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2.売られたオメガ

 ティエリー・クルーゾーは両親を知らない。

 物心ついたときには施設にいた。

 その施設がオメガを育成する施設で、闇の人身売買組織にオメガを売っていることなど知らないままに、ティエリーは育った。

 オメガらしくない長身と逞しい体付き。それにヒートが起こるのも遅かったティエリーはオメガだということを疑われていたが、十八歳のときにヒートが起きて、やっと売れる状態になった。

 逞しく長身のティエリーはそのころには百九十センチを軽く超えていて、施設で買い手がつかなかった。買い手がついても、抱くときに萎えてしまうようで、すぐに返品されるか、暴力を振るわれてサンドバック代わりに弄ばれた挙句、返品されて施設に戻される生活だった。

 ティエリーは自分よりも体の大きな相手を屈服させて暴力を振るいたい買い手には需要があったが、オメガとして可愛がりたい買い手からは需要がなかった。

 何度も返品されるティエリーに施設側も考えたようだった。


 闇オークションに参加するような好事家ならばティエリーを買うものがいるのではないか。


 そのころには二十五歳になっていて、オメガとして売れる年齢としてもぎりぎりになっていたティエリーはこれで売れなければ精肉工場に連れて行くと脅されての参加だった。


 闇オークションに出されるオメガはみんなヒート促進剤でヒート状態にされる。買った後ですぐに体を繋げたい客のために別室が用意されているし、ヒート状態のフェロモンを嗅いでみないと相性が分からないという客もいるのだという。


 幼いころから売られることが決まっていて、そのために生きてきたティエリーは今回売れなければ、精肉工場に行かされるというのも冷静に受け止めていた。


 昔から表情があまり動かず、口数も少ないティエリーは苦痛を与えたときだけ、顔が歪むのでそれを面白がる買い手がかなりいたのだが、それ以外で感情を揺らしたことはほとんどなかった。

 自分に起こることは全て決まったこと。誰かが決めたことに従わなければティエリーは生きていけない。精肉工場に連れて行かれて死ぬのまで、誰かに決められるのだ。


 人生の全てが受け身のティエリーを救い出してくれたのは、数名のタキシードを着た客に紛れた潜入捜査の警察官と、外で待機していた警察官だった。

 美術品に見せかけて、オメガの肖像画を売りに出して、その間会場の最前列で立って後ろを見て顔を見せておくように言われたティエリー。全てのオメガがそのようにして売られるのだが、若く美しく儚いオメガは最高級品として最後の方に売られるのに対して、ティエリーは価値のない売れなかったら精肉工場行きのオメガだったので、一番最初に売りに出された。


 会場の一番前で立って顔を見せていると、その横を長めの黒髪に青い目の男性が走り去っていった。一瞬止まって太ももに筒状の緊急抑制剤を打っていたから、恐らくアルファなのだろう。

 ヒート状態でもフェロモンが薄くて、ほとんど気付かれないティエリーのフェロモンに反応するようなことがあるのかと少し驚いたが、そのまま走り去って、壇上に上がり、司会者を捕らえて、舞台裏に走り込んでいくその姿から目が離せずにいると、金髪の男性がティエリーに近付いてきた。

 警察手帳をティエリーに見せている。


「警察のレミ・ボルデです。あなたを保護します」

「わたしを?」

「一応確認しますが、あなたは今、ヒート状態にありますか?」


 ヒート状態のオメガのフェロモンは、アルファを誘うが、ベータは誘わない。それでも匂いだけは届くようなのだが、確認されているということはこのレミにはティエリーのフェロモンは感じられていないのだろう。


「ヒート状態、です」


 答えた瞬間、ティエリーの横を通り過ぎて行ったアルファの姿が蘇り、ティエリーは呼吸が荒くなる。ヒートでもそれほど発情したという感覚はこれまでなかったのに、体が震えて、胎が疼く気がする。


 震えて動けなくなったティエリーをレミは保護してくれた。


「フェロモンはそれほど漏れていないようだが、ヒート状態で立っていられないみたいなんだ。病院に連れて行ってくれ」

「病院は危険です。民間の場所だと、組織を完全に潰せていない状態では、取り返しに来るかもしれません」

「それなら、警察署の医務室に連れて行ってくれ」


 レミに命じられた警察官がティエリーを連れて警察署に行く。

 医務室で医者はティエリーに言った。


「緊急の抑制剤を打たせてもらいます。この警察署にアルファの警察官もいないわけではないので」

「はい」


 大人しく緊急の抑制剤を打ってもらってベッドに横になっていたティエリーだが、ベッドがふかふかすぎて落ち着かない。

 ベッドを仕切るカーテンは閉められているが、ただ寝ていることなんて抱かれるとき以外には許されなかったので、慣れなくてベッドに座っていると、医者が声をかけてきた。


「他のオメガの処置に呼ばれました。部屋には鍵をかけられますし、もうフェロモンは漏れていないようなのでしばらく一人で待てますか?」

「はい」


 フェロモンが漏れていないのではなくて、もともと薄いのだと説明することもできず、ティエリーは大人しく頷いた。打ってもらった抑制剤は効いているのかいないのか分からない。

 あのアルファのことを考えるとじくじくと胎が疼き、下半身が反応しそうになる。


 静かに待っていると、医務室のドアが開けられた。

 医者が戻ってきたのかと思ったが、そうではないことはすぐに分かった。


 濃いフェロモンの香りがする。

 全身からアルファのフェロモンを放った男性がティエリーに近付いて来ていた。

 そのフェロモンがティエリーは全く嫌悪感がなかった。


 むしろ、心地よい。


 ネクタイをむしり取られて、シャツを暴かれて、下半身からはスラックスと下着を抜かれて、性急に体を繋げられても、ティエリーは快感しか覚えなかった。ヒートで発情した体にアルファから仕掛けられる行為は全て気持ちよくて仕方がない。

 これまでこんなことは一度もなかった。

 無理やり抱かれるのはヒートの期間であっても苦しくて、服を脱げば我慢をするだけの時間だったが、荒々しい手つきながら、決してティエリーを傷付けるつもりのないアルファの手が心地よい。

 ひたすら気持ちがよくて、それに溺れて、ティエリーは首に巻かれていた頼りないうなじを守るためのチョーカーを爪で引っ掻いていた。


 噛んでほしい。


 もうそれしか考えられない。

 気持ちよくて、体が溶けそうで、うなじを噛んでほしくてたまらない。


 快感で泣きながらティエリーは噛んで欲しいと縋った気がする。


 それに応えるようにアルファは頼りないチョーカーを噛みちぎって、ティエリーのうなじに歯を立てた。発達した犬歯がティエリーの肌を破って、それが電撃のようにティエリーの体を震わせる。

 アルファとの接合がこんなに満たされるものだとは思わなかった。

 ティエリーは快感のあまり意識を飛ばしていた。


 目が覚めたときにはティエリーの体は清められていて、服も別のものが着せられていた。サイズがなかったのだろう、少し小さかったが、裸よりはずっといい。

 買い手の中にはずっとティエリーを裸でいさせたり、汚い服を何日も着させたりする者もいたので、清潔な服に着替えさせてもらえているというだけでとても贅沢な気分だった。


 首の後ろに触れると、ガーゼが張り付けられていて、そこに噛み跡があるのは間違いなかった。


「あのひとは……?」

「大変なことになってしまいました。警察組織の一員としてあなたに謝罪します。あなたは守られなければいけなかったのに」

「あのひとに、会えないのですか?」


 引き離されてしまった。

 番になってくれたアルファと引き離されたショックで呆然とするティエリーに医者が頭を下げている。


「ヒートが治まっていたと判断したわたしが間違いでした。サイモン・ジュネ捜査官は、あなたに相応の償いをするとともに、これから裁かれます」

「つぐない? さばかれる? なぜ?」


 自分は売られなかったら精肉工場にやられるようなオメガなのだ。それを番にしたところでアルファが裁かれるだなんて信じられない。愕然としたティエリーに医者が落ち着かせるように水をコップに注いでくれる。


「今後あなたのヒート期間がどうなるか分からないのですが、抑制剤でできる限りのサポートはします」

「あのひとに、会わせてください。あのひとは番を解消できるでしょう? 解消すれば、あのひとは自由のはずです」

「ジュネ捜査官は人身売買の被害者であるあなたを襲いました」

「それは、わたしがフェロモンで誘ったからでしょう?」


 番を解消すればいいだけの話で、なぜティエリーと番になったアルファが裁かれるのか全く分からなくて混乱するティエリーに医者も困っているようだった。

 何度も会わせてくださいと頼み込んで、ティエリーはアルファと会えることになった。


 連れて来られた独房のような部屋で、黒髪に青い目のアルファは手錠を付けられて、手錠がテーブルに固定されて、犯罪者のようだった。

 アルファの隣りには金髪のティエリーを助けてくれたレミというベータらしき男性がいた。


「あの……なぜ手錠が?」

「君を襲わないためです。彼の発言も、君が許可しないとさせないようにします」


 レミに言われてティエリーは慌てる。


「そんな必要はありません。その方は、わたしと番を解消すればいいのではないですか? そうすれば、何も問題がなかったことに……」

「これまでの君の常識ではそうする相手しかいなかったのかもしれないけれど、ここは警察で、君は人身売買の被害者で、保護されている立場です。今後のことは全て君の思う通りにすると彼は言っています」


 まだ一言も声を聞いたことのないアルファにティエリーは視線を向ける。

 その声を聞いてみたかった。

 自分の名前を呼んでほしかった。


「ティエリー……ティエリー・クルーゾーと呼ばれていました。この名前が気に入らないなら、何と呼んでも構いません。わたしと話をしてくれませんか?」


 ティエリーの懇願に、手錠でテーブルに繋がれたアルファが気まずそうに眼を反らす。


「サイモン・ジュネです。今回は本当に申し訳ないことをしてしまいました。謝罪して許されることだとは思っていません。おれにできることならどんなことでもするので、要望を言ってください」

「ようぼう? わたしが?」


 望みを言っていいとサイモンという名のアルファは言っている。

 何を望めばいいのだろう。


「わたしの、ご主人様になってもらえませんか?」


 番は解消されても構わない。

 少しの間でもサイモンというアルファのそばにいられれば、ティエリーは幸せになれるのではないだろうか。サイモンはヒート状態のティエリーに暴力を振るわなかったし、この通り、非常に誠実に対応してくれる。


「ご主人様? 責任を取って結婚すればいいですか?」

「けっこん?」


 意味が分からなくて首を傾げるティエリーにサイモンは頷く。


「番を解消すれば、あなたは一生誰にもヒートを治めてもらえなくて苦しむことになる。抑制剤が開発されているが、それも絶対じゃない。おれが無理やり番にしたのだから、責任を取れと言われれば責任をとります」

「解消しない?」

「どうしても解消してほしいというのならば、考えます。あなたもおれを愛せないかもしれないが、結婚すればおれはあなたを家族として愛し、尊重し、大事にします」


 番を解消しないだけでなく、サイモンはティエリーと結婚すると言っている。結婚がどういうものかよく分かっていないが、アルファとオメガならば、子どもを作って家庭を持てるのではないだろうか。


 その上、サイモンは家族と口にした。

 ティエリーに育った家庭の記憶はなかったが、家族というものに憧れはあった。


「あなたと家族になれますか?」

「あなたが、望むなら」


 ティエリーの答えに全てがかかっている。

 自分に選択権があったことなどなかったのでティエリーは大いに戸惑ったが、答えを出した。


「あなたの家族にしてください」


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