目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

3.同居初日

 ティエリーのヒートは促進剤で突発的に起こされたものだったし、サイモンとの性交渉で治まっていることが分かった。

 ベータの医者だったが、診察でティエリーはフェロモンがほとんど感じられないくらいに薄いことも知らされたが、サイモンにとってはもの暴力的なほどの欲望を掻き立てる香りがして、どうしてこんなことになったのかサイモン自身も分からなかった。


 警察官という仕事柄、アルファであってもオメガのヒートには強いものしか採用されていないし、普段からサイモンは抑制剤を使わなくてもオメガのヒートと行きあっても平気なくらい鉄壁の理性を持っていた。体が反応することもなかったので、サイモンはフェロモンに対する抵抗力がある体質だったのだろう。


 それが強い抑制剤を服用して、緊急用の抑制剤も打ったのにティエリーのフェロモンには抗えなかった。

 逆に言えば、フェロモンの薄いティエリーのフェロモンがこれだけ作用し、フェロモンに強いサイモンがこれだけ反応したのだから、ティエリーとサイモンの相性は相当によかったのだろう。


「運命の番かもしれませんね」


 アルファとオメガの間には運命の番といって、一生かけても会えるかどうか分からない最高に相性のいい相手がいる。その相手と出会ってしまうと、番うことしか考えられなくなって、どうしようもなく本能で惹かれ合う。


 医者の言葉に、サイモンは頭を抱えた。


 ティエリーを番にしてしまったことは、もう何をしても覆すことができない。

 サイモンがティエリーとの番を解消しても、一度番となったオメガは、番のアルファしか受け付けなくなって、他のアルファやベータに抱かれることは不可能になり、一生ヒートで苦しむことになる。


 金髪の同僚、男性のベータのレミはサイモンとティエリーの会話に立ち会ってくれて、全部を聞いていた。


「本当に結婚する気か?」

「それ以外の責任の取り方が分からない」


 ティエリーは簡単に番を解消すればいいと口にしていたが、それで都合がいいのはサイモンだけだ。ティエリーにとっては今後一生ヒートを治めてくれる相手もおらず、結婚もできず苦しむことになる。

 それくらいなら、結婚など考えたこともなかったが、サイモンが責任を取って結婚する他ないだろう。


「ヒートの期間は仕方がないが、他の期間は、家族として尊重して大事にする。何より、番の解消をあんなに簡単に口にしたんだ、彼は自分のことを大切に思えていない」


 これまで売られる対象として酷い扱いを受けていたのだろう。ティエリーは自分を顧みるような発言は全く見られなかった。

 家族として愛し、尊重し、大事にするという言葉にだけ、ティエリーは反応した。


 売られるくらいだったのだから、家族というものがなかったのだろう。

 それならば、サイモンが教えて、平穏に幸せに暮らすということを覚えてもらわなければいけない。その上で、サイモンと離れて独り立ちできるようになったら、ヒート期間だけ一緒に過ごして、ティエリーに仕事を探して部屋も探してもいいとは考えていた。


「今は人身売買組織も殲滅できてない。一人では危険なのも分かっているし、おれと暮らした方が安全だろう」

「それはそうだな。だが、結婚をそんなに簡単に決めていいのか?」

「ベータのレミには分からないかもしれないが、番は結婚以上の重い意味がある。オメガの番になったのだから、責任はとるよ」


 理性を完全に飛ばしたサイモンに襲い掛かられてティエリーはどれほど恐ろしかっただろう。できれば今後怖がらせるようなことはしたくなかったが、ティエリーのフェロモンがあんなにも強くサイモンに作用するのならば、ヒート期間中はまた理性を失ってしまうかもしれない。

 自分でも理性的で面白みがないくらいだと思っていたが、アルファとしての本能は獰猛な獣のようにサイモンの中にあったのだ。


 ティエリーと話をしてから、サイモンは始末書を書かされたが、ティエリーの方がサイモンが裁かれるのを望まなかったのと、サイモンがティエリーと結婚することを宣言したので、事態は収まった。


 人身売買組織の施設の場所ややり口をティエリーから供述してもらった数日間の拘束期間の後で、サイモンはティエリーを連れて自分のマンションに戻った。

 入り口に警備員とコンシェルジュのいる防犯性の高いマンションだ。

 警備員とコンシェルジュにティエリーを紹介して、ティエリーの指紋と網膜を登録する。


「おれの番のティエリー・クルーゾーです。今日から一緒に住む」

「ティエリーと申します」

「ティエリー・クルーゾーさんですね。登録しました」


 礼儀正しく挨拶をするティエリーは、しみじみと見てみるとサイモンより十センチ近く身長が高い。体付きもがっしりとしているし、胸板も厚く、腕も太い。

 オメガといえば触れれば壊れてしまいそうな儚い華奢なイメージしかなかったが、がっしりとしたティエリーの体格にサイモンは見惚れた。

 男性も女性もどんな相手が好みかと言われれば、考えたこともないので答えられなかったが、触れれば折れそうな華奢な相手は苦手だった。それを考えるとティエリーは体格もよく長身で、顔立ちも整っていて申し分のない相手なのかもしれない。


「ご主人様、どうかされましたか?」


 自分の部屋の階に上がるエレベーターの中でじっとティエリーを見ていたので、ティエリーが不思議そうに言うのに、サイモンはため息をついた。


「ご主人様はやめてくれ。おれは、サイモンだ」

「サイモン様」

「様はいらない。サイモンでいい」

「はい、サイモン」


 従順なティエリーがこれまでどのような扱いを受けてきたのか分からないが、結婚するのだから人間らしい温かな暮らしをさせてやりたいとサイモンは思う。最初は最悪だったかもしれないが、縁があって結婚して家族となるのだ。誠実に接したいと思っていた。


 部屋のドアは指紋認証と網膜認証なので、ティエリーの分も登録してもらった。ティエリーはサイモンの部屋に自由に出入りできるはずだ。


「ここに指をあてて、ここを覗き込むようにするとドアが開く」


 指紋認証と網膜認証の前で手本を見せてドアを開けてやると、ティエリーがサイモンの開けたドアからゆっくりと中に入る。

 玄関で立ち止まったティエリーにサイモンが説明する。


「おれは日本人の血が入ってるから、家の中は靴を脱いで過ごしている。ティエリーもそうしてほしい」

「はい」

「服や靴はサイズが合うと思うものをいくつか用意しているが、趣味に合わなかったら着なくてもいい。この端末にティエリーの情報を覚えさせるから、登録してあるサイトでなら、欲しいものは買って構わない」

「はい」

「宅配物はコンシェルジュが受け取って、夜に届けに来るから、それまで待っていればいい。申し訳ないが、まだ人身売買組織が殲滅できていないので、外出は避けてほしい」

「はい」

「何か困ったことがあったらいつでも話してくれ。おれが不在のときにはこの端末からメッセージを送ればいい。仕事中はすぐには返せないかもしれないが、確認したらすぐに返すようにする」

「はい」


 言葉少なく、ただ「はい」だけで従順に答えるティエリーに本当に大丈夫かと思う気持ちはあったが、サイモンはこれ以上はできることはないとティエリーを部屋の中に案内した。

 リビングのソファに座らせて、携帯端末にティエリーの情報を登録し、パスコードをティエリーと決めて、ティエリーだけが使えるように設定した。

 それから、今まで書斎として使っていた部屋を急遽空けて、ベッドを買って運び込んだ部屋に案内する。


「ここがティエリーの部屋だ。クローゼットにはおれが選んだ服がある。パジャマもあるから使ってくれて構わない。自分の好みで買いたければ、今のところは登録してあるサイトで頼む。外に出られるようになったら、一緒に買いに行こう。食事の好き嫌いやアレルギーはあるか?」

「ありません」

「それなら、一緒に夕食を食べよう」


 部屋に案内したのでティエリーが部屋を確認するかと思っていたら、何も見ないままティエリーはサイモンについてきてキッチンまで来た。

 一人暮らしにしては広いキッチンだったが、でかい男が二人立つと狭く感じられる。


「やっぱり、食べ物にこだわりがあるのか?」

「わたしが作らなくていいのですか?」

「作れるのか?」

「お店のようにはいきませんが、それなりには」


 仕込まれていたので。

 ティエリーの返事にサイモンは苦笑する。


「そうだな。それなら食事は交代で作ることにしよう。ティエリーの端末に食品のサイトも登録しているので、好きなものを買って届けてもらうといい」

「はい」


 返事はするのだがキッチンから離れないティエリーに、サイモンはすることがないのかと思って、紅茶を入れてリビングのソファに連れて行った。


「夕食が出来上がるまで少し時間がかかるから、ここでお茶を飲んで端末でサイトでも見ててくれるか?」

「……はい」


 ほとんど変わらないティエリーの表情が僅かに曇った気がして、サイモンはティエリーの顔をじっと見つめる。見つめられてティエリーは紅茶のカップを手に取った。


「……すみません」

「やっぱり、一緒に料理するか?」

「いいのですか?」

「ティエリーがしたいなら、なんでもしていいよ。好みも聞きたいし」


 その質問は正解だったようだ。

 僅かにティエリーの表情が明るくなる。

 キッチンに立ってティエリーはサイモンを手伝って野菜や肉を切ってくれた。手際が良くなれている様子なので仕込まれたというのは本当なのだろう。

 紅茶を入れ直して、夕食と共にテーブルに並べると、ティエリーは椅子に座ってサイモンの方を見ていた。


「どうぞ、召し上がれ」

「いただきます」


 許可がないと食べてはいけないと思っているのかもしれない。サイモンが促すとティエリーは食べ始めた。


「昼食はおれがお弁当を作って冷蔵庫に入れておくから、食べるといいよ。他のものが食べたかったら、作ってもいい」

「食べさせていただきます。……お弁当、一緒に作ってもいいですか?」

「助かるよ」


 初めてティエリーの方から要望が出て、サイモンはすぐにそれを了承する。

 口数が少なく、表情も淡く、大人しいティエリーはまだまだサイモンに心を開いてくれてはいないようだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?