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第13話 小太刀『朝凪』

「…………奴良野殿」

「んー?」

「あなたは、人を殺したことがお有りか」


 途端、彼の視線が冷めたものに変わった。


「……何故そんなことを聞くんだい?」

「いやっ、これは、ある友人の話で。どうも先日、自分の店に盗人に入られ襲われそうになり、防衛のため、その盗人を殺めたのだと言っていて。そういうのは、どういう気持ちなのかな、と」


 もちろん、こんなのは嘘である。


「……人を殺めることはあまりよろしくはないな。なにより血が流れるのはよくない」


 水埜辺はお猪口を台に置き、裏業を見つめた。


「俺は、殺したことは一度もないよ。だけど、殺されかけたりしたことはある。そっちの気持ちなら分かる。凄く恐くて痛いんだ」

「痛い?」

「うん。でも、それ以上に殺めた側の方がうんと辛いのかもしれないな、と思うことはあるよ。ま、生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、どちらも苦しいよね」

「……私は、何も感じない」

「ん?」


 裏業は自身の両手を見て、そう感じた。人の首を斬り続けて五年余り。慣れさえ感じるこの仕事に疑問が生じた。罪人を裁くにしても、何か別の方法があるのではないか? と。でも、そういった制度が仮にできてしまったとして、果たして自分には何が残るのだろうかと。


「どうしたら自分の存在価値が見つけられるのか。生きている意味はあるのか。いつも、ふと自分に戻った時に考えてしまうんだ。……なあ、奴良野殿。私は……間違っているのだろうか?」


 きっとこの時の彼女は水埜辺に縋っていた。日々生きるためとはいえ人を裁くことに疲れていた。もうこんなこと辞めてしまいたい。心で思っていても橋具には逆らえない。いつしか感情など捨てていた。『自分』を殺さなければ対等になれないと考えたのだ。

 死んでいた心に光が差し始めた。それは水埜辺と出会ってからだった。この男なら私の『自分』を照らす光になってくれるかもしれない。その屈託のない笑顔が『自分』を引き戻してくれるかもしれない。


 ――もし、『自分』を思い出したらどうなるのだろう。


「どう、どうしたら自分が、自分でいられるのか、分からなくて……」

「……うん。うん。分からないね、辛いね」

「この生き方は間違っていると思っている。でも、この生き方以外、知らないんだ」


 一度も、誰にも言ったことがない、きっと本音というものが水埜辺といると溢れる。


「間違うことは悪いこと、で、あ、あぁ……! いやっ」

「裏業ちゃん? ちょっと落ち着こうか。すみません、大将、水をもう一杯くれないか」

「あいよ!」


 裏業は息が早くなり、過呼吸に陥った。ひゅー、ひゅぅ、と肩で息をする。体温が徐々に冷えていき、カタカタと震え始めた。この音は少し危険だ。落ち着かせようと、水埜辺は裏業の背中をゆっくりとさする。


「ゆっくり、ゆっくりだ裏業。そう、上手上手」

「ご、ごめん、なさい、申し訳ありません、……」


 裏業は腰に携えていた小太刀を握りしめた。きっと、彼女の母からの形見なのだろう。少しずつだが、小太刀を握りしめてから呼吸も安定してきている気がする。


「……間違いを、間違いだと思える人に悪い人はいないさ。大丈夫、大丈夫だ裏業」


 そっと水埜辺は裏業の体を優しく抱きしめる。いつの間にか泣いていた裏業の顔は赤くなっていた。体温も戻りつつある。水埜辺はさらに強くしっかりと抱きしめた。


「な、にを……」

「ほら、落ち着いたかな。もう苦しくないね」

「……ああ」

「よかった」

「すまなかった……。取り乱したりして」

「いいや。君でも不安なことがあるんだなと思っただけだよ。人間、誰でも不安になることはある……」

「……? 奴良野殿?」


 ふと、彼女の握りしめていた小太刀に目が行く。


「……ああ、これは、昔母がお守りにとくれた守り刀だ。名は分からないが、家宝だと聞いている。……これがどうかしたのか? ……奴良野殿?」


 水埜辺は黙ってしまった。ただ小太刀に触れ見つめ続けている。数分間、何も起こらないまま時が過ぎて、まだ黙ったままの彼が少しだけ心配になる。


「奴良野殿……?」

「……どうしてこれを……。を持って……」


 ぐらり、と彼の体が音もなく傾いた。倒れる! と思った瞬間には遅く、そのまま受け止めきれないと思った裏業は反射的に目を瞑ってしまった。しかし、大人の男が倒れたというのにその重さが感じられなかった。恐る恐る目をゆっくりと開けてみると、冷たい目をした男が水埜辺を支えていた。倒れた本人はと言えば酔いが回りきったのか気持ちよさそうに眠っていた。気分を悪くしたようでなくて少しほっとする。


「あ、あの……」

「――まったく。屋敷にいないと思えば強くもない酒飲みやがって。阿呆が」

「……ぅへへ~、伊佐~?」

「うざいぞ酔いどれ」


 貶している割にはしっかりと彼の体を支えているし、どこか嬉しそうにも見える。この人はいったい何者だ。まじまじと見つめていたのがバレてしまい、視線が裏業に向けられる。すると水伊佐は水埜辺が手にしていた小太刀を裏業へと返した。


「え、あ……ありがとうございます。あの」

「うちの阿呆がすまなかった。連れて帰る。夜も遅い、お前も気をつけて帰れよ。お代はここに置いていく。釣りはいらない。失礼する」


 謎の男はそう言うと軽々と水埜辺を引き上げ、自身の背に乗せた。妙に水埜辺と雰囲気が似ていた彼のことが気になった裏業であった。

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