断頭台に続く道にうっすらと雪が積もっている。
裸足で歩かされる私の姿に集まった領民たちは興奮した。
「悪女め、ざまぁみろーっ」
「贅沢好きの悪女、聞こえるか? お前のハンカチ一枚のために俺の娘は売られたんだーっ」
「領民の税金で遊びまくった悪女、キサマのショコラ一杯のために俺の子供たちは飢え死にしたんだーっ」
悪女、って誰のこと?
……私のことよね。
わかっている。
これは夢じゃない。
母は国王陛下の姉、父は臣下序列第二位のダルシアク公爵家当主、私はデュクロ王国ですべてを持って誕生した。
エグランティーヌ・オルニレノン・ラ・ダルシアクという立派な名前で、今世こそ幸せになれると思ったのに、結局、これ?
令和の日本で過労死した前世より悲惨?
十八歳の誕生日までは幸せ……ううん、昨日の暴動が起こるまでは幸せだっただけに辛い。
異世界の中世ヨーロッパみたいなデュクロ王国の公女に転生したのは無残な処刑エンドを迎えるため?
自分でもわけがわからないけれど、フランス革命で処刑された国王と王妃が脳裏に浮かぶ。前世、友人の影響で好きになった漫画があった。
ダルシアク革命、って呼ばれるのかな?
ルイ16世が暴君じゃなかったと綴られているように、お父様も善良で領民を苦しめる領主じゃなかった。贅沢をしている自覚もなかった。ただただ家臣を信じただけ。……ソレル子爵の裏の顔がひどすぎる。いったいこれはどういうこと?
すべてにおいて、無知だったと痛感した。
多くの領民が重税に苦しんだ末、餓死しているなんて夢にも思わなかった。ほかの領地に逃亡しようとして処刑されていることも。
昨日の暴動が起こるまで、生まれ育ったダルシアク城に劣悪な地下牢が存在することさえ知らなかった。
地下牢に叩きこまれた時、私の命運は尽きていたのかな?
……ねぇ、アロイス?
また騙したのね。
私は修道院送りじゃなかったの?
公開処刑よ。
断頭台に上る前、王宮の早馬でも到着するの?
しんしんと降り続ける雪の中、私の脳裏には昨夜の出来事が浮かんだ。領民たちがダルシアク城を制圧して、地下牢に投獄された時のこと。
私はダルシアクの誇りだけで寒さに耐えていた。
「エグランティーヌ、地下牢でも綺麗だな。さすが、王国一の美女」
ソレル子爵の長男であるセレスタンが勝ち誇ったように現われた。薄暗い地下牢の中でも、その下卑た表情は明確にわかる。今まで巧みに騙していたんだ。未来の義兄、と心から敬愛していた自分をボコりたい。
「セレスタン様、ご機嫌よう」
あえて、裏切者に敬称をつけて呼ぶ。
極寒の地下牢で毛布一枚すらもらえず、身も心も凍りついている。令和の私なら泣いて許しを請うていた。けど、公爵令嬢としての挟持を叩きこまれた私にはできない。お父様の無念を思えば、する気にもなれない。
「腹が減っているんだろう。おとなしくしていたら、パンでもやるぜ」
セレスタンの手には私が好きだったブリオッシュとガナッシュが盛られた銀の盆。
投獄されてから何も食べていない。
喉から手が出るほど欲しい。
けれど、私を庇って亡くなった専属騎士たちが過ぎった。ばあやや侍女たちも私を守るために命を落とした。命がけの忠誠が今の私を支えてくれている。
ダルシアク公女のプライドをナめるな。
「裏切り者、お下がりなさい」
ここで屈するぐらいなら餓死する。前世は餓死してもおかしくない家庭で生まれ育った。なんてことはない。
「エグランティーヌ、いい加減、現実を見ろ。ここで媚びないと拷問のうえに処刑だ。贅沢に育てられたお前には耐えられない」
鍵を開け、セレスタンが私に近づいてくる。
……い、いや……こんなセレスタンを見たことがない……鼻息が荒い……お、男……男としての下心を丸出し?
逃げられない。
死んでもいや。
パシッ、と伸びてくる手を叩いた。
「触らないで」
指一本、触れさせたりはしない。
いざとなれば舌を噛み切る。
デュクロ王国で自殺は最大の罪になるけど、令和の記憶があるからなんてことはない。
「お前はもう女神のように絶賛されたダルシアク公女じゃない。現実を見ろ。俺が庇ってやらなきゃ、下賎の輩に輪姦されていたぞ」
奸臣は真顔で大嘘をつく。
暴徒化した領民から守ってくれたのは、私の専属騎士や専属侍女たちだ。影で領民を煽っていたのが、奸臣のソレル一派だと知っている。……も、もう……気づくのが遅かった。甘かった。お父様も甘すぎた。
「私にとっての下郎はそなたです。お父様を騙し続けたソレル子爵一族、罪は明らか」
そもそも、世間知らずのお父様を操り、重税を課し、領民から搾取したのがソレル子爵だ。そのうえ、税を横領し、私財をこっそり蓄え、領民の爆発を煽った。
結果、ダルシアク城に雪崩れこんだ領民にお父様は撲殺された。お父様は体調を崩し、半年前から寝こんでいたというのに。
現在、城門にお父様の遺体が吊されているという。汚物が投げつけられ、辱められていると地下牢の見張りから聞いた。
……ま、まだ……城門に吊るされている遺体はお父様だけ。
弟の遺体は吊るされていない。
それだけが救い。
『姉上、隠し通路から逃げてください』
あの時、幼い弟は泣きもせず、私を救おうとした。
『エドガール、逃げるのはダルシアクの跡取りよ。あなたが生きていれば、ダルシアクは再建できる』
私と弟はデュクロの王位継承権だけでなく列強三国の皇位継承権も持っていた。血筋がものをいう時代、弟は単なる遺児にはならない。
『お姉様が捕まったら、何をされるかわかりません』
『私はエドガールに未来を託すしかないの。私を思うなら逃げて』
私は歳の離れた弟を守るため、囮になった。そうして、婚約者が率いるソレル子爵一派に掴まり、投獄された。
正直、信じられない。
信じたくないけれど、信じざるを得ない。私を守って亡くなった騎士たちの遺体まで並べられたのだから。
「エグランティーヌ、お前の父親の圧政が領民を苦しめ、暴れさせた。父上は命がけで領民を抑えようとしたんだ。間違えるな」
セレスタンはソレル子爵の跡取り息子だ。領地ではお父様の名でさんざん領民を苦しめたという。それでも、領民は真相を知らず、お父様を恨むだけ。長年ダルシアク公爵家に仕えてきた執事長やメイド長、ダルシアク騎士団長や副団長までソレルに買収されていたのが致命傷。
「真っ赤な嘘」
暴徒化した領民に囲まれ、私は初めて真実に気づいた。ばあやや専属侍女、専属騎士たちは薄々、気づいていたらしい。幾度となくお父様や私に告げようとしては阻まれていたという。ほかでもない、ソレル子爵一族によって。
私自身、おかしい、と思ったことが何度もあったのに。
なのに、ソレル一族の言葉を鵜呑みにしてしまった……将来の義父や義母、義兄たちを疑うことができなかった。
アロイスへの想いですべて霞んで見えていたのかもしれない。
「……この、そんな生意気な口、聞けないようにしてやる」
セレスタンは悪魔のような顔で、私に襲いかかろうとした。凄まじい力で腕を掴まれ、そのまま石の床に押しつけられる。
……いやっ……気持ち悪い。
怖い。
圧倒的な力に身体が竦んだ。
……けど、いいようにやられたりはしない。
ここで私は多くの愛に包まれ、大切にされた公女だから。
「お下がりなさい。妊娠中のご夫人に知られたらどうするの?」
私が冷たい目で見つめると、セレスタンは右頬を引き攣らせた。
「お前、傲慢にもほどがある。まだそんなことを言えるのか?」
魔力拘束具をつけられ、魔力で抵抗することができない。
せめて腕力があれば。
抵抗する力もないから、ここで死ぬしかない。
お父様、ばあや、そばに行くわね。
あの世で反省会でも開きましょう。
舌を噛み切ろうとした瞬間、この世で最も卑劣な男の声が耳に届いた。
「……おい、何をやっている?」
金髪碧眼が多い国では珍しい黒髪に大陸でも稀有なルビー色の瞳。凜々しい顔立ちに鍛えられた体軀。愛しい婚約者。
アロイス、その名を口にするだけでも胸が熱くなった。間近に控えていた結婚式を心待ちにしていたのに。
今はすべてが虚しい。
「アロイス、傲慢な女の機嫌を取って大変だったんだろう。お疲れ様。最期に思い知らせてやれ」
セレスタンは下心を滲ませた顔で、私に向かって顎を圴った。
「兄上、出て行ってくれ」
アロイスが大股で近づくと、セレスタンは溜め息をつきながら私から離れた。
「この女、このまま処分するの、もったいないだろう?」
「エグランティーヌ様は丁重に扱わなければならない。父上にバレたら困るんじゃないか?」
バンッ、とアロイスは威嚇するように壁を叩いた。深紅混じりの漆黒の魔力が発散され、セレスタンを包む。
「……おい」
セレスタンは弟からの魔力の攻撃に狼狽した。
「父上に報告する」
「わかった。わかった。……真面目だな。出ていくから、父上に告げることのはやめてくれ」
ふたりは異母兄弟だからか、体格がまるで違う。弟のアロイスは長身で筋骨隆々、十六歳で王国一の剣士と称えられている。子供の頃から所有する魔力がすごかったから、ふたつ年下なのに私の婚約者に選ばれた。……否、ソレル子爵の罠だ。
今ならば私がアロイスと婚約した理由がいやというぐらいわかる。結婚式直前、クーデターを決行したことも。
「エグランティーヌ様、すまない。二度とこのようなことがないようにする」
アロイスは沈痛な顔つきで私に膝を折った。
憎い。悔しい。悲しい。泣きながら平手打ちをお見舞いしたい……けど、身に染みた所作と自尊心が思い留まらせる。
彼には何をどう言っても無駄、と。
「嘘ばかりついてきた婚約者、また嘘かしら?」
グッジョブ、私。
涙を堪えられた。
「違う」
アロイスは悪鬼のような顔で否定した。
「最初から最後まで嘘ばかり。ここで私を餓死させても驚かないわ」
「……餓死? 食事を拒否していると聞いた」
アロイスは驚愕したらしく、手つかずの食事を載せた盆を見た。かつてお父様や私に媚びていた侍女が馬鹿にしたように笑いながら運んできた食事だ。温かいショコラは私の前で見せつけるように床に流したわよ。
「カビの生えたパンと砂の入ったスープは口に合わないわ」
「……っ……エグランティーヌ様にそんなものを?」
「ショコラは床に差し上げたかったみたい」
「……そんな無礼を?」
アロイスの表情を見る限り、元婚約者の嫌がらせではないのかもしれない。けれど、わからない。元婚約者の笑顔も言葉もすべて嘘だったから。
「アロイスの指図ではないの?」
「すまない。気をつける」
「それも嘘ね。あなたの言葉、ひとつぐらい真実があったのかしら?」
領内の真実を私に告げようとした騎士や神官をアロイスもセレスタンと一緒になって遮断したわよね?
「…………」
どうして、傷ついているの?
……ううん、傷ついたような表情を作るのが上手い。
無表情だと思っていたけれど、意外にも演技派ね。
「未来の夫に初めて会った時から好きだったの。滑稽でしょう。あなたは私を騙し続けて面白かった?」
弁の立つ父親や兄と違って、アロイスは口下手だった。表情も乏しくて何を考えているのかわからないタイプ。
だからこそ、私はアロイスの言葉で一喜一憂した。前世、恋人どころか男友達のひとりもできなかったから舞い上がった。……と思う。
「……っ……」
どうして、そんな苦しそうな顔をするの?
それも演技ね。
「アロイスはまだ私を辱めないと気が済まないのかしら?」
さっさと出て行け、と私は言外に匂わせた。ボサボサの髪に薄汚れたドレス、いつまでもこんな姿を見られるのはいやだ。
「エグランティーヌ様に罪がないことは誰もが知っている。国王陛下直轄領の修道院に送られる予定だ。どうか安らかに」
絶対君主制の王国で男尊女卑は根強く、女性の立場は弱い。その代わり、どんな大罪人の娘でも処刑されることはない。修道院送りは妥当。
「嘘ばかりついてきた愛しい人、それも嘘ね」
愛していただけに悔しくて口から悪態が出る。
「俺の命にかえて守る」
「嘘はいらない」
「誓う」
「もし、私が処刑されたらどうするのかしら?」
魔法師立ち合いの下、魔法契約書でも交わしたい気分になってきた。契約違反したら、絶命するやつ。
「絶対に処刑はない」
「ソレル子爵の家門は揃いも揃って大嘘つき。いったい何を信じればいいの? ……あ、あなたのお祖母様の形見だという婚約指輪も偽物?」
スッ、と私は左手の薬指から婚約指輪を外し、アロイスの手に押しつけた。投獄されても奪われなかった唯一のアクセサリー。
「……これだけは信じてくれ」
アロイスは私に婚約指輪を返そうとした。
けど、断固拒否。
見ているだけでも辛いから。
「馬鹿みたいに愛していたから、もう何も信じられないの。私が処刑されなくても、修道院に辿り着く前に暗殺されるのかしら?」
嫌な予感がしてならない。
「必ず守るっ」
「大嘘つきのソレル一族は信用できない。けど、それほどまでに言うのなら、最期に約束してちょうだい」
「エグランティーヌ様は必ず守る。命にかえ、無事に修道院に送り届ける」
誓う、とアロイスはその場に跪いた。
相変わらず、拍手喝采したい演技力。
「その誓い、守れなかったら責任を取ってくださる?」
「俺も死ぬ」
「裏切り者が死んだら地獄でしょう。私やお父様とは行き先が違うわ。そんな責任の取り方はいらない」
私の痛烈な皮肉に元婚約者は唇を噛み締め、腕を振るわせた。……やめてよ。悔しいのも悲しいのもこっちよ。
「俺のすべてをかけて誓う。必ず、エグランティーヌ様は守る」
「その約束を守れないならば責任を取って、私の弟を守ってちょうだい」
私の最期の望みを聞いた瞬間、アロイスは息を呑んだ。二の句が継げないらしく、呆然と立ち竦む。
ソレル一族や領民たちは血眼になって、弟の行方を追っているはず。
「今まであなたの嘘に綺麗に騙されてあげたでしょう。最期の約束ぐらい守ってくださいね」
大嘘つきは最期の最期まで大嘘つき。
ぶわっ、と地下牢の出来事が脳裏から消え、冷酷な現実に引き戻された。頭や肩に積もる雪が冷たくて重い。
今、私は断頭台まで歩かされている。
アロイス、私は修道院送りじゃなかったの?
結局、最期まで大嘘をついた?
心から愛した元婚約者が最期まで私を裏切った。
私はそんなに憎まれていたの?
叔父上……国王陛下も助けてくれなかった。血の繋がった姪も甥も見殺し。……いや、まだ弟の訃報は聞こえてこない。どこかで生きていると信じている。
断頭台の周りには裏切り者の顔がズラリと並んだ。ソレル子爵の辛そうな顔がエグい。ソレル子爵夫人の嘘泣きはアメージング。
けれど、一番惨い裏切り者の顔がなかった。
断頭台からアロイスがどんな顔をしているのか、最期に見たかったのに。
「エグランティーヌ、領民を苦しめた父に代わり、最期に何か言い残すことはないか? そなた自身のため、領民に謝罪の機会を与えたい」
ソレル子爵、最期の最期まで私を馬鹿な女だと侮っているの?
最後に呪って死ぬ。
「ソレル子爵はいったいどなたに破産寸前の家門を助けてもらったのでしょう。大恩を忘れた裏切り者の末路、覚悟なさい。私、王家の血を受け継ぐダルシアク公女は予言する。裏切り者に名誉なる未来はない」
私が毅然とした態度で言い放った瞬間、ソレル子爵夫妻や嫡子、裏切り者たちが醜悪な顔でいっせいに唸った。
やった、仮面が外れた。
それそれそれ、それが本心よね?
最後に一矢、報いた感じ。
雪がさらに激しく降りだした瞬間、処刑執行の合図。
断頭台から、ソレル子爵の顔を睨みつけた。
「全身全霊で呪うわよ。覚悟してね」
幸せになれると思っていたのに処刑エンド。
領民がどんなに飢えて苦しんでいたのか、私はまったく知らなかった。それは本当に申し訳なかった。ソレルたち奸臣の言葉を疑いもしなかった。心の底から詫びる。死んでも詫びる。……そう、この死は領民に対する謝罪。
ただ、ただ、私は悪事に手は染めていない。領民の貧困も知っていたら、お父様に働きかけていた。絶対にお父様も領民を救おうとしたはず。
悔しくてたまらない。
この記憶を持ったまま転生する。
この恨み、死んでも忘れない。
転生し、裏切り者に絶望の花束を贈ろう。
ソレル一族を粛正できる魂の器を与えてください。
※※※
大粒の雪の降る中、私は断頭台でダルシアク公女の幕を下ろした。
刹那、私は温かな光りに包まれた。
「おぎゃあおぎゃあおぎゃぁ」
……あれ?
私が泣いている?
処刑されたのに泣いているの?
「王女様のご生誕です。おめでとうございますーっ」
「国王陛下にご連絡をーっ」
「祝砲をーっ」
私の処刑を急かす領民の声じゃない?
私、今、処刑されたのに?
おかしい。
温かいお湯で身体を洗われ、肌触りのいい布で拭われ、優しく包まれる。どこかに連れて行かれたと思えば、聞き覚えのある声が響いた。
「……娘か」
……あ、私を見捨てた叔父上?
フレデリク八世?
そういえば、国王陛下の第四妃が懐妊していたよね?
「ベルティーユ、余の祖母の名をそなたに授けよう」
処刑された日、私は国王の第四王女として生まれ変わった。ほんの一瞬で転生だ。恨み言のひとつも言いたいけれど、まだ言えない。
それでも、最期の願いは聞き届けられた。
たとえ、第四妃の第四王女でもお父様の無念を晴らすことはできる。私を守ろうとして散った侍女や騎士たちの命を無駄にしたりはしない。
弟が掴まったという知らせはないから、専属騎士や魔法師に守られ、きっと生き延びているはず。
私を心から慕ってくれた弟。
必ず、助けてあげるから待っていて。