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6.二人で過ごす初めてのヒート

 人身売買組織を追い詰めるためにサイモンは夜遅くまで仕事をしている。


「先に寝ていていいよ」


 そう言われるのだが、ティエリーはサイモンが帰ってくるまでは心配で眠れなかった。

 与えられた部屋の本棚には警察官の実態というような本もあった。警察官というのはとても危険な仕事で、殉職するものもいるという文章を見たときにはティエリーは背筋が寒くなる思いだった。


 サイモンがいなくなってしまうかもしれない。


 ティエリーにとってはサイモンは最初で最後の番だ。

 オメガは番を解消することも、番を変えることもできない。

 アルファの方はオメガと番を解消して次の番を迎え入れることができるのだが、オメガは一生番のアルファに囚われて、他の相手と性行為をしようとすると激しい拒否反応を起こしてしまうのだ。


 何度か買われていった先でティエリーを番にしようとする相手はいなかったし、ほとんどがアルファに劣等感を抱いたベータだったので番になることはできなかった。性行為というには酷い暴力としか言いようのない扱いを受けても、ご奉仕させられても、ティエリーが満足できなかったのは相手がアルファではなかったからかもしれない。

 アルファのサイモンから抱かれたときには、快感しかなくて、それに溺れそうで怖いくらいだった。


 サイモンは優しい。

 一緒に住み始めてひと月近く経っていたが、サイモンの態度は変わらなかった。

 最近では短い昼の休憩時間も一緒に過ごそうとマンションに戻ってくる。

 お弁当ではなくて作ったものを一緒に食べたとき、ティエリーは温かい食べ物がこんなに美味しかったなんて初めて知った。


 それまでもサイモンとは温かい食事をしていたが、それ以前は冷たい食べ物を与えられるか、何かよく分からない栄養剤のようなものを与えられるかで、ティエリーはまともな食事はしたことがなかった。

 それでも体は育つので、食事を抜かれたこともあったが、育ってしまってからは、こういう体を苛んで楽しむ被虐趣味の客のために限界まで育てさせようと食べ物は与えられたが、味付けも美味しいものではなく、栄養剤の延長のようなものだった。


 サイモンはティエリーに幸福を与えてくれる。

 だから、サイモンがいなくなる未来などティエリーは考えたくなかった。


 ティエリーがサイモンの入れた紅茶を好むようになってから、サイモンは保温保冷機能のある水筒にティエリーの好きな紅茶を入れて出かけるようになった。部屋で一人でいて寂しいときには、ティエリーはサイモンの入れてくれた紅茶を飲んだ。


 寂しいという感覚もサイモンが教えてくれた。


 それまではご主人様がいなくなると安堵して休めたものだが、サイモンと暮らし始めてからはサイモンがいないとティエリーは部屋の温度が下がるような、体が末端から冷たくなるような感覚に襲われた。

 お弁当を食べても美味しいと感じなかったし、サイモンが用意してくれていた飲み物を飲んでも体の冷えは酷くなるばかりだった。


 サイモンが帰ってきてティエリーの顔を見て僅かに微笑むのを見たら、一気にそんなことは吹っ飛んで、体が温かくなる。これが幸福だということもサイモンに教えてもらったようなものだった。


 ティエリーの世界はサイモンを中心に回っていた。


 二、三日前から微熱が続いていて、サイモンが心配して病院に連れて行ってくれたときに、ティエリーは医者から言われた。


「これはヒートの前兆ではないでしょうか。これまでに自然にヒートが起きたときに、熱っぽくなりませんでしたか?」

「分かりません」


 これまでのヒートは薬で起こされたものが多く、ティエリーのヒートは定期的でなかったために自分がヒートのときにどのような状態になるのかティエリーはよく分かっていなかった。正直に答えると、医者が質問を変える。


「恐らくヒートの前兆ですので、抑制剤を使いますか? それとも、使わずに過ごしますか?」


 抑制剤は使っていいという許可を得ていなかったのでティエリーが答えられずにサイモンを見ると、サイモンはいつものように「ティエリーが決めていい」と言ってくれた。


「番ができたので、一緒に過ごしたいです」

「それでしたら、用心のためにアフターピルを処方しておきますね。避妊具なしで性交渉に及んだときには使ってください」

「使わないといけませんか?」

「クルーゾーさんはまだ精神的に安定していないので、妊娠は早すぎると思います」


 ティエリーの年齢からすれば遅すぎるのではないかと頭を過るのだが、サイモンは二十五歳はまだ若いと言ってくれたし、結婚するのも二十五歳は若い方だと教えてくれていたのでそれ以上医者を困らせるようなことは言わず、アフターピルを受け取った。


「ジュネさんは避妊を気を付けてくださいね」

「はい」


 サイモンも釘を刺されていたが、大人しく返事をしていた。


 微熱がいつまで続いてヒートになるか分からない状況だったので、サイモンはティエリーを部屋に寝かせて携帯端末を握らせて、ティエリーに言った。


「おれの衣服やこの部屋にあるものは何でも使って構わない。巣作りがしたいと思ったら、してもらっても構わない。おれの部屋のベッドも使っていい。ヒートが来たと思ったら、すぐに連絡してくれ。帰ってくるから」

「はい」


 サイモンの衣服を使う許可も、部屋のものは何でも使う許可も、ベッドまで使う許可をもらってしまった。

 本当はサイモンと同じベッドで眠りたいのだが、サイモンの方はそれを望んでいない様子だし、サイモンの部屋に入る許可を得ていなかったのでティエリーはずっと我慢していた。

 病院から戻って、サイモンが遅れて仕事に出かけてから、微熱でふわふわとする頭でティエリーはサイモンの部屋のベッドに移った。

 シーツからも枕からも布団からもサイモンのフェロモンの香りがする。

 心地よくてうっとりしていると、目に入る位置にあったクローゼットが少し開いているのに気付く。そっとベッドを抜け出てクローゼットを開けると、サイモンの衣服がぎっしりと詰まっている。


 スーツ類は皴になるので避けたが、サイモンが普段着にしているシャツやボトムス、それにパジャマを持ち出すと、ティエリーはサイモンのベッドの上に配置していった。

 サイモンのフェロモンの匂いのするベッドでサイモンのフェロモンの匂いのする衣服に囲まれて、ティエリーは体の熱が上がっていくのを感じていた。

 じくじくと胎が疼き、サイモンを受け入れる場所が濡れてくるのが分かる。

 ヒートに入っているのかもしれないが、これくらいの熱は我慢するようにずっと言われていたので、ティエリーはサイモンに連絡をしなかった。

 サイモンの服に頬をこすり付けて匂いを嗅いで自分で体を慰めていると、いつの間にか時間が経っていたようだ。

 外は暗くなっており、灯りを点けていない部屋は真っ暗だった。

 サイモンのベッドと衣服を汚してしまったことを反省しつつ、熱い体でベッドから出て洗濯機を回そうと立ち上がったとき、部屋の灯りが点いた。


「ティエリー……すごいフェロモンだ。ヒートに入ったら連絡してくれと言ったのに」

「すみません。よく分からなくて」


 謝ってから、ティエリーは自分が汚してしまったサイモンの服やベッドを見て、震える。


「使っていいと言われたけど、汚していいとは言われなかった……。申し訳ありません。捨てないで」


 言うことを聞かなければ捨てられてしまう。

 さぁっと青ざめたティエリーをサイモンが警察官らしい鍛えられた腕で抱き締める。


「捨てるも何も、もう夫夫ふうふだろう? 結婚しているんだから。おれは一生ティエリーの人生に責任を持つよ」

「サイモン……」

「おれのベッドで待っていてくれたんだな。こんな可愛いことをされると、我慢ができなくなりそうだ」


 背伸びしてティエリーの頬に手を触れて、サイモンがティエリーに口付けしてくる。口付けは拒むことができたし、舌という生命の危険のある場所を歯という凶器がある場所に預けるので、誰もティエリーと口付けをしようとしなかった。

 初めての口付けは気持ちよく、ティエリーは腰が砕けそうになる。

 ベッドに座り込んだティエリーに、サイモンが服を脱ぎながら覆い被さってくる。ティエリーの服も簡単に脱がされて、衣服とシーツを敷いた上に体を倒されて、ティエリーはサイモンの背中に腕を回した。


 避妊具を付けての行為は、若干満たされない感じはあったが、嫌なことは何もなかった。ただただ気持ちいいだけで、ティエリーはサイモンに甘やかされ、優しく抱かれて快感に溺れた。

 最初は気持ち悪いから出すなと言われていた声を必死に堪えていたのだが、唇を噛もうとするティエリーにサイモンは口付けでそれを阻止した。


「声、聞かせてよ」

「でも、萎えるから……」

「萎えない。ティエリーが気持ちよくなってる声が聞きたい」


 興奮を抑えるように耳元で低い声で囁かれるともうだめだった。

 ひたすら喘いで、声を抑えることなど考えきれなくなって、ティエリーはサイモンの名前を何度も呼んだ。


「さ、いも……サイモンっ! さい、もん! あぁっ!」


 体力はあったので意識は飛ばなかったが、サイモンと体が溶けて混じり合うくらいまで体を交わし、ティエリーはその合間にサイモンの作ってくれた食事を摂り、満たされたヒートの期間を過ごした。

 ティエリーのヒートは最初の三日間が激しく、その後は残り火のように体の熱がちろちろと燃えているだけだったが、きっちりと一週間休みを取ってくれたサイモンはティエリーが満足するまでティエリーを満たしてくれた。


「サイモン……こういうとき、なんて言えばいいのでしょう?」


 幸福で、泣きそうなくらい満たされているのをサイモンに伝えたいのに、「ありがとうございます」以外浮かばなくて問いかけたティエリーにサイモンは口付けて耳元で囁いた。


「愛してるよ、ティエリー」

「愛してる……愛しています、サイモン」


 薄っぺらい「愛している」ならばどれだけ言わされたか分からない。

 行為の最中に言うものだとか、買い手に「自分をどう思っているか」と聞かれて「愛しています」と暴力を加えられたくなくて答えたことは何度もあった。

 しかし、今口にしている「愛しています」はそれとは全く違った。


 ティエリーはサイモンを愛している。

 ティエリーの人生にサイモンは欠かせない存在になっている。

 それを実感したヒート期間だった。


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