをしてくるようになった。
服を買いに行きたいと言われたときには、ティエリーに好みが出てきたのかとサイモンはその成長を素直に喜んだ。
チョーカーが欲しいと言われたときには、浮かれてしまった。
その後でジルベルトと二人きりで話がしたいと言ったときには、オメガ特有の悩みがあって相談したいのだろうと了承してジルベルトに連絡を取った。
番のアルファがオメガに贈るチョーカーには結婚指輪以上の意味がある。噛み跡を見せておくのもオメガがアルファのものであるという証で悪くはないのだが、それ以上に噛み跡を隠すチョーカーを贈るのは特別だった。
ティエリーの首は体格がいいので普通のオメガよりも太い。その首にぴったり合うようなチョーカーを贈りたくて、サイモンは装飾店に注文をした。
体格は規格外だが、顔立ちはオメガらしく美しく整っているティエリーのために、紐の部分はレースを模した装飾を付けて、留め具にはサファイアで蝶の形をした飾りを選んだ。
最高級のチョーカーはティエリーの首を守ってくれるだろう。
これからティエリーは自分一人で外に出ることを望むようになるかもしれない。そのときにはできる限り守ってやりたかったが、サイモンはティエリーの成長を喜んで送り出してやらなければいけない。一人で外出するティエリーをチョーカーは精神的にも肉体的にも守ってくれることだろう。
「サイモン、まだ欲しいものがあると言ったらいけませんか?」
「いいよ。何が欲しい?」
「バッグが欲しいです。サイモンと出かけるときに、わたしだけ何も持っていないじゃないですか」
そういえば、サイモンは財布や貴重品の入ったバッグを持っているが、ティエリーは何も持っていない。ティエリーに財布も持たせていなかったことに気付いて、サイモンは即座に謝った。
「気付かなくてすまなかった。ティエリーも自分の持ち物を持ち歩きたいよな」
「わたしもサイモンに頼りきりですみません」
謝るティエリーを連れて、デパートに行って財布やハンカチやポーチやペンケースやペンなどの小物を買い揃えて、バッグを見に行くと、ティエリーは意外と大きなバッグを選んでいた。
「もう少し小さいものでもいいんじゃないか? それだと旅行にでも行くみたいだ」
「えっと……買ったものを入れたいので」
「それなら、貴重品だけ分けられるように、小さめのバッグも買おう」
「二つもいいんですか?」
「何個でもいいよ。ティエリーが欲しいだけ選んで」
アルファということで優秀な人材として情報部で重宝されていたし、給料は普通の警察官より高い自信はある。その上、これまであまり使うことがなかったので貯金もある。
伴侶であるティエリーに金をかけるのは当然だと促すサイモンに、ティエリーは大きな旅行用のボストンバッグと小さめのショルダーバッグを選んでいた。ショルダーバックには財布もハンカチもポーチもペンケースも入るようになっている。
「ポーチには抑制剤を入れて持ち歩くといいよ。抑制剤は足りてる? 病院には行かなくて平気?」
「抑制剤は足りていますが、わたしのヒートは不安定みたいなので、多めに抑制剤を持っておきたいので、病院にも連れて行ってもらえますか?」
「もちろん」
病院に寄って抑制剤も処方してもらって、少し遅めのランチを食べてサイモンはティエリーと部屋に帰った。
「もうしばらくは人身売買組織を警戒して一人で外出は避けてほしいんだが、もう少し落ち着いて着たら一人で外出できるようになるよ。そのときには好きなときに好きな場所に出かけていい。免許も取りに行こうか? 車も買わなきゃいけないな」
「気が早いです、サイモン。わたしは今の暮らしで十分満足しています」
「窮屈な思いをさせてすまない。もっと自由にしてやりたいんだが」
「わたしは満足していますと言いました。サイモン、今日は本当にありがとうございました」
控えめに微笑んでお礼を言うティエリーが愛しくて、サイモンは抱き締めて口付けたくてたまらなかった。
ティエリーの手を握って、正面から菫色の目を覗き込む。
「ティエリー、抱き締めたい。口付けたい」
「はい」
「嫌ならはっきり断ってくれ。ティエリーにおれの欲望を押し付けるつもりはない」
「わたしも……抱き締めてほしいし、口付けてほしいです」
小声で恥じ入るように告げるティエリーに、ソファに座ったままその逞しい体を抱き締めて、頬に手をやって口付ける。
口付けるとティエリーの目がとろりと蕩けて、フェロモンの香りが強くなる。
舌を絡めるとそのままソファにティエリーを押し倒してしまいそうになるので、サイモンは唇をくっつけるだけの口付けで我慢した。
「ティエリー……次のヒートは一緒に過ごしたい」
「それは……」
「ティエリーが嫌なら無理強いはしないよ。でも、おれはティエリーを抱きたい」
はっきりと伝えると、ティエリーが答えに困っているようなので、サイモンはティエリーから体を離した。愛されている気配はするのに、ティエリーはサイモンを受け入れてくれない。それもまたティエリーの心の成長なのかもしれないが、サイモンには理性を試されているようで苦しくなる。
ヒートの期間中はヒートを治めるために抱くという名目があるが、それ以外の期間はティエリーが誘ってこない限りはサイモンはティエリーを抱くつもりはなかった。
自分の欲望をぶつければ、ティエリーはそれに従ってしまう。人身売買の被害者であるティエリーにとって、サイモンからの命令は絶対なところは変わっていない気がするのだ。
サイモンが求めてしまえばティエリーは拒めない。
ヒート期間中の性交を拒むのは、ティエリーの意思が育ってきた証拠なのかもしれないが、ヒート期間中は抱く名目があるのにそれを嫌がられてしまうと、サイモンの方も我慢ができなくなりそうになる。
ティエリーのフェロモンは普段からサイモンを誘うように甘く香ってくるし、ティエリーの目はサイモンに向けられていることが多い。口付けも拒まれなかったし、抱き締めることも許されるのに、それもサイモンの命令に従っているだけなのかと思ってしまいそうになる。
「ティエリー、愛してるよ」
「わたしもサイモンを愛しています」
目を伏せて恥じらいながらも、チョーカーの蝶の形の飾りを撫でながら答えるティエリーに、サイモンは理性を総動員させるのが大変だった。
仕事に出れば、サイモンは情報部でも上の方の階級で、忙しくパソコンに向き合っている。
人身売買組織の黒幕が国外にまだ逃亡していないのではないかという情報が入ったので、その真偽を調べているところだった。
黒幕らしき男性の資産は凍結していたし、顔写真も国内全土の警察に行き渡らせていたので、国外に出るのにも個人ジェット機でも使わなければ無理なのだが、それだけの資金がなさそうなのである。
黒幕は逃亡資金を稼ぐために新しい人身売買の手段を取るかもしれない。
そのときに狙われるのは、保護したオメガたちだ。
保護施設ではオメガたちを外出させず、護衛を付けて守っているが、ティエリーも狙われそうなのでサイモンはティエリーに外出を許していなかった。
黒幕の件が何とかなれば、ティエリーも自由に外出できるようになるので、できるだけ早く黒幕を捕まえてしまいたい。
黒幕はアルファの男性で、いくつもの偽名を使ってこの国で暮らしていた。表面上は貿易商の資産家なのだが、裏ではオメガの人身売買取引をやっていた。オメガを幼少期から育てて個人的に売りつける施設を、オメガの保護施設だとして大量の寄付金を与えて経営していたのもこの男性だった。
保護されたオメガの中には、無理やり番にされて番を解除されて苦しんでいるものもいるし、子どもを産まされて取り上げられて子どもも売られてしまったものもいる。
売られた子どもも取り返し、そのオメガと一緒に暮らせるように手配しているが、無理やり産まされた子どもを育てることに抵抗があるオメガもいるようなので、子どもだけを引き取って保護するケースも出てきそうだ。
これだけ大きな人身売買組織を殲滅するのは警察でも初めてで、かなり時間がかかっているのは仕方がない。
一日も早くティエリーが自由になれるように。
サイモンはコツコツと情報を集めるしかできることはなかった。