「リサ・・詠唱の準備はよいか?」
夜間と言える時間ではあったが、満天の星空の下、花崗岩のようなごつごつした石畳に光は反射して薄暗さは感じない。周囲は太い円柱でぐるりと囲まれている。その外側には警護の為か、大勢の兵士が遠巻きに待機している。
ここは祭壇であった。先に言葉を発した人物は老齢の神官であり、その長の証である装飾の施された杖の先を、リサと呼んだ白い服の少女に向ける。
「はい」
銀色の髪は長く、両脇の房を濃い灰色のリボンで結んでいる。ドレスの裾は大きく広がり、ひじや、胸元など、あちこちにフリルが付いており、祭壇に吹く風になびいていた。
リサは言葉少なにそれだけ答え、屈んで両手を握り締め、目を閉じてうつむいた。
先ほど声をかけた神官が、杖をリサに向ける。
「リサ・・・お前は末姫とは言え、王の娘。魔法学にも精通している。今だに発現する事の出来ぬ兄弟達に先んじて、発動できる可能性は多いにある」
「・・・はい」
リサは祈るような仕草で握っていた手に力を込める。
王家の血筋を引くものは強大な魔法を使う事ができる。王家の者である事を示すには、この“真偽の祭壇”でその力を示す必要がある。リサの上の兄達はそれが出来ず、その修練の為に今は遠地でその為の勉強中である。リサも十六歳になった今日、その試練を受け、もし不合格ならば兄達とそこで共に魔法の勉強をする事になる。試験の日以来会えていない兄達と一緒ならそれでもかまわないかな・・と、リサは一瞬考えたが、父王の子供三人全員が不合格では、さすがに父が悲しむに違いないと思い直し、再び彼女の中に緊張が蘇った。
「それでは開始する」
「・・・」
リサは目を大きく開き、両手を星空に掲げた。
=・・・なに?=
その試験の最中だったはずが、知らないうちにぼうっとしていて、気づけば知らない所に立っている。
=?・・・ここ・・・何処?=
見知った石造りの城下町や城内の景色ではなく、恐らくは鎧や盾と同じような金属で出来た建物が何処までも続いている。しかもその建物の全ては知っているどれよりも高く、大きい。
=・・・・?=
リサは口に手を当てて後ろによろめいた。が、その足は継ぎ目のないどこまでも平坦な石の道に当たる事はなく、そこに何も存在してないかのように足は地面に沈み込んだ。
=いったい・・・どういう・・・=
辺りを見渡す。地面からのびる長い棒の先に、三色で光るランプがあちこちにある。建物の窓からこぼれる灯りは、どれほどのランタンを内部で使っているのか分からないほどに明るい。
=・・・!=
巨大な鉄の塊がリサに向けて走ってきた。塊は二つのランプを正面につけているようで、まるでそれは森の奥に潜んでいるという伝説の獣を思い出させた。足がすくんだリサはその場で顔を抑えてうずくまった。
=・・・・・?=
弾き飛ばされる・・・と、思ったその瞬間、その鉄の塊はリサの体をすり抜け、走りさっていった。
=・・・・・あ・・あれ・・・・・って!=
続けて別の塊が迫る。が、それもまたすり抜けて行った。
=・・・魔法移動が・・発動?・・でもしてないし・・=
二つ目の化け物は正面でピタリと止まる。その光がリサに真っ直ぐに向かってくる。
=止まった?=
そう思ったのも束の間、今度は左右の塊が動きだす。
=・・・や=
光の中で身動きがとれずにいる。足が地面を踏めない事から、移動する事ができない。
=どうしたら・・・=
リサは思考を巡らす。学んできた魔法で何か使えるものがないかと。
=・・・・・・=
人差し指を立てて宙に図を描く。その図は水色の輝きを放った。その瞬間、リサの姿が消え、すぐに建物脇へ姿を見せた。
=な・・なんとか・・・え!=
二つ目の化け物はリサには関係なく走り続けている。が、そこに誰かが近づいてきた。
首から色のついた紐をぶらさげた男の人だった。
=え・・あの・・・ちょっとお聞きしたいのですが=
「・・・・・・・」
その男の人は、獣と同じようにリサを無視して体をすり抜け、そのまま歩いて行ってしまった。
=・・・・・・=
周りを見渡してみれば、同じような格好をした男の人、紐をぶら下げていない男性、女性も子供もいる。が、誰もがリサに気づいていないようだった。
=・・・・・すみません・・=
近くにた若い女性の二人は、見るていると恥ずかしくなるほどスカートの丈が短かった。リサは思い切って話しかけてみたが、二人はリサに目もくれずに去っていった。
=・・・こ・・=
ここでリサは状況を整理する事にした。
自分の姿も見えなければ、声も聞こえない。触れる事もできない。
ついさっきまでいた試練の祭壇では何もなかったというのに。
=あそこで・・・詠唱の失敗・・・?=
詠唱したのかどうかが、なぜか思い出す事ができない。とにかく分かっている事は、ここは以前いたところとは全くの別な場所であるということで、すべき事はここがどこかを確認する事だ。
=・・・位置取得・・・=
人差し指で魔法の図を宙に描く。これで王国からどれほどの距離があるかおおまかな距離がわかるはず。
光の円が回転して宙に消える。その光がゆっくりと消えていった。
=・・・分からない=
王国まで距離が離れすぎているのか、それとも魔法自体が利かないのか、と、なれば次にする事は魔法の有効性を確かめるべきだろう。
リサは再び宙に魔方陣を描く。二つの魔法の円は回転を始め、ぶつかりあって光を放って消えた。
=・・・・=
閃光・・・光の魔法を使った。地面から伸びてる細長い棒を渡している紐がバチっと、火花を散らした・・が、周りの人達はそれを見ても気づいているのかいないのか分からなかった。
=・・と、言う事は・・・=
この地では魔法が使えないこともないということだと分かった。だが、なぜか相手にはそれが伝わらない。伝わらない以上は、帰り道を誰かに聞く事はできない。つまりどれほど遠くにいるのか、さっぱり分からないという事になるのだが。
=・・・どうしよう=
すれ違う人々の言葉に耳をそばだててみる。
言葉としては理解は出来るが、個々の単語の意味は分からず、何を言っているのか分からない。もしかしたら、王国の遥か西方にある、魔法文明に頼らない伝説の国にいるのかもしれない。だとすれば、魔法が使えないのもなんとなく分かる気がする。
=んんー・・・困った・・・=
リサは地面にペタリと座り込む。触れる事は出来ないので宙に浮いている感じは同じであったが、立ちっぱなしだと、気分的に疲れる気がした。
スカートごと膝をかかえたまま、空を見上げる。目もくらむほどの高い建物と、窓からもれる光は綺麗だったが、夜空には星の一つも見えない。心なしか息苦しい気もして、顔をしかめて、また走る塊と暗い表情の人々を見つめる。
今はただ一人、誰も助けてはくれない。そしていったい、ここは何処なのか、それを知る術もない。
=・・・・・=
リサは立てた膝の中に顔をうずめた。唯一触れる事が出来るのは自分自身だけである。
“・・・我は問う・・汝、悠久の彼方・・・”
=!=
驚いて顔を上げた。
初級魔法では詠唱は不要だが、中級以降はそれなりの言葉が必要になる。しかも聞こえてきた旋律はかなりの高等魔法の文句のようだった。
「・・・古の盟約に従い、かの力を示せ・・・」
=・・・・・=
リサのすぐ脇に立っていたのは、首に紐をぶら下げている男性。歳はかなり若そうだ。少しボサボサ君の髪に、小さな四角い眼鏡をつけている。眼鏡は高貴な身分の者でしかつけられない貴重品なので、もしかしたらこの青年はこの若さにも関わらずそれなりの地位にある者なのかもしれない。その青年は手に小さな書物を持ち、大魔法の呪文を小声で唱えていた。
=まさか・・・大神官!=
この地にも魔法はあった。その事実がリサの心をぱっと明るくさせた。
=あ・・・あの!=
青年の持っていた鞄を掴もうとしたが、その手は空をきる。
=・・・え・・・=
「んー・・最新刊は、日常が多かったからなあ・・・。話がなかなか進まない」
パタっと本を閉じ、ため息をついて鞄にしまった。
「そう言えば、宿題山のようにあったんだ。面倒くさいな・・・」
すたすたと歩いていく。
=待ってください!=
リサは指で魔法を描く。青年の後ろを消えたり、現われたりしながらついていった。
青年がマンション入り口のパスコードを入力すると、正面の大きなガラス扉が開いた。エレベーターの前に立ち、自宅のある階層のボタンを押す。程なくしてエレベーターの扉が開き、中へと乗り込む。降りて自宅の部屋の前に向かう。パスコードを打ち込むと扉の鍵が外れた。
「ただいまー」
靴を適当に脱いで、廊下を歩いていく。
「おかえり、昭平、今日は早かったのね」
夕食の支度をしていた母親が、キッチンから声をかけてきた。
「そのかわり、宿題が多いんだ」
昭平は自分の部屋に入るなり学校の手提げカバンをベットの上に放り投げ、自分もその上に横になる。そのまま部屋の壁にある本棚に顔を向ける。棚には水色やピンク色、様々なカラフルな色の背表紙の本が並んでいる。
「おっと、そうだ」
カバンの中から本を出す。さっきまで読んでいた本で、小説ではあったが、挿絵が多く、表紙もやや派手目であった。
絵は剣を構えた少年と、ドレス姿の女の子が描かれている。昭平はしばらく真顔で読み進めていたが、次第ににんまりと笑みを浮かべた表情になってきた。
「やっぱ、主人公はこうでなくちゃあなあ!。圧倒的な強さで敵をなぎ倒す・・・すばらしい!」
クックック・・・と口元をゆがませる、完全に物語の主人公になっていた昭平は突然ベットの上に立ち上がる。
マントを翻すふりをして、かけていた眼鏡を人差し指と中指の二本で、少しだけ上にあげる。
「その程度の魔法で、俺を騙せると思ったか!」
腰をひねって後ろを指差す。
「いかに巧妙に姿を隠そうが、俺の前では無意味!、全ての謀は無意味であると知れ!」
そのポーズのまましばらく黙っていたが。
「・・・・なんてな」
急に力を抜いてベットの上に倒れた。
「現実は・・・つまらないな・・・」
ため息をついて、机に向かう。
宿題は多かったものの、夕食に呼ばれるまでには出来るのは分かってはいた。