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第7話 元婚約者と婚約式 1

 やっぱり、私は砂糖をまぶしたアーモンドクリーム入りのショコラパイより甘いのかな?

 あれからアルチュールどころかスーレイロル公爵に一度も会えず、婚約者変更の話も聞かず、周囲に訴えてもスルーされ続け、アロイスとの婚約式を迎えた。

 あっという間だった。

 今日、婚約式なの。

 どうも、ソレル伯爵一門の暗躍がすごかったみたい。結局、スーレイロル派が負けたということなんだろう。

 マジ悔しい。

 けど、今の私にはどうすることもできない。

 ……いや、婚約式の場で駄々をこねたらどうなる?

 やってみる価値はある?

 王族直系の血を受け継いでいるから、私の魔力は半端ない。まだまだ幼く、訓練もしていないから、魔力による攻撃の仕方どころか出し方もわからないと思いこんでいるはず。

 火と風を使ってどこまで暴れられるかな?

 ソードマスターには一瞬で抑えこまれるかもしれない。それでも、婚約を止めるきっかけにはなる?

 ……ちょっと待て、私。

 ニノンの存在を忘れていた。

 私とアロイスが婚約しなかったら、予定通りニノンがアロイスと婚約するの?

 それは絶対に許せない……許せないけれど、スーレイロル派を取りこみたい……けど、ニノンとアロイスの婚約は天と地がひっくり返っても許せない。

 どうしたらいい?

 まず、第一の目的は弟。

 弟のためにはどうするべき?

 ……で、私は悶々としながらフリルとレースがふんだんにあしらわれたドレスを着せられ、髪の毛を結い上げられ、侍女たちの歓声を浴びる。

 ……今、ここ。

 衣裳部屋を出て、予定より早く国王陛下と第四妃のいる部屋に辿り着いたけれど、なんか雲行きがあやしい。ふたりは椅子にも座らず、窓辺に立ったまま言い合っている。侍従長や専属騎士たちは銅像と化していた。

 私と専属侍女たちは扉の前で待機。

 けど、私は部屋に首を突っこみ、聞き耳を立てた。

「国王陛下、今ならばまだ間に合います。ベルティーユとアロイス様との婚約を考えなおしてください。アルチュール様でよろしいではないですか」

 ひたすら淑やかな第四妃が柳眉を吊り上げ、私とアロイスの婚約に反対していた。マジびっくり。

「王女の務め」

 国王陛下は淡々と答えたけど、第四妃は非難するように繊細な造りの扇を振った。

「王女の務め? 王女の務めで東国の皇太子からの求婚を断わり、エグランティーヌ様を処刑したソレル伯爵家に嫁がせるのですか?」

 ……え?

 東国の皇太子との縁談は初耳よ。

 断っていたの?

 貿易を考えたら、東国との縁は欲しいでしょう?

 ……まぁ、東国に嫁ぎたくないけどね。

「そなた、ラグランジュ侯爵に言い含められているのではないか?」

 国王陛下が指摘した通り、第四妃の実家はソレル伯爵に食いこまれている。てっきり喜んでいるとばかり思っていた。

「父にレオンス様との婚約を整えるように急かされていましたが、私はベルティーユが何よりも大切なのです」

 第四妃が目を潤ませて言った途端、私の胸も熱くなった。

 ……あぁ、第四妃も私のお母様だ、と。

 溜まらなくなって私は飛びだし、お母様に抱きついた。

「……ママン」

 お母様、と言ったつもりだったのに。

「ベルティーユ、聞いていたの? いくらあなたが賢くても、まだわからないわね?」

 ぎゅっ、と第四妃に抱き締め返され、私はなんとも形容し難い幸福感に包まれる。けれど、国王陛下は君主然とした態度で言い放った。

「ベルティーユが大切ならアロイスに託せ。あれは命がけでエグランティーヌを助けようとしていた」

 ……え?

 今、なんて言った?

 空耳じゃない?

 陛下の言葉に驚いたのは私だけじゃなかった。

「陛下、どういうことですの?」

 第四妃が胡乱な目で聞くと、陛下は髭に触れながら答えた。

「アロイスへの認識を改めよ」

 陛下の答えは答えになっていない。

「私の命より大切な姫のため、教えてくださいませんか?」

「宝庫を開けねばならぬか?」

 これ以上は聞くな、と陛下は第四妃を咎めている。

 何があったのか、明かしたくないんだ。

 どう言えば口を割るかな、と私が考える間もなく、第四妃は真剣な顔で言った。

「アロイス様がエグランティーヌ様を助けられなかったことは事実ですもの。宝庫を開け、霧を晴らしてくださいませ」

 陛下は従順だとばかり思っていた第四妃に驚いたみたい。

「……そなた」

 これで陛下の不興を買って、第四妃は遠ざけられるかもしれない。怖くないのかな? 実家の命運を背負って側妃になったんでしょう?

「霧を晴らしてくださらない限り、私はベルティーユの婚約に反対します。どうか、お許しくださいませ」

「それが母というものか?」

 陛下は感心したように言ってから、壁に飾られている王太后の肖像画を横目で眺めた。第四妃に接して、実の母親を思い出したのかな?

「ベルティーユは私の娘ですが、デュクロの王女でございます。愚かな母だと咎められる覚悟はしています」

 ぎゅっ、と第四妃は私を抱き締めなおした。

 チュッ、と私はお返しとばかりに第四妃の頬にキス。

「愚かな母だとは思わぬ」

 陛下、陥落した感じ?

 一呼吸置いてから、視線で人払いをした。重厚な扉が閉められ、部屋には陛下と第四妃と私の三人のみ。

「今、ここで初めて明かそう」

 国王陛下はどこか遠い目で惨劇の日を語りだした。



 お父様が領民に撲殺され、私が投獄された直後、アロイスから直々に嘆願があったという。それも極秘で。

『アロイス、ゲートは使用しておらぬな?』

 ゲートとはほんの一瞬で各地を行き来できる移動魔方陣のこと。魔石で造られた建物もひっくるめて『ゲート』という。難点はゲート間の移動しかできないこと。ゲートが設置されているところが限られていること。

 それでも、馬車なら半年かかる距離がゲートを使えば一瞬だから便利なの。新幹線や飛行機は比較の対象にもならない。

『はい。父はダルシアクのゲートの使用を禁じました』

『いくらそなたが巨大な魔力の持ち主でも、ダルシアクから王宮まで瞬間移動できるとは思わなかった。真っ青ではないか』

 凄まじい魔力を持っている魔法師でも、瞬間移動できるのは千人にひとりと言われている。魔力の強い王族でも難しい。当時のアロイスでも死を覚悟した瞬間移動だったはず。

『偉大なる国王陛下、お願いします。どうか、陛下を第二の父とも慕うエグランティーヌ様をお助けください』

『いくら領民が暴れても、余の姪まで手は出すまい』

『国王命令で明言してください』

 アロイスに真摯な目で食い下がられ、国王陛下はソレルの腹の底に気づいたようだ。

『今回の反乱の裏に誰がいる?』

 王国の長い興亡史が物語っているように、どんな暴君であれ、領民だけでは倒せない。先頭に立つ者とはべつに裏で画策した黒幕がいる。すなわち、ダルシアクの反乱の裏にソレル。

『……情けない。俺は今まで何も知らなかった……何かあるとは思っていたけれど、まさか、こんなことが……』

 何がどうなってこんなことになったのかわからない、あっという間だった、とアロイスはうなだれたという。黒幕が誰なのか、明言は避けた。

『そなた、ソレルの息子であろう』

 立場上、黒幕の息子の言葉をすべて信じるわけにはいかない。

『なんの計画も知らされていませんでした。俺はただの駒です』

『駒にしては強すぎるのではないか?』

『陛下、もうそんなことを言っている場合じゃない。一刻の猶予もありません。エグランティーヌ様は修道院に送られる予定です。無事に修道院に辿り着けますよう、陛下の御加護を賜りたく』

 アロイスは床に頭を擦り付け、婚約者の命乞いをしたという。

『エグランティーヌはそなたの婚約者ぞ。守るのはそなた』

『情けない。俺には守る力がありません』

『婚約者を守る気がないのか?』

『違います。エグランティーヌ様を守りたいから……守ろうとしたから、自分の無力さを思い知ったのです。どうか、陛下のご慈悲でお助けください』

『エグランティーヌからも連絡があったと聞く』

『帝国騎士団を出してくださいますか?』

 革命ではなく、反抗的な領民の反乱として処罰する幕引きもある。本来、領民が領主に凶器を向けたら、それだけで処刑だ。

 あの時、エグランティーヌだけでなくダルシアク公爵家の命運も国王の手の中にあった。胸先三寸、いかようにもできたのだ。

『帝国騎士団をダルシアクに遣わせば革命にはならず。革命を先導した者も暴徒化した領民とともに処刑ぞ。よいのか?』

『構いません』

『アロイス、そなたも公開処刑かもしれぬ』

『エグランティーヌ様が助かるのならば構いません。どうか、なんの罪もない公女様にお慈悲を……お願いします』

 あの日、エグランティーヌのために君主に縋りついたのは、アロイスだけだったという。縁のある有力貴族や神官たちも情勢を見守っていた。もっと言えば、見捨てた。

 しかし、外遊先で何も知らなかった外務大臣のスーレイロル公爵は例外だ。同盟国でダルシアク革命を知った直後、ダルシアク公女だけでなくダルシアク小公爵の助命も嘆願したそうだ。スーレイロル公爵家からはスーレイロル騎士団も出した。もっとも、時、すでに遅し。



 国王陛下はそこまで語った後、重い十字架を下ろしたような顔で息を吐いた。周りの空気も少し違う。

 陛下は黒幕がソレルだと知っていた、と私は愕然とした。

「妃よ、そなたは風の流れを読み取ることのできる淑女ぞ。余とそなたの姫のため、どちらの剣を選ぶ?」

 ベルティーユを任せられるのは、アロイスかスーレイロル公爵家のふたつにひとつ。

「アロイス様の剣、スーレイロル公爵家の剣?」

「ソレル商団がデュクロを席巻し、大商人もソレルに膝を折った。スーレイロルにソレルを止められると思うか?」

「追い風はソレルに」

「さよう」

 現在、すべてにおいてスーレイロル派はソレル派に後れを取っている。何より、アロイスの魔力は底が知れない。

「魔獣被害も拡大していますから、ソードマスターに頼らねばならぬことが多々あるでしょう」

 デュクロは肥沃な大地が広がり、魔獣が好む土地ではない。なのに、どういうわけか、年々、魔獣が増えているという。ソードマスター、つまりアロイスを動かせるソレルの力は増すばかり。

「賢明なる妃よ、わかっておるではないか」

「実家が魔獣被害で凍りつきましたもの」

 魔獣の襲来さえなければ、第四妃の実家はソレルに屈しなかっただろう。ラグランジュ侯爵家は有史以来の名家だ。

「アロイスにベルティーユを託せ」

 国王陛下は締めくくるように言うと、大きな溜め息をついた。第四妃のオーシャンブルーの瞳がゆらゆらと揺れている。

 私の心もゆらゆら。

 アロイス、私を守ろうとしてくれた?

 本当に?

 ……いや、陛下への心証をよくするための演技だったのかもしれない。

 けど、演技にしてはリスクが大きすぎる。

 本当に私を救おうとしていた?

 本気で救う気があるなら、あの時、地下牢から連れて逃げてくれたらよかったのに……そうすれば……。

 自分でもわけがわからないけれど、地下牢での絶望感が蘇り、心身が凍りつく。

 今でも一瞬で落ちる恐怖は心身に刻まれていた。

 アロイス、なんであれ、ひどいよ。

 ぶるっ、と震えた身体を第四妃が優しく抱き直してくれる。それから、躊躇いがちにダルシアク革命について触れた。

「陛下、エグランティーヌ様の件、王命をお出しになられませんでしたよね?」

 その頃、第四妃は長い陣痛で生死の境を彷徨っていた。出産後、暫く経ってからダルシアク革命を知ったという。すべて終わっていたそうだ。

「宰相に止められた。ダルシアク公爵の非が大きい。何より、エグランティーヌの処刑は免れると踏んでいた」

 余も甘かった、と陛下は後悔を滲ませる。

 領民を鎮静化させるため、領主と跡取りの首が必要だった。けれど、跡取りの行方が掴めず、領民の留飲が下がらない。誰かひとり、領主一族の処刑を見せなければ革命の幕を下ろせなかったのだろう。結果、領主に溺愛された私。

「ソレル伯爵にはなんのお咎めもなし」

 第四妃が詰るように言うと、国王陛下は鷹揚に首を振った。

「余にソレル伯爵を咎められるわけがない」

 余も見捨てた、と国王陛下は懊悩に塗れた顔で私を抱き上げた。

「お父様?」

 噛まずに言えた。

「ベルティーユよ、ダルシアク革命時に生を受けた娘には明かそう。余は王位継承権を持つダルシアク公が脅威であった」

 神から統治権を与えられた統治者が何を言いたいのか、手に取るようにわかる。私は削げた頰を優しく撫でたい。

「あい」

 叔父様、私が伝達の魔導具で助けを求めた時、帝国騎士団を出して領民を鎮めてくれたら革命にならなかった。『ダルシアク民の乱』とか、領民の暴動で処理できたよね?

 私も処刑されなかったし、弟も逃げずにすんだ。

 弟が公爵を継いで私が補佐して、ダルシアクを立て直すこともできた。

 もちろん、私も弟も領民を罰したりはしない。

 また違った未来があったのに。

 けど、陛下がダルシアク公爵家を見捨てた理由もよくわかる。

「姉上が生んだ子供も王位を脅かす存在として脅威であった。……余は愚かであった」

 エグランティーヌの私もエドガールも王家の瞳を持っていたのに、第一王子や第二王子は持っていなかった。そういえば、陛下の子供で紫色の瞳は第四王女の私だけ。世の中、上手くいかないね。

「あい」

「脅威どころか、余の後継者が命を落とし、王家の存続が危ない。姉上の子が生きていれば、王家の血筋は絶えなかったであろう」

 現在、王家直系存続の危機。

 病弱な王太子と第四王女以外の王位継承者となれば、先々代や数代前の血筋を遡らなければならない。王位継承権を持つ候補者には、同盟国の皇太子や皇帝、大公も含まれているから揉めるのは目に見えている。一歩間違えれば、デュクロが列強の属国。

「お父ちゃま。弟ぽこぽこ。弟いっぱい。妹もいっぱい」

 陛下が後継者作りに励んでください、と言ったつもりが言葉にできなかった。けれど、通じたみたい。

 なんのために、君主の側室制度が整えられたと思っているの。列強の皇帝は孫より若い側妃に子供を誕生させているわよ。

 なのに、スルーしやがった。

「愛らしい菫色の花、父より先に雲の坂を上ってはならぬぞ」

「あい」

「アルチュールを気に入ったのならば愛人にすればよい」

 今から愛人のすすめ?

 いくらなんでもそれはアウト。

「……ふぇ?」

「アロイスならばそなたを守るであろう。同じ過ちを繰り返さないため、ソレル騎士団の団長におさまった」

 国王陛下が振り切るように目を閉じた時、控えめなノックの音が鳴り響いた。侍従長が懐中時計を手に顔を出す。

 時間だ。

 私は国王陛下と第四妃に優しくキスされ、愛を感じながら前を向いた。

 ……うん、愛されている、って感じるだけで前に進める。不思議だね。


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