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第21話 主人のやさしさ

Szene-01 三番地区内、町壁


 エールタインたちはダン家を通り過ぎ、町壁へと到着した。

 ずいぶんと古めかしくて分厚い石造りの壁は、人の力でどうこうできる代物ではない。

 この壁で午後の鐘音が反響し、町の端でも時鐘がはっきりと聞こえる。


「小さいころになんとなく来ていたっけ。しっかりと見てまわるなんて初めてだよ」

「おうちが近いから、よくご存じかと思っていました」


 ダン家は地区の中では町壁に近い方だが、そばにあるわけではない。

 草原が広がっているため、いつも家を出ると目に入る。

 しかし、幼少の足で家と壁を往復するのは、ちょっとした遠出に思えてしまう。


「さてと、じっくり見ていこうか。その前に――」


 エールタインは、利き手側の右腰に装着された短剣を、逆手でにぎって素早く抜く。

 目の前で止めた刃先を見つめると、ダンとの修練を思い出し、想定される敵の位置へと視点を移す。

 距離感をつかむと短剣を放り上げ、順手に持ち替えて刃先をにらむ。

 続いて、腰後ろに装着された短剣を左手で抜き出し、右手と同じように試した。


「うーん、剣を出してみると緊張してきちゃった」

「もし魔獣が出てきたら、ダン様と思いましょう。いつも通りに立ち回れます!」

「ダンが魔獣!? なんだか笑ってしまいそうだよ」

「うふふ。ダン様ってお強いじゃないですか。実は魔獣かもしれませんよ」

「ティベルダって冗談も言うんだね。なんだか緊張がほぐれてきたよ。それにティベルダがいてくれるんだ、なんとかなるさ」


 二人は同時に笑い出し、緊張がほぐれたことを実感した――と思えた矢先、ティベルダの表情は少し曇った。


「ん? ティベルダどうしたの?」

「この壁の裏へ行くと、ブーズのある森が見えるのかな、と思って」


 ティベルダの言葉を聞いたエールタインは、心細くならないようにと気を配っていただけに、胸に妙な圧を感じた。


「ティベルダ……」


 エールタインは、小柄で柔らかく、それでいて存在感のある少女の名を口にして抱きしめた。

 ティベルダが暗い表情になることは、何よりも避けたいことなのに――。

 主として迎えた従者をできるだけつらい目に合わせたくないという強い思い。

 それは、戦うための関係からすれば矛盾していることだと、もちろん承知している。

 それでも身の内には、常に明るい気持ちでいて欲しいと願うのがエールタインなのである。


「エールタイン様?」

「デュオとして形になったらさ、ティベルダの故郷を案内してくれる?」

「え!?」


 主に抱えられたままおどろくティベルダ。


「君がどんな所で育ったのか見たいんだ。もっとしっかり知りたいよ」

「……私、こんな幸せが待っているなんて想像できませんでした。好きです、大好きです」


 ティベルダは、主人以上の力でエールタインを抱き返した。

 奴隷になるために育てられ、町へと出てきた少女。

 それも命をかけるために――不安しかなかったはずだ。

 だが、奴隷として連れてこられた家では、とても大切にされている。

 これには戸惑いを隠せず、おどおどした動きしかできなかった。

 そんなティベルダに主人であるエールタインは、自分の故郷へ行こうと誘った。

 父親から、帰るのは命を落としたときだと教えられてきた。

 奴隷について徹底的に叩き込まれてきたティベルダは、仕えた主人により、父の教えをことごとく覆されている。

 エールタインに対する好感が振り切るのは、当然といえる。


「ありがと。ボクも大好きだよ。一緒にいっぱい楽しいことをしていこうよ」

「はい! 私のすべてを捧げます!」

「ああ!? そこまで言われると照れるし困っちゃうよ。んー、あ! こういう時にするんだね」


 エールタインは、ティベルダの両肩を持つと、顔を見えるようにした途端、唇を重ねた。

 それは、触れていることを実感してもなお続くほど、長いものだった。


「ボクの気持ちね。さあ、しごと仕事! ティベルダ、しっかりボクに付いて来なよ」

「……は、はい!」


Szene-02 ダン家、玄関前


 ヨハナは、ダン家の留守番をしていた。

 主人であるアウフリーゲンがいない今、ダン家の家政婦役をこなしている。

 とはいえ、剣聖の元従者。ただの家政婦であるはずがない。

 ダンもアウフリーゲンと同じく剣聖なので、レアルプドルフはもちろんのこと、町外でも有名だ。

 町内では、良からぬ輩が上等な武具などを狙って家を荒らすことがよくある。

 剣士の格が上ならば、上質な物が狙えると考えるのだ。

 そのような事態に備えて、ダン家の防衛も担っていた。

 家着でありながら、内には短剣と革製防具を装備しているが、何ごともなく静かなときを満喫していた。

 家の前を通過するエールタインたちの声が聞こえてからは、窓から二人を眺めている。

 べったりとくっつき、話しながら歩く二人を見て、ヨハナはつぶやいた。


「エール様って、ほんとにやさしい人なのよね。言っていた通り、ティベルダのことを奴隷扱いしていないのだから」


 ヨハナは、エールタインからデュオについての不安を日ごろから聞いていた。

 一人で大丈夫だ、奴隷の扱いなんてできないと漏らすエールタインをやさしく受け止め、支えてきた。

 これまでのことを振り返りながら眺めていたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

 安堵しつつ二人を見つめていると、エールタインの頭でティベルダの顔が隠れた。


「あら? えっと、まさか……ね」


 二人の光景から想像したことに少々困惑し、独り言を口にする。


「仲が良すぎるのも考えものな気がするけれど……今は触れずにいましょうか」


 困惑からあきれ顔にしながらも、エールタインの様子を見て安心しているようだ。

 そのまま壁伝いに歩き始めた二人を、引き続き見守るヨハナであった。


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