=はあはあ・・・=
リサは連続で魔法を使い、肩で息をしていた。体が疲れる・・・という事ではなく、精神的に疲労する感じで、それは中級的な瞬間移動魔法であったが、これだけ多用すると、さすがに魔法の英才教育を受けたリサも疲労の色を隠せずにいた。
青年は一つの塔の前で立ち止まった。そこが居住地か魔法研究の場であるらしい。どういう理屈かは分からないが、扉は勝手に開き、青年が奥に行くと、また勝手に閉まった。
=魔法?でも、こんな事のために・・・=
リサも続けて中に入る。青年は別の部屋に入る所だった。
=待・・・=
すぐに移動魔法を使い、青年の跡を追った。
=?=
中は真っ暗で行き止まりだった。そこには青年の姿はない。
=・・・どういう・・ん?=
真上から、ゴウ・・・という小さな音が聞こえた。どうやら青年は上に登っているようだった。リサは魔法の円を描く。丁度扉が開いたところで、青年はこの小さな部屋から出るようだった。
再び移動する。
=疲れた・・・=
とは言え、ここで見失うわけにはいかなかった。魔法の事を知っているらしい彼は、唯一、元の場所へと戻れるかもしれない手がかりであった。
「ただいま・・」
部屋の中に入った青年は、中にいた誰かに声をかけた。そして立ち止まることなく、奥の部屋へと入っていった。
=これ以上は・・=
精神力の限界が近い。
しばらく間をおいてから、リサは震える人差し指で光の輪を光らせた。
=!=
室内に移動したリサは、青年の背面に現われた。その瞬間、青年は振り向き、指をリサの顔につきつけた。
「その程度の魔法で、俺を騙せると思ったか!」
=え?=
もしかして見えている? そして移動魔法を繰り返していたのもお見通しだった?
リサは驚いて体を仰け反らせ、青年の鋭い視線と指をさけた。
「いかに巧妙に姿を隠そうが、俺の前では無意味! 全ての謀は無意味であると知れ!」
=あ・・・・=
声をかけようとした瞬間、青年はリサの方に倒れかかってきた。視界が真っ暗になった瞬間、疲労の極みにあったリサはそのまま意識が消えた。
王城の通路の途中、そこにあるバルコニーに、リサとすぐ上の兄であるレナルスは、テーブルを挟んでティーカップを傾けていた。春の柔らかな日差しが、白いテーブルの上に優しい光を落としている。
『・・・私・・心配です』
穏やかさとは逆に、リサの表情は沈んでいた。銀色の髪の房が、静かになびく。
『大丈夫、僕は試験なんか全く不安には思っていない』
リサと同じ髪色のレナルスは、カップをゆっくりと口に運んだ。
『でも・・・姉さまは・・・』
一番上の姉のフェイリアは、三年前、試練に望んだが叶わなかった。明日、同じ試練をレナルスが挑む。
『姉さんは今ごろ、勉強中だろうね』
試練の落ちると、復習の為に誰にも会う事ができなくなる。もしレナルスも駄目だったら・・というリサの心配ももっともであった。
『事前に何度も成功しているしね。明日もそれは楽勝だと思う』
レナルスはそう言っても不安げな顔のままのリサを安心させるかのように笑みを浮かべた。
『問題は試練に受かるかどうかじゃない。この試練そのものが問題なんだ』
『?=
リサは首を傾げた。
『・・・リサ・・・僕は試練に受かったら、王位継承権を行使して、王位に就く。なるべく早くに。そしてこの試練そのものの全容を明らかにする』
『・・・・・・』
『だからリサ・・・何も心配はいらない。試練は僕で終わりだ』
レナルスの笑顔が眩しく光る。その輝きは更に強くなり、やがて白一色に染まっていった。
=兄さま!=
手を伸ばした先には何も手ごたえがなく、宙を掴む。光の静かな圧力だけが全身に感じられてはいたが。
=待って!=
リサは目を開けた。涙で泣きはらしたのか、目の周りが痛い。
=・・・・・・・=
透明な大きな窓から空が見える。ここはどこかの部屋の中。
だが王城の部屋とは似ても似つかない、小さな部屋。すぐには何処にいるのか分からなかった。
=そうか・・・・=
移動の魔法を散々繰り返し、この地の魔法使いの青年の研究室らしき場所までたどりついたのだった。
試練を受けた後・・・。
=・・・試練・・=
やはり肝心のその時の事が思い出せない。霞がかかったかのようにぼんやりとして、はっきりするのは、この地から。
=・・・兄さま・・・帰りたい・・・=
リサは両手で顔を押さえてしくしくと泣いた。
=・・・笑って=
=・・・うん=
しばらくして手で涙をはらう。
小さかった頃、泣いてたときにいつも、兄や姉に頭をなでられながら、そう言われて笑うと、ほんとに悲しい事が消えていった。
それは魔法のように。
=うん・・泣いてもても仕方がない・・・分かってる=
ふん!・・と、両手の拳を握り締めて、気合を入れる。そう、泣いていても仕方がないと、まずは気を取り直して現状確認からはじめる事にした。
今は魔法使いの青年は部屋にはいない。何処に行ったのかは分からないが、またここに来るのは間違いなさそうだった。なぜなら、魔道所のような小さな本が、棚に所狭しと並んでいるからだ。帰還の魔法を使うには、そこまでのルートを認識する必要がある。それにはその青年の協力が必要不可欠な存在である。そして協力してもらうには、まずは自分の存在を認識してもらわなければ、話のしようがない。
なら、どうやって認識してもらうのか・・・それが問題になる。触る事も出来ず、声も聞こえない。可能性があるとすれば、魔法によるものだろう。幾つかの魔法が使えたのは確認している。つまり使えるもので気がついてもらえればいい。
=そうだ、この魔法なら・・・=
リサは魔方陣を放った。リサの髪は激しくなびいたが、実際の風は窓をカタカタと音を立てて揺らしたそよ風程度だった。
=・・なんだか・・・これで気づくかな・・・=
なぜか普段より力が弱い。
=よしっ!=
机の上にあるものを浮かせようとしたが、いくら力を込めてもビクともしない。
=・・・むう・・・ああ無理だあ・・・=
ぺたりと座り込んだ。
とりあえず休憩する事にした。
あらためて周りを見渡す。寝台と机と書棚・・・あとは何に使うかは分からない黒くて四角い板が一枚。恐らくは魔法の儀式に使うものには違いないが、今はそれは手ががりにはならない。
机の上にある一冊の魔道書。表紙は閉じているが、中を見れば何か分かるかもしれない。
=風でめくる!=
さっきと同じ魔法陣で風を起こす。が、室内には吹かず、また窓が小さな音を立てた。
=・・・・どういうことなんだろ=
何回か試したが同じだった。別の方法を試すしかない。
=えぇーと、えーっとぉ・・・・=
王国では魔法の才があるといつも周りにほめられていた。今こそその知識を生かすべき。・・が、いざというときになっても何も思い浮かばない。もしかして王女という事で、過剰に褒められてただけだなのだろうか。
=そんな事はない・・・はず=
仲の良かった侍女の顔を思い出す。彼女はリサのすることには何でも褒めてくれた。だから好きだったのかもしれないが。
=大丈夫・・・私だって頑張ってきたんだから=
右手を突き出し、左手でその腕を支える。手のひらが水色の光を放ち、そこから幾つもの光の円が宙に現われた。机全体が光を放った瞬間、脚の一つがガタっと音をたてて、その瞬間、机が斜めになった。
振動で本の表紙が捲れる。
=やった!=
やれやれ・・と、額を手で拭う真似をしてから、恐る恐る本に顔を近づける。
=こ・・・これは・・・=
ごく・・・と息を飲む。
書いてある文字は少なかった。代わりに、そこには大きな絵が描いてあった。
剣士らしき男性が剣を掲げ、後ろにいる女性を守っている。剣士は余裕な笑みを浮かべ、女性はその姿に驚きつつも、顔を赤らめている・・・そんな絵だった。似たような状況は、リサも城の書物庫で何度も見た事がある。が、それは文章だけで、実際に絵として目の当たりにするのは始めてだった。
=え・・・と・・・=
少しドキドキしながら、文章を目で追う。
=・・・・・・・=
しばらく凝視していたが、
=これは、さっぱり分からない=
リサの立っている床が光り始め、その複数の円が回転を始める。床からの青い輝きが、リサの顔を下から照らし上げた。
=プライマルリード!=
円が光って無数の光の粒が周囲に散った。すると、今まで分からなかった文字の意味が、ス・・と頭の中に自然に流れてくる。
=この魔法は普通に使える・・のか=
違いは何なのか?、が、今はそれよりも大事な事がある。
=・・・・・・・=
リサは本の絵に描いてある文を食い入るように見つめた。
=君だけは・・・何があっても守る・・・例え世界の全てが反していたとしても・・・=
自信ありげなに、そう語っていたようだ。その言葉は兄のレナルスの言葉に似ている。
=兄さま・・・必ず国に戻ります=
改めてそう誓った。