サイモンから飲み会に誘われてティエリーは行っていいものかどうか迷った。
番を紹介したいと言われていたが、ティエリーは番の解消を申し出るつもりだった。サイモンの好みはティエリーではないようだし、ティエリーを義務で抱かせるのは申し訳ない。
責任感があって優しいサイモンは言い出せないのかもしれないが、ティエリーのことは全く好みではなくて、本当は可愛い系の小柄な女性と結婚したかったと後で言われたらティエリーは立ち直れない気がする。
行かないという選択肢もあったが、サイモンの口にした一言でティエリーの心は動いた。
オメガの女性も参加するからティエリーは悩みがあるなら聞いてもらえる。
飲み会に誘ったときにサイモンはそう言った。オメガの女性ならばサイモンの過去を知ったうえでティエリーの話を聞いてくれるだろうか。
ティエリーがサイモンと番を解消する話はできないかもしれないが、次のヒートでサイモンに抱かれずに過ごす方法くらいは一緒に考えてくれるかもしれない。
了承すると、サイモンは嬉しそうにしていたので自分の選択が間違いではなかったのだと分かった。
金髪のベータ男性のレミと、灰色の髪のベータ男性のイポリートとブルネットのオメガ女性のジルベルト。
自己紹介をしてから怒涛のようにレミとイポリートが喋るのに、ティエリーは委縮してしまった。
「サイモン、向こうの席に行けよ。狭い」
「アルファはでかいんだから」
「おれが正面の席に入ったらティエリーとジルベルトが狭くなるだろう。ティエリー、何を飲む? アルコールを飲んでも構わないよ。おれも今日は飲むつもりだ」
「サイモンが紳士的だ!?」
「サイモンのこれまでの彼女から、『彼は不能なの? 冷たいし』って言われてたのに!」
「レミ! イポリート! ティエリーの前で変なことは言わないでくれ!」
サイモンが不能? 冷たい?
過去の女性がそのように言ったのだと言われてもティエリーには信じがたい。
ティエリーを抱くときにサイモンはこの上なく情熱的にティエリーを満たしてくれたし、体力があるティエリーだからこそ受け止められたが、抱く回数も相当に多かった気がする。
冷たいと言われているが、気持ち良すぎて反射的に「いや」とでも言おうものならば、ヒートのフェロモンで理性が焼き切れそうになっているはずなのに、行為を止めて「大丈夫か?」と優しく聞いてくれるし、普段からサイモンは優しさの塊のような男性だった。
「ふのう? つめたい? サイモンが?」
どうしても不能という言葉も冷たいという言葉もサイモンには似合わなくて聞き返してしまったが、レミとイポリートは喜び勇んで答えてくれる。
「これまでの彼女に対しては、ものすごく淡白だったみたいで、夜満足させられてなかったんだって。『アルファは性欲旺盛だと聞いていたのにがっかりだわ』って振られてたのも見たよ」
「お付き合いも仕事優先でほとんど時間を合わせなくて、すぐに別れることが多かったし」
「おれの話はどうでもいいだろう!」
「よくないよ。サイモンの大事な番に真実を聞いてもらわないと」
「サイモンがどれだけダメ男だったか聞いてから結婚すればよかったね。サイモンは君には冷たくない? 君を満足させてる?」
「答えなくていいからね、ティエリー!」
サイモンがティエリーに対して淡白だったことなんてない。
ヒートのときはティエリーも満たされたくてサイモンを際限なく求めてしまうが、サイモンも情熱と愛を以てそれに応えてくれる。優しくも激しい行為はティエリーを満足させていたし、快感に溺れさせていた。
仕事優先で時間を合わせないというのも信じられない。
二人で過ごした最初のヒートのときには仕事を切り上げて早めに帰ってきてくれたし、仕事が忙しくなくなれば定時に帰ってきてくれてサイモンはティエリーとの時間を大事にしてくれる。
別々に過ごすのは仕事のときとシャワーのときくらいだったが、シャワーもお願いすれば一緒に入ってくれたのではないだろうか。
ティエリーのことが好みではなくて、ヒート以外は抱きたくないと思っているのに、サイモンはティエリーがお願いしたら一緒にベッドで眠ってくれたくらい優しいのだ。
サイモンと同僚のやり取りに思わず笑ってしまうと、ジルベルトがティエリーに声をかけてきた。
「わたしのカクテル、度数も低いし、甘くて飲みやすいから同じものを頼む?」
「お願いします」
自分で選ぶのは苦手なので誰かが決めてくれるとティエリーは安心する。ジルベルトに同じカクテルを頼んでもらって、ティエリーはそれを飲んで食事にした。運ばれてくる料理はボリュームがあって、食べ応えがある。
大きな包み焼パイをサイモンが丁寧に五等分にして、ティエリーの分は皿にまで取り分けてくれた。
「え!? ずるい! おれにも!」
「レミは自分でしろ」
「おれも!」
「イポリート、ふざけるな」
ティエリーには取り分けてくれるが、レミとイポリートが頼んでも冷たくあしらうサイモンに、職場ではこんな感じなのだと納得する。
ある程度料理を食べ終わると、ジルベルトがティエリーをカウンター席に移動するように誘った。
「大事な旦那様をお借りするわね」
「髪の毛一本傷つけずに返してくれよ」
「気を付けるわ」
席を離れていいのかとサイモンに視線で問いかけると、「行っておいで」と言われたので大人しくジルベルトについていく。
ジルベルトはオメガの女性にしては身長も高く体付きもしっかりしているが、顔立ちはとても美しい。サイモンとジルベルトの間に性的な香りは全くしなかったが、同じ職場にアルファとオメガがいるのだから何かあってもおかしくはない。
カウンター席に座って、持ってきたカクテルのグラスをティエリーとジルベルトは自分の前に置いた。
「ジルベルト様は、サイモンと……」
「待って。『様』はやめてくれる?」
「はい。ジルベルトはサイモンとお付き合いしていたのですか?」
「それだけはないわ。サイモンはわたしの趣味じゃないし、サイモンもわたしとなんて考えられないでしょう。意外に思うかもしれないけど、同じチームにオメガとアルファがいるってとても緊張するものなの。付き合うなんて絶対にないわ」
完全に否定されたので安心してティエリーはジルベルトに聞くことができた。
「アルファに抱かれずにヒートを過ごすためには、どうすればいいですか?」
「え? あなた、サイモンの番じゃないの? サイモンに抱かれるのは嫌なの?」
「わたしは嫌ではないのですが……事情があって。次のヒートは一人で耐えられるか試してみたいんです」
サイモンがティエリーを好みじゃなくて抱きたいと思っていないと告げたら、きっとジルベルトは否定する。その否定が虚しいだけなのでティエリーは聞きたくなかった。
「まぁ、オメガとしてヒートで訳が分からなくなってるときに抱かれたくないっていうのはよく分かるわ。抑制剤を使ったことは?」
「警察署の医務室で緊急の抑制剤を打ってもらったことがあります」
緊急の抑制剤を使っても、廊下にフェロモンが漏れ出すくらいサイモンに対しては効いていなかったのだが、あれは特殊な状態だったからだとティエリーは思いたい。自分の部屋に閉じこもってヒートに耐えることはティエリーは不可能ではないと思っているのだが、サイモンを誘ってしまってはどうしようもない。
どう説明すれば分かってもらえるか考えていると、ジルベルトも考え込んでいるようだった。
「体質に合う抑制剤を見つけるまでには時間がかかると思うわ。サイモンにヒートの間抱かれたくないのだったら、第二の性に特化した病院に通って、体質を調べてもらって、抑制剤を処方してもらうのが一番でしょうね。一応、サイモンにも抑制剤を飲んでもらって、緊急の抑制剤をお互いに準備しておくのも大事だわ」
「サイモンに相談しないわけにはいきませんか」
「こういうことは夫夫にとってとても大事なことだから、しっかりと話し合った方がいいと思うわ。ヒートの期間抱かれたくないというのはオメガの権利でもあるし、主張していいと思う」
反対されるかと思ったが、ジルベルトは的確にティエリーに対処法を教えてくれた。
「部屋のドアを鍵がかかるようにすることも大事ね。オメガのヒートにあてられてラット状態になったアルファなら簡単に壊せるかもしれないけど、サイモンはあなたが嫌がっていたら鍵をこじ開けてまで中に入って無理やり抱くことはないでしょう」
「サイモンは、優しいですからね」
「優しいとか優しくないとかいう問題じゃなくて、これはあなたの権利なの。夫夫間でもレイプは有り得るのよ。同意がなければ行為に及んではいけない。これは法律でも定められていることなの。あなたが拒むのならば、サイモンは自分がどんな状態にあろうとも、あなたの権利を守る。そういう
そもそもフェロモンが薄くてほとんど感知されなくて、その上緊急の抑制剤を打った状態でもサイモンはティエリーのヒートのフェロモンにあてられて番になった。ティエリーはサイモンと番になれて幸せな日々だったけれど、サイモンの方はティエリーを家族としてしか愛していなくて、ティエリーと番になったことを後悔しているのではないだろうか。
「サイモンは、わたしに責任を感じているだけなんだと思います。わたしのことは、家族として愛し、尊重し、大事にすると誓ってくれたけれど、それ以上の感情はないのではないかと」
「サイモンはあなたに夢中よ?」
ジルベルトに言われてもティエリーは信じることができない。サイモンは愛しているとか、愛する番だとか言ってくれるが、ティエリーにはその言葉がどうしても受け入れられなかった。
ティエリーと番になっていなければサイモンは可愛くて小柄な女性を選べる立場だったのではないだろうか。どれだけでも相手を選んで、結婚できたのに、ティエリーの存在がサイモンの未来を奪ってしまった。
水滴の付いたグラスを見つめて俯くティエリーにジルベルトはそれ以上何も言わなかった。
飲み会が終わってから、歩いて帰るときにサイモンはティエリーの手を握っていてくれた。手を繋いで外を歩くだなんて初めてだったのでティエリーは心拍数が上がる気がする。アルコールを飲んでいるせいかもしれないし、サイモンが手を繋いでいるからかもしれないが、体がふわふわする。
「ティエリー、ジルベルトと話は弾んだのか?」
「はい。有意義でした」
「おれにも相談したいことがある?」
相談したいことはあった。
第二の性に特化した病院に連れて行ってほしいとか、次のヒートでは抱かれることなく一人で過ごしたいとか、部屋に鍵を付けてほしいとか、言いたいことはたくさんある。
でも、今はサイモンに手を引かれてふわふわとした幸福感の中にいたい。
サイモンに愛されていると錯覚していたい。
「口付けを……」
したいと小さく呟いてから、深夜になっていたがここが外だということに気付いてティエリーは「すみません、なんでもないです」と急いで言い直した。
腕を引かれて背伸びをしたサイモンの唇がティエリーの唇に重なる。
「サイモン!?」
「誰も見てないよ。見てても平気だ」
夫夫なんだから。
くすくすと笑うサイモンは酔っているのだろう。
例え酔った勢いと言えども、口付けしてもらえてティエリーはこの上なく幸せだった。