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第12話 三日月が呼ぶ夜風


 一方、水埜辺は水紀里とあんみつを食べ終え山に戻っていた。

 人間界での仕事は彼らのまつりごとを手伝ったり、木や大木を持っている怪力で倒し、川の氾濫や土砂崩れなどを防いだりすることである。

 山に戻れば、彼は奴良野の長として山を守護する。守護と言っても山にいればいいだけなのだが、それがどうも性に合わない。


「んー。今日はどうしようかなぁ」


 水紀里は今晩、彼岸の街での仕事があり山には明日の朝まで帰ってこない。水伊佐も見当たらない。今日は一人なのだ。山の結界はそう易々と壊れることはない。


「…………少し夜風にでも当たるかな」


 思い立ったがなんとやら。すぐに水埜辺は身支度をし山を下りた。

 今夜は三日月。晴れていたので月明かりが輝いている。

 夜風に当たりつつ何かないものかと散歩をしていると珍しい人物が目の前に現れた。


「あれ? 裏業ちゃんじゃない。どうしたんだいこんなところで。奇遇だねぇ」

「奴良野水埜辺⁉」

「その呼び方長いから呼び捨てで構わないって何度言ったら……。まあ、いいや」

「……。何故こんなところに。あの山に帰ったのではないのか」

「そりゃあ一回は帰ったさ。でもあいにくと今日は一人だったのでね。一人は寂しいものだからちょっと気分転換に人里に下りてきたというわけさ。そういう裏業ちゃんはどうしてこんなところに? 女の子が一人でうろつくには少し危ないんじゃない?」

「私は……。月を、見に」


 嘘だ。本当は気分が沈んでいた。彼らは何の罪で捕らえられて私の手で葬られたのかと、考え始めてしまうと気が滅入る。まだ血の臭いが微かに残っているのが気持ち悪い。夜風に当たれば少しでも変わるのではないかと思い外に出た。

 そうして現在、裏業は水埜辺と鉢合わせたのであった。


「そっか。今夜は月がやけにきれいだものね。あの家で一人で過ごすにはもったいない」

「……そうだな」


 何を言うでもなく、ただ少しずつ道を歩く。気まずくは、不思議となかった。しかし、裏業はそうだったとしても水埜辺はそうではなかった。話題がなく、おしゃべりな水埜辺にとってこの時間は苦痛だった。

 ふと、山を下りてから何も食べていないことに気が付いた。辺りをそれとなく見渡し、営業している店を探す。こんな夜更けだ、やっている店は少ないだろう。希望は薄い。肩を落としていたその時、赤い提灯が目の端に見えた。おでん屋台の出店だった。


「……ねぇ、裏業ちゃん。お腹空かない?」

「え、まあ……」

「おでん食べようか。もちろん俺のおごりで」


 ❀


「すみません。空いてますか?」

「やってるよー。いらっしゃい」

「よかった。裏業、何にする? 俺はぬる燗と餅巾着、あと大根ね」

「……がんもと、水を」

「あいよ」


 まず出てきたのはぬる燗と水だった。お猪口一杯の酒をくいっと水埜辺は飲み干した。その豪快な飲みっぷりに少しだけ裏業は驚いた。


「酒が飲めるのだな」

「んー、酒は好きだよ。すぐに酔っぱらってしまうけどね」

「そうか。介抱はしないぞ」

「それは残念だ。お、大根! 美味しそうだ。……裏業ちゃんは飲まないのかい?」

「飲みたいと、思ったことは無い。においが苦手だ」


 お猪口に三日月が浮かんでいる。指でつつくと月は揺れ、なんだか不思議な気分になる。


「あ、じゃあ俺は飲まない方がいいのか。ごめんね気が回らなくて」

「いや大丈夫だ。酒の席には慣れている」

「……じゃあ、遠慮なく。ん、大根美味しいね大将!」


 美味しそうに大根を頬張る水埜辺をちらりと窺う。今のところは何も変わった様子は見当たらない。人間と全く同じだ。でも違う。あの驚異的な治癒力は人間業ではなかった。自分の目で見たのだから間違いはない。けれど、だからと言って彼のことを断罪する理由にもなりはしないのだ。


「……どうしたの、浮かない顔をして」

「……え」

「今日、何か嫌なことでもあったんじゃないのかい?」


 二口目のお猪口を飲み干す。


「そんなことは……」

「だって、そういう目をしているよ?」

「……」


 どうしてこの男はこうも、人の心を読むことに長けているのだろうか。何も隠せない。隠し通せる気がしないとさえ思わせる。


「また血の臭いがついてるから、てっきり動物を殺めたのかなって」

「……は?」

「この前は猪、今度は熊あたりかな? ふふふ」


 もうすでに赤く、彼はできあがっているようだった。酔っぱらっている今なら何を言っても明日には忘れているだろうか?

 何を言っても、今なら、許されるだろうか。

 裏業はその重たい口を開いた。

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