噂をすれば影というやつだろうか。
車を運転して自宅まで行ってみると、来客用駐車スペースに見覚えのある高級車が停まっていた。
「やあ弘樹くん、用事で近くを通ったから寄ってみたよ」
ニコニコしながら気さくに話しかけてくる男は、ジュネスの九条社長。
彼の訪問は珍しいことではない。
僕が小学生の頃から、時々来ていた人だ。
「留守にしていてすいません、お茶でも飲んでいかれますか?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
こんなやりとりも、よくあること。
広瀬家は西洋のお屋敷みたいに薔薇園や東屋があり、来客にはそこで寛いでもらうことが多かった。
「ここはいつも良い香りがするねぇ」
九条が言う通り、庭に咲く花々から上品な甘い香りが漂う。
庭師さんがいつも丹精込めて手入れしてくれている植物たちは、いつも瑞々しく生き生きとしている。
「どうぞ」
「ありがとう。弘樹くん紅茶の淹れ方が上手になったね」
「そうですか?」
僕は九条を東屋に案内した後、キッチンから運んできた紅茶とクッキーをテーブルに並べて対面で座った。
何気ない会話を交わしつつ、相手に悟られないように警戒はしている。
ケイを眠らせておいて、九条は何をしに来たのか?
この場所も防犯カメラにバッチリ映るから、何かしてきたら映像を警察に渡そう。
東屋の屋根裏に仕掛けたカメラなら、音声も拾える。
防犯カメラの存在はカモフラージュされているので、ケイと僕しか知らない。
「ねえ弘樹くん、今度結成する新人グループに君も入らないかい?」
九条がこんな誘いをするのも、もう何度か聞いた。
彼がプロデュースしたアイドルたちが、数多く活躍しているのは知っている。
「君は顔もスタイルも良いし、歌も上手いからきっと人気が出ると思うんだ」
「そんなこと言っても、クッキーしか出ませんよ」
「いやいや、お世辞じゃなくて、私は本気でそう思っているんだ」
僕はアイドル業にはあまり興味が無かった。
九条の事務所のアイドルたちはファンに追い掛け回されて、街をゆっくり歩けない。
何よりも「アイドルは恋愛禁止」っていうルールが、僕には無理。
だって、もうケイの恋人になっているからね。
「でも、アイドルって恋愛ダメなんですよね? 僕はもう恋人がいるから無理ですよ」
「大丈夫、一般人はまだ君の私生活を知らないし、隠しておけばバレないさ」
いつもはさらっと流して終わるのに、今日の九条は随分と熱心に勧誘してくる。
ケイと隠れて付き合うなんて嫌だし。
僕は声優になりたいのであって、アイドルになりたいわけじゃない。
「スカウトは光栄ですが、僕はアイドルじゃなくて、声優がいいんです」
「あ~、なんて勿体ない……」
僕がきっぱり断ると、九条はガックリと項垂れた。
ここまでのやりとりに、特に異常は無い。
九条はその後もしばらくアイドル業について熱く語りながら、紅茶を飲んでいる。
「ごちそうさま。そろそろ帰るよ。アイドルになりたくなったら、いつでも私のところへ来てくれ」
やがて、そう言って立ち上がった時、九条は仕掛けてきた。
何気なく僕の肩を叩くふりをして、僕の首に打ち込もうとする針のような物が見える。
僕は九条の手首を片手で掴んで封じながら、もう片方の掌で顎を叩くように押し上げる掌底打ちで仰け反らせた後、強烈な膝蹴りを鳩尾に食らわした。
ケイのオススメで習っておいた護身術、遂に役に立ったな。
九条は小さく呻いて倒れたまま動かなくなった。
彼が僕を狙うかもしれない予想は大当たりだ。
僕は九条が意識を取り戻す前に警察を呼び、防犯カメラの映像を渡した。
ケイが意識を奪われた映像もしっかり保存されていたので、それも一緒に。
医師もケイから除去した針のような異物を提供、サイバー警察の調べで九条が腕時計に仕込んでいた物と同一であると判明。
電脳犯罪容疑で、九条氏は逮捕された。
◇◆◇◆◇
「私は、ダイヤの原石のような子が、磨かれずに埋もれていくのが許せない」
逮捕後、観念した九条は今回の動機について白状した。
彼の狙いはケイではなく、僕だったらしい。
「あの子が欲しかった。手に入れるためには、養父の彼が邪魔だったから始末しようとしたんだ」
九条は【天使と珈琲を】の開発に協力したことから、試作用ゲームを手に入れていた。
ケイに打ち込んだ針は、精神を試作用ゲームの世界に転移させる端末だったらしい。
NPCの中に閉じ込めてしまえば、自力では戻れなくなる。
ケイを長期間の昏睡にして筋力を衰えさせ、衰弱死させるつもりだったという。
九条は独り残される僕を引き取り、自分の養子にする計画を立てていた。
「僕があなたのところへ行くことは、絶対ありません」
面会に行った僕は、九条に宣言する。
もしも、ケイが原因不明の昏睡でそのまま死んでいたら、僕が選ぶ道はひとつ。
「ケイが死んだら、僕も生きてはいませんから」
僕が今生きているのは、ケイのため。
ケイがいない世界なんて、僕の居場所じゃない。
僕は九条に背を向けて、面会部屋から立ち去った。