九重学園に入学して3週間が過ぎた。
魔術科の授業は初歩からみっちりと鍛えてくれるもので、少しずつだけれど確実に上達しているのが分かる。
人見知りが激しいのでまだ友達はできないけれど、授業と部活が詰まった過密スケジュールをどうにかこなす毎日だ。
「夜倉さん、今日も霊蘇れいその生成をお願いできる? 」
「はい!!」
この学校の覇道部は、どこよりも規模が大きいことで有名だ。
部員数は150人くらいかな。生徒の大半が覇道部を志望する。
そもそも「覇王祭」というものは、翠国発祥らしい。
そんなわけもあって、優勝回数はダントツで多いし、部員達も絶対に負けられないという自負を持って大会に挑む。
ウチは最近もっぱら倉庫の整理や、魔力回復剤の調合、運搬を言い渡され、せっせと働いている。
霊蘇れいそと呼ばれる回復薬は多くの薬草と滋養強壮に効くあれこれを煮込んで、3日がかりで生成されるものだ。
ウチは調薬作業が好きだ。自分の作った薬が月ヶ瀬さんの体をうるおすものとなってくれるなら、いくらでも倉庫にこもっていられる。
「あーヤダヤダ、私この匂いだいっきらい」
「霊薬作りとか一番タルい仕事よね~やってらんないわ」
例の性悪三人娘もウチと一緒に霊蘇作りを言い渡されているのだけど、一切動かない。
初回からこちらに任せっきりなものだから、きっと作り方すら知らないだろう。
「作業しないなら帰れば? ウチは一人でやれるから」
倉庫に詰まれたマットの上に寝転んで完全にサボリ体勢な面々は、視界に入るだけで毒だ。いっそいない方がマシ。
ため息混じりに退去を勧めれば、三人は待ってましたとばかりに立ち上がり、作業着の裾を払って伸びをした。
「そお? それならお言葉に甘えちゃって今日は帰るわ」
「マネージャーになればもっと西園寺さまや月ヶ瀬さまとお近づきになれると思ったけど、全然だね~」
「こんな使いっパシリばっかじゃ、辞めたくなるわ」
はいはい、いつでも辞めてくれよ。
内心悪態をつきながら、ウチは火にかけた鍋から視線を外さずに灰汁取りに励む。
ウチも月ヶ瀬さんの力になれるようにとマネージャーを志望した。きっとハタから見ればこの連中と変わらないだろう。
けれどこちとら、長年手の届かない世界で片思いしてきた身だ。誰に何と罵られようと構わない。些細なことでも彼の役に立ちたいのだ。
ポケットに入れて肌身離さず持ち歩いている月ヶ瀬神社の栞にそっと触れながら意思を強く保つ。
いつかまた月ヶ瀬さんと話が出来る日が来たら、これを返すんだ。
「よし、できた!」
いつもより濃く、綺麗な色に仕上がった。毎日作業しているうちに霊蘇作りも板についてきたようだ。
性悪三人娘はとっくに帰ってしまったので、倉庫の中は静寂に満ちている。やっぱり仕事しない奴らはいない方がスッキリするなぁ。
できたてホヤホヤの霊蘇が入った鍋を抱えて、修練場の方へ向かう。そろそろ部の稽古も終わる頃だろう。
九重学園の修練場は、部室から歩いて5分ほどのところにある。
山を切り開いて、大きな空き地が作られており、端には藁で作った的が整然と並んでいる。
100人を越える部員が散らばって修行する場だ。とんでもなく広い。端から端まで移動するのにも一苦労だ。
「夜倉さん、今日もありがとう」
マネージャーの待機所まで到着すると、3年の秋園舞あきぞのまい先輩が出迎えてくれた。
気配りができ、いつもキリリとして格好よく、ソツのない仕事をするマネージャーの鑑のような人だ。
漫画にも登場したので彼女のことはよく知っている。西園寺部長に密かに思いを寄せているのだ。
「ウチ、この作業大好きなのでこれからもぜひ使ってください!」
もともと一人でコツコツと作業することが好きな性分だ。霊薬づくりはまるで苦にならない。
「ありがとう。あとの3人は?」
「えっと……用事があるそうだったので先に帰ってもらいました」
咎められたらそう言えと言われている。サボリをチクるような真似はしたくないので、大人しく従っておく。
「用事と言ってもね、連日それで帰っているでしょう? そろそろ私から一言言おうと思うのだけど……」
「いえ、その……彼女達なりに手伝ってもくれますし、大丈夫です」
材料を切る単純作業を一応任せてはいる。
もっともそれも3分ともたずに「飽きた」と放りなげるんだけど。
「新規マネージャーは10人入ってきたのだけど、早くも5人やめたわ。彼女たちも時間の問題じゃないかしら」
「そんなに残らないものですか?」
「毎年脱落者が多いわね。部員に近づきたいという下心で入ってきた子は、雑用じみた作業に耐えられないみたい」
「なるほどぉ」
月ヶ瀬さんも言っていたっけ。マネージャーは大半が辞めていくって。
そうやって時間をかけて、本気でサポートをしたいと思っているメンバーが残ればいい。ウチは何があろうと卒業まで続けるぞ!
修練場は陽が落ちると魔術灯が点灯し、夜でも修行ができる仕様になっている。
ウチは鍛錬を終えた部員達に霊蘇を渡し、お疲れ様でしたと告げる。皆ヘトヘトの様子だ。
「一杯もらおう」
汗を拭きながら、西園寺部長がやってきた。霊蘇を手渡してねぎらうと、彼は穏やかに微笑んでそれを飲み干した。
「君、頑張っているようだな。根性のあるマネージャーが入ってきたと零が喜んでいたよ」
「え!? ウチ……いや、私のことですか!?」
「ああ。金の髪で、二対の精霊を宿した1年生……というと君しかいないだろう」
「わぁぁ……そんな。月ヶ瀬さんが私のことを覚えてくれていたなんて」
嬉しくてじわりと涙が滲んでくる。
「零は放課後を神社で過ごしているから、こちらではなかなか会えないだろうが、君のことを気にしているようだ」
「入部届けを出すまでに、すごくお世話になりまして」
「そうらしいな。普通であれば心が折れそうな場面でも前向きだったと誉めていたよ」
「そ、そんな……」
「時間がある時にでも神社に参ってみるといい。元気な顔を見せてやってくれ」
「はい!! 近いうちに必ず!!」
西園寺さんは軽く片手をあげて一瞥したあと、待機所で作業していた秋園先輩の方へ向かった。
個人的に応援している二人だから、会話を聞いてほっこりしたいけれど、ウチにはウチの仕事がある。
あっという間に空っぽになった霊蘇の鍋を抱えて、洗い場へと走る。
月ヶ瀬さん、そんなにウチのこと気にかけてくれていたんだ。
あの日会話した一瞬の思い出を心の糧に一生生き抜いていけると思っていたけれど、なんだか前途はもっと有望なようだ。
明日の放課後、月ヶ瀬神社へ行ってみよう。
覇道部には「休息日」がある。週に一回、体を休めるためにと設けられたお休みだ。
そんな休息日の午後、ウチは月ヶ瀬神社にお参りをすべく、さらさらと揺れる鮮やかな緑の下を歩いていた。
月ヶ瀬さんの実家は「月ヶ瀬神社」という。
歴史は古く、翠国の守護精である「月佳」を祀っている。月術を上達させるためには、神社に通って信仰心を上げることが一番だと聞く。
月ヶ瀬さんに会いたいという下心がないわけじゃないけれど、今日の目的はお参りして月佳様の加護を得ることだ。
ええと、拝む時の作法ってどんな感じだったっけ?
そもそももといた世界での作法と翠国の作法が同じであるとは限らないな。
ウチは参道から少し離れたところに立ち、参拝者の動きを見守っていた。
基本的には頭に入っている流れと変わらないようだ。よし、2礼2拍手1礼だね。忘れないうちにいざ拝殿へ。
拝殿を拝み、魔術の上達を願った後、今度は「月佳の祠」へと足を向ける。
かつて隣国との戦になった際、この地で月佳様が士気を鼓舞し、舞を踊ったことから「必勝祈願」「無傷無病」のご利益があるとされている。
漫画の中でも、九重学園の部員たちがここに拝みに来るシーンが描かれていたっけ。
聖地巡礼気分で、月佳の祠を訪れる。祠というのは基本的に小ぢんまりしたものが多いそうだけれど、ここの祠はたいそう立派なものだ。
よし、今日は夕方までここで祈祷するぞ!!
やってやりましたよ、飲まず食わずの耐久祈祷!!
心を無にしてひたすら月佳さまの前で空っぽな自分を晒していると、体の疲労と比例してじわじわ全身が光に包まれたような感覚に陥った。
そんな一種のトランス状態で祈祷を続けるのは何とも気持ちがいいものだ。
さらさらと木々を揺らす風が頬を撫でていくたび、邪念がそぎ落とされていくようだった。
効果ありそうだな、祈祷。明日から毎朝早起きしてここに拝みに来よう。
長時間同じ姿勢で拝んでいたからか、足腰に疲労がたまりきっている。ぐっと伸びをして、ウチは元来た道を引き返す。
すると拝殿の前でバッタリと月ヶ瀬さんに遭遇した。
「おや、君。お参りかい?」
「わ、つ、月ヶ瀬さん! こんにちは!!」
全く心の準備ができてない! かぁっと頬が紅くなり、視界がわずかに涙でにじむ。
「無事に入部届けを出せたそうだね。良かった」
「はい! 月ヶ瀬さんのおかげです! このご恩は一生忘れません!!」
「そんなに固くならなくてもいいよ。君みたいに熱いマネージャーは大歓迎だから」
「ありがとうございます。私、覇道部のみなさんに優勝してほしくて……」
この世界に来たからには、必ず勝たせてみせる。初めてこの地を踏んだ瞬間から、頭にあるのはその一念だけだ。
「今年は見所のある1年生が入部してくれたから、いつにも増して部は活気付いているよ」
「はい。皆の熱意は伝わってきます。月ヶ瀬さんも、時間がある時には部の修練にお立ち寄りくださいね」
「そうだね。週明けには顔を出すつもりだよ。君が作った霊蘇も飲んでみたいし」
「う……! 霊蘇の話、誰から聞いたんです!?」
「司から。君の奮闘が目立つと聞いてる。日々頑張ってくれているんだね」
嬉しいな。地味な仕事ばかりをこなしているウチのことまで見てくれているのは。
誰からの賞賛もなくても頑張っていけると思っていたのに、こうして好きな人からねぎらってもらえると、光栄のあまり泣きそうになってしまう。
「あ、そうだ! これを返さないと……」
ポケットに入れていた月ヶ瀬神社の栞を取り出し、月ヶ瀬さんへと差し出す。
「ああ、あの時の。別に返してくれなくてもいいよ。君にあげる」
「え!? そ、そんな! 月ヶ瀬さんの私物ですし……!」
「僕のおさがりは嫌かな?」
「いえいえいえ!! そんなとんでもない!! 本当にもらってもいいんですか!?」
薄い木のプレートに、三日月が彫ってあるとても綺麗な栞。おまけに上品なお香のいい匂いがする。月ヶ瀬さんの匂いだ。
「うん。君さえよければもらってほしい。魔術科に入学したんだよね? 勉強頑張って」
「はいっ! 頑張りまくります!!」
「はは、本当に元気な子だ。そういえば、名前をまだ聞いていなかったね」
「夜倉渚といいます」
「夜倉さん。これからよろしく。また時間があったら参拝に来て」
「はいっ!! 毎日来ます!!」
嬉しくて、胸がいっぱいで、自分が何を言っているのかすらよく分からないくらい、目の前の彼に夢中だった。
気を抜けば、ずっと好きでしたと口走ってしまいそう。気持ちを抑えるので精一杯だ。
夕焼けに染まる町並みの美しさに目を細めながら、ウチは夢見ごこちで帰路を辿っていた。
胸の奥がきゅっとしまって、うまく言葉が出てこない。同じ空間にいられるだけで十分だという幸福感で、自然に涙が滲んでしまう。
漫画の中での月ヶ瀬さんは、もっとクールに覇道部の副部長として威厳ある振る舞いをしていた印象だ。
部長とは幼馴染で、彼との会話で時折現れる穏やかで気さくな人柄に惹かれた。
こうして直接会話してみると、普段はとてもゆったりとして優しい人なのだと分かる。
「……はぁ。やっぱり好きだなぁ」
自然に気持ちが漏れて、涙がひとすじ流れ落ちた。
ふと頭によぎったのは、漫画の中で彼がアレクセスと対決するシーン。
穏やかな彼が鬼気迫る形相で戦っていた。
いつもの余裕が削げ落ちて、全力で。傷だらけになって。
結果、敗北して彼は人生で初めて挫折を味わうことになる。
何度もそのシーンを読み返して、胸が張り裂けそうになった。思い出すだけで涙が止まらない。
このまま、ウチが何も行動を起こさずに覇王祭を迎えたなら、きっと漫画の通りの結末になるだろう。
それだけは耐えられない。絶対に勝ってほしい。覇王の座につくのは九重学園こそふさわしいと思うからだ。
やっぱり、何かしら彼のためになる行動をしなきゃ。
これから原作にないアクションを起こすことで、何かが変わるかもしれない。いや、変えてみせる、必ず。
ウチが九重学園を優勝させるんだ。