夜も更けた頃、雨も上がり雲が晴れ、星が空に垣間見えた。
その時には裏業は起きており、気を失ったことなど覚えていなかったため、何故水埜辺に支えられていたのか数秒間理解ができなかったのは言うまでもない。
外を見て、星が出ていることに感動した。星なんて、何年振りに見ただろうか。
最近、立て続けに色々なことがあったからだろうか。その光景は少なからず裏業の心を癒した。
「雨、上がりましたね」
「そのようだね。……では、そろそろお暇しようか。夜も深いし」
「ああ……」
「私はこのまま明日までお鈴様のところにいようと思います」
「うん。その方が俺としても安心だ。またな~太助~」
「…………芦屋様」
「はい?」
裏業は神妙な面持ちで糸音を呼ぶ。
糸音は太助をそのまま水埜辺に預け、裏業の声に耳を傾けた。
「最後にひとつだけ。お伝えし忘れたことがありました」
「え……?」
「芦屋太一郎は、死に際『糸音、すまなかった』と言っておりました。……その一言しか聞き取れなかった。……彼の最期の言葉を、こういう形ではあったが、届けることができて良かった」
その言葉を聞いた瞬間、糸音の目から涙が流れたが、その表情は哀しいものではなく、笑顔であった。
「ありがとう……! また、遊びに来ていらしてね、乃花さん」
そうして、裏業の不思議な一日は終わろうとしていた。
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「いや~、楽しかったねぇ。裏業ちゃんも、どうだった?」
最初は嫌だと思っていた。けれど、水埜辺が辛抱強く――半ば無理やりだが――諦めなかったおかげで得られたものは確かにあった。
「……いい体験ではあった」
「そっか」
しかし、ひとつだけ疑問に思うことがある。
「……知っていたのか。彼女の夫を斬ったのが、私だと」
水埜辺は振り向き、裏業を見つめた。その目は哀しみに溢れていた。
「……長く生きてるとさ、何となく分かるんだ。初めて君に会った日に嗅いだ
本当にこの男は不思議なやつだな。ふっ、とつい微笑してしまう。
「笑ったな」
「え?」
ふと、水埜辺は裏業の頭に触れ、撫でる。その感覚は知っているはずなのに、今回のは少し違う気がして、何故か頬が熱くなる。
「や、やめろ! 子供扱いをするな!」
「おや、お気に召さなかったか。って、げっ⁉」
もうすぐ奥老院に着くというところで、門前にひとつの影が見え水埜辺は一歩その場から引いた。どうしたのかと裏業も門前へと目を向けると、そこには昨日彼を迎えに来た男――水伊佐が立っていた。
「あれは、迎えのようだな。私はここまでで大丈夫だから。送ってくれてありがとう、奴良野殿」
「あ、いや……うん。じゃあ、気をつけてな。あ、これ、橋具くんに渡しておいてくれ。じゃあな!」
水埜辺は門前にいる男から逃げるようにして走り去って行ってしまった。それに気が付いた男は溜め息を吐いたかと思えば、距離があるはずの水埜辺に追いつくのではないかというくらいの速さで裏業の目の前を過ぎ去った。手には、渡してほしいという文のみが残っていた。
奥老院の自室に戻った瞬間、何故か胸が苦しくなった。顔も熱い。異常だ、何かの病気かもしれない。だが、不思議と嫌な感覚ではなかった。もっと彼の笑顔を見てみたい。もっと頭を撫でてほしい。そういった感情が裏業の脳内を埋め尽くした。
混乱の末、心臓の高鳴りを鎮めるために早く寝てしまおうと横になる。しかし、そう簡単にはいかない。
――何故、こんな感覚……!
無論、その日眠れることはなく、初めての感覚に戸惑う裏業であった。