(この器があれば……)
「ムルでも呼んであげようか?」
「……は?」
「あれ? ムルの事知らない? 原初の神の一柱。死を司ってる子」
「いや、それは知っている。急に言われても、意図が分からず返答に困るのだ」
「ああ、そう。あなたの妹の魂をわたしの身体に入れたそうにしてるから、ムルを呼んであげようかな~と思って」
「遠慮する。キミと妹は似ても似つかない」
「ふぅん。じゃあ、似てたらするんだね、“兄さん”?」
「……!」
瞬きすらしない内に、スティルの姿が変化した。肌は薄く色づき、腰まで伸びた髪は銀灰色に染まり、少し吊り上がった目は黄金色に輝き、平らだった部分には膨らみができた。見間違えるはずがない。私の妹の姿だ。
「ねぇ、どうするの“兄さん”? 似た姿になったよ。ムルに頼んで魂を持ってこさせようか?」
「っ……」
それまでずっと手術台に横たわっていた彼女が起き上がり、私の腕を取ってきた。幼い頃、妹が私に頼み事をする時によくそうやっていた。
「や、めろ……」
「“兄さん”、どうしてあの時“私”の魔力が混ざっている事に気がつかなかったの? “兄さん”がそんな間違いを犯さなければ、“私”はまだ生きていられたのに」
彼女のままの声で、妹の姿に似た彼女が詰め寄ってくる。気がおかしくなりそうだ。彼女は手術台の上で膝立ちになり、私の腕を掴んでいた手は、今や私の肩をがっしりと掴んでいる。
「でもわたしの身体に“私”の魂を入れれば、生き返ったようなものだよね。“兄さん”はもう罪悪感で苦しむ必要は無くなるんだよ」
そう言って彼女は抱き付いてきた。人を惑わせる様な匂いが鼻をつく。
「やめ……」
「ずっと一緒にいようね、“兄さん”」
「やめろ!」
「わっ」
無我夢中で彼女を引き剝がし、手術台に押し倒した。
「どうしたの“兄さ」
「黙れ」
妹の姿をした彼女が薄ら笑いを浮かべ、黄金色の瞳で私を見る。私と同じ目だ。
「元のキミの姿に戻れ。不愉快だ」
「いいの? もう二度とこの姿が見られないかもしれないのに?」
「ワタシが見たいのは妹に変身したキミではない」
「でもあなたの妹の魂をわたしに入れれば、あなたの妹そのものになるよ?」
「……」
「ね? 魅力的でしょう?」
駄目だ。迷うな。魅力的だなんて思ってはいけない。そんな事を考えては相手の思うつぼだ。
「いいか。妹はワタシが死なせて、その後解剖もしたのだ。妹はあの時死ぬ必要など無かった。ワタシの愚かさのせいで死んだ。失敗の原因を調べる為に、既に無残な状態だった妹を更に分解した。ワタシが殺したのだ! 徹底的に! だからワタシには妹に会う資格など無い」
「でも、会いたいんだよね」
妹に似た顔が唇の端を吊り上げた。――妹はこんな表情をしない。
「会って話がしたい。抱きしめたい。謝りたい。頭を撫でたい。ただ何もせず隣にいたい。成長を見守りたい。……そうでしょ?」
「分かったような口を利くな!」
それ以上何かを言われるのが、心の内を見透かされるのが怖くて、私は咄嗟に彼女を弾け飛ばした。彼女だったものが、壁や床や、何よりも私の身体に、べちゃりと音を立ててぶつかった。
(……汚い)
だから殺したり殺されたりは嫌なのだ。
「だって分かっちゃうんだもん。あなたはとても分かりやすい」
身体が散り散りになったにもかかわらず、彼女の声がどこからか聞こえてくる。喋っている間にも、腕が、脚が、どこかの肉片が、ゆっくりと動き元の形に戻ろうとしている。
「人の事を馬鹿とか愚かとか言ってるけど、それは自分の弱さの裏返し。己の弱さを知られたくなくて、自分の愚かさに気づかずのうのうと生きている他人が許せなくて、それ以上に嫌と言う程思い知らされている己の愚かさが許せなくて、虚勢を張ってしまう。ずっとそんな硬い殻に閉じ籠っていても、疲れちゃうでしょ? あなたに加護を与える神の前でくらい、もっと甘えてもいいんだよ? ほら」
完全に元の形に戻った彼女が――とは言えまだ妹の姿のままだが――手を伸ばし、私の頬に触れてきた。
「そんな静かに涙を流してないで、素直に泣きなよ」
「っ……」
言われてから気がついた。頬を伝うものに。視界が滲んでいるのは怒りの感情からではなかった。
暫くしてから目元を拭うと――いや、素直に言おう。暫くの間、彼女に抱きしめられ、彼女を抱きしめながら泣いていた――、彼女の姿は妹のそれから元に戻っていた。穢れの無い白。純粋無垢な少女の姿。しかして穢された跡が“無い”という形で存在し、純粋無垢とは言い難い、何千年も生きる神の姿。
「……キミはその姿の方がいい」
「お、素直に言ったね」
「わざとやったのだろう。ワタシに思っている事を素直に言わせる為に」
「うん。いやぁ、あなたっていっつも気難しそうな顔してるし、全然素直じゃないから、なんかちょっとつまんないんだよね。昨日だって素直になればよかったとか言ってたくせに、全然素直になってないんだもん。わたしはもっと自分の欲望や感情に素直な人の姿が見たいの。その方が面白い」
「迷惑な趣味だな」
「いいの。わたし神様だから」
そう言って彼女は、月の光の様に柔らかな笑みを浮かべた。無茶苦茶ではあるが、そんな彼女にどうしようもなく愛おしさを感じた。
その後私は、自分の気持ちを素直に吐露した。彼女はそれを、時折相槌を打ちながら聞いていた。こうして素直に話すのは恥ずかしくもあったが、同時に蟠っていたものが解けていくような心地よさもあった。きっと私は、誰かに話を聞いて、慰めてほしかったのかもしれない。それを邪魔していたのは、他ならぬ自分自身の、つまらないプライドだった。だからと言って話を聞いてくれる相手は誰でもいいという訳でもなく、たぶん、彼女だから話せたのだと思う。泣いている私を馬鹿にしなかったから。彼女の姿に、妹の影を見ていたから。私の妹は、最も美しい女神の様に育ってほしいという願いを込めて、スティルと名付けられたから。