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10 テオドール様は真面目

 太陽が傾き、空がオレンジ色に染まるころ、私たちを乗せた馬車がようやく止まりました。


 護衛騎士が馬車の扉を開けて「お嬢。今日はここで野宿です」と教えてくれます。


「はい、わかりました」


 野宿と言っても、私は馬車の中で寝ますからね。


 それほど苦ではありません。


 護衛騎士が扉を閉めると、それまでぐっすりと眠っていたテオドール様が起きてしまいました。


 寝起きで少しボーッとしているテオドール様、眼福(がんぷく)です!


「……シンシア様? 私は、今までずっと眠って……?」


 驚いているテオドール様に「気分はどうですか?」と尋ねると、「すごく良いです」と返って来ます。


 良かった。心なしか、テオドール様の目の下のくまも薄くなっているような気がします。


 睡眠不足はつらいですもんね。


 テオドール様は、馬車の外に視線を向けました。窓の外には森が広がっています。


「ここは?」

「私には正確な場所はわかりません。でも、王都からだいぶ離れられたと思いますよ。今日はここで野宿だそうです」

「野宿……」


「あっ、テオドール様は私と一緒に馬車の中で寝てくださいね」

「いえ、さすがにそこまでは」


 え? テオドール様、外で寝るつもりですか?


 初心者に野宿は、かなり厳しいらしいですよ?


 テオドール様をどう説得しようか悩んでいるうちに、また馬車の扉がノックされました。


「お嬢。魚が焼けましたよ! 焚き火の側にどうぞ!」

「はい、今行きます」


 説得はひとまず置いておいて、私はテオドール様と一緒に馬車から降りました。


 日が暮れた森の中は、気温が下がり肌寒いです。


 焚き火の周りでは、数人の護衛騎士が忙しく動いていました。普段は下品なことばかり言っている人たちですが、こういうときは本当に頼りになります。


 焚き火の側に置かれた丸太に、私とテオドール様は並んで座りました。


「温かい……」


 そうつぶやいたテオドール様の顔は、焚き火に照らされ真っ赤に染まっています。


「焚き火に当たるのは初めてですか?」

「はい」

「では、焚き火で焼いた魚を食べるのも初めて?」


 私がおそるおそる尋ねると、テオドール様はうなずきました。


 焚き火の周りには、串刺しにした川魚が何本も立てられています。


 魚の焼ける香ばしい香りが食欲をそそりますが、体調が悪いテオドール様が、こんなワイルドな料理を食べられるのか心配です。


 そんなことをまったく気にしていない護衛騎士が「はい、焼けましたよー!」と表面が少し焦げた魚を私とテオドール様に手渡しました。


 受け取った焼き魚は、串の部分がほんのりと温かいです。


 ジッと焼き魚を見つめるテオドール様。


「テ、テオドール様のお口に合うといいのですが……」


 ドキドキしながら見ていると、テオドール様は魚にかぶりつきました。


 一瞬、固まり目を見開いたテオドール様は、何も言わず黙々と食べ続けます。


 焼き魚の原型がなくなったころに「おいしい」と言うつぶやきが聞こえてきました。


 私はその言葉を聞いて、胸をなでおろします。


「良かったです!」


 安心した私は、手に持っていた焼き魚にかぶりつきました。皮はパリッとしていて、白身はふんわりとやわらかく、とてもおいしいです。


 魚にまぶされた塩加減も完璧!


 護衛騎士に勧められて、テオドール様は二本目の焼き魚を食べはじめました。


「テオドール様は、お魚がお好きだったんですね」


 私の言葉に、テオドール様はなぜか戸惑いました。


「いえ、そういうわけではないのですが……。王都での食事は、何を食べてもおいしいとは思わなかったのに、今はとてもおいしく感じます」

「でも、王都の食事はごちそうですよね?」

「そうですね」

「テオドール様は、もしかして、田舎料理のほうがお口に合うんでしょうか?」

「どうでしょうか」


 そう言いながらも、テオドール様はモリモリと焼き魚を食べています。


「王都にいたときは、食事は胃に物をつめこむ作業でした。おいしいと感じたことはありません」

「じゃあ、王都から出れたから、食欲が戻ったんですね!」


 テオドール様は食べる手を止めて、私を見つめました。


「そうかもしれませんが、それ以上に、やりたいことができたからかもしれません」

「やりたいこと?」


 真剣な顔でうなずいたテオドール様。


「以前も言いましたが、私はシンシア様に恩返しをしたいのです。なんでもご命令ください」

「め、命令って……」


 私はテオドール様の服の袖を引っ張りました。


「今は護衛騎士たちがいるので、婚約者のふりをしてもらえませんか?」


 私たちが本当は婚約者じゃないとわかったら、同じ馬車で過ごすのを止められてしまうかもしれません。


 そうなったら、テオドール様の体調が心配です。


 テオドール様は、ものすごく真面目な顔で「わかりました。善処(ぜんしょ)いたします」とうなずきました。


 そのとたんに、ニコリと微笑んだテオドール様。


「シンシア、ついているよ」と言いながら私の唇を指でなぞります。

「!?!?!?」


 驚く私の口元には、どうやら食べカスがついていたようで。

 それを取ってくれたテオドール様は、そのまま指をペロリと舐めました。


「!?!?!?」

「可愛いな、シンシアは」

「!?!?!?」


 急にどうしちゃったんですか!? テオドール様、頭でも打ったんですか!?


 ちかっ、顔が近すぎです!


 護衛騎士たちが、ニヤニヤしながらこちらを見ています。


 私はテオドール様の腕を引っ張ると、急いで焚き火から離れました。


「シンシア様、どうされましたか?」


 そういうテオドール様は、いつものテオドール様に戻っています。


「テオドール様こそ、どうしちゃったんですか!?」

「婚約者のふりをしたつもりなのですが、できていませんでしたか?」


 あ、あー、なるほど! できていたか、できていなかったかというと、できていましたね?


「いやでも、変わりすぎですよ! そこまで無理をしなくて大丈夫です!」


 テオドール様は目に見えて、しょんぼりしてしまいました。


「申し訳ありません。普通の婚約者がどういうものかわからなかったので、弟のクルトを参考にしましたが問題があったようですね」


 いや、あの人は参考にしてはいけませんよ!?


 兄の婚約者を奪うような銀髪野郎は、一度、罰を受けたほうがいいです!


「えっと、クルト様の真似はしないでください。私、ああいうタイプの方がきら……いえ、苦手というか」


 一度会っただけの人様の弟に何を言っているんだって感じですが、生理的にムリなんですよね。


「私は、いつものテオドール様のほうがいいです」

「いつもの、私?」


「はい。クルト様の軽薄そうな感じは嫌いです」


 あ、嫌いって言っちゃった。もういいか。


「私、テオドール様のような真面目な方のほうがいいです!」

「クルトより、私のほうが……?」

「はい!」


 私が全力でうなずくと、テオドール様は右手で顔を隠して横を向いてしまいました。


「テ、テオドール様?」


 まるで逃げるように私から距離をとると「少し、その、反省してきます」と言って森のほうに行ってしまいました。


「あっ、焚き火が見える場所より奥に行ってはダメですよー!」


 私の声に気がついた護衛騎士の一人が、テオドール様のあとを追います。きっと護衛をするためでしょう。


 これなら安心ですね。


 それにしても、反省してきますってテオドール様は本当に真面目で素敵です。


 一人で馬車に戻った私は、ふと先ほどのクルト版テオドール様を思い出してしまい、思わず赤面してしまいました。


「テオドール様にはああ言ったけど、テオドール様なら少しくらい軽薄でもいいかも……」


 ――可愛いな、シンシアは


「ふ、ふふ」


 今日は良い夢が見れそうです。

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