「……」
気がつくと私はソファの上で横になっていた。目元を乱暴に拭って起き上がると、向かい側のソファで静かに本を読むスティルの姿が見えた。
「服を乾かした方がいいよ。汗でぐっしょり」
本から目を離さずに言ってきた。眉間に皺を寄せている。気に入らないなら読まなければいいのに。
「この程度なら大丈夫だ。風邪を引く心配は無い」
「真っ昼間からしていたと思われたいの?」
「……すまない」
私はすぐ魔法で服を乾かした。
「ワタシはどのくらい寝ていたのだ?」
「わたしが起きてからこの本を半分程読んだから、だいたいそのくらいの時間」
何も分からない。
「今の時刻は、小腹が空いたけど、夕食にはまだ早いなって時間。あなたに用があれば誰かがここまで呼びに来ると思うから、ここにいたいならいていいよ」
「いや、大丈夫だ。誰もワタシに用が無いのなら、魔法薬を作っておきたい。失礼する」
「うん」
もしかしたら引き留められるかもしれないと思ったのだが、彼女はすんなりと首を縦に振った。私は拍子抜けしつつも部屋を出て、訝しむような目を向けてきた見張り達を適当にあしらい廊下を歩いていった。
(何を期待していたのだワタシは)
彼女に慰められる事をか? そんな事、彼女がする訳ないだろう。それとも彼女が鋭く何かを言ってくる事か? 別にずけずけとあれこれ言われたい訳でもない。
(いや、違う)
彼女は私の意見を尊重したにすぎない。引き留めてほしいと思ったのは私だ。しかし愚かな私が虚勢を張って彼女の部屋を出たのだ。今の感情を吐露し、彼女にただ話を聞いていてほしかったのに。
(愚かだ……)
人の事を散々馬鹿だの愚かだの言いつつも、自分が一番馬鹿で愚かな事くらい知っていたはずなのに。その愚かさが心底嫌になる。彼女に話を聞いてほしいのに、部屋に戻ろうともせず歩を進める自分はなんて馬鹿なのだ。「いていいよ」と言っていたのに。
ただ泣き顔を、己の弱さを見られたくないだけで、出ていくなんて。
医務室に戻り魔法薬の調合をしている内に、気分も落ち着いてきた。雨もいつの間にか止んでいる。捜索班もぞろぞろと戻ってきて一気に騒がしくなった。魔王は見つからなかっただの、生意気な子供がいただの、やたら不審な目で見られただの、口々に騒いでいる。
直に夕食の時間となる。時間になれば、またスティルの部屋へ食事を持っていかなければならない。
(面倒だ)
できればこのまま一人でいたい。捜索班の誰かがスティルの要求したものを買いに行ったのであれば、それと一緒にそいつが食事も持っていけばいい。だが、スティルを他の愚か者と二人きりにするのは気が引ける。
(……面倒だ)
己の感情が、面倒だ。
「悩み事でもあるのか? 珍しいな」
「……ギンズ」
色とりどりの袋を抱えたギンズが医務室に入ってきた。こいつも捜索班だったか。騎士団の制服ではなく、この世界の多くの成人男性が着用しているというスーツと呼ばれる服を着ている。派手な装飾もない、簡素な格好だ。まぁ簡素さで言えば、動きやすさや汚れを気にする必要のなさを重視した私の格好の方が上なのだが。
「ワタシにだって悩む時くらいある。ディカニスには馬鹿が多いからな」
「僕みたいな凡人には分からないような悩みか。ところで僕も今悩んでいる事があってね。皆がスティル様の為に買ってきた物をスティル様にお渡ししたいんだが、もうすぐ食事の時間だろう? 短時間に何度もお邪魔するのは失礼ではないだろうか、と悩んでいるんだ」
「ではキミがその荷物と共に食事も持っていけばいいだろう」
丁度いい。その方が好都合だ。こいつなら愚かさも他の奴らに比べればマシである。
「いいのかい? てっきり僕は、スティル様に食事を持っていくのは君じゃないといけない理由でもあるのかと思っていたのだけれど」
「それはセンマードンが他の愚か者に頼むと愚かな事をしないか心配しているだけの事だ。キミなら問題ないだろう」
「へえ。君は何も愚かな事をしていないんだ?」
「……何が言いたい?」
ギンズが目を鋭くさせた。
「聞いたぞ。昼食をスティル様と共に皆で食べたって。でもその後君はスティル様を連れてスティル様の部屋に行ったそうじゃないか」
「それが何だ」
「君がどうやってスティル様を懐柔したのか知らないが、まさか堂々とそんな事をするなんてね」
……ああ、あのくだらん噂話か。服を乾かした所で何の意味も成さなかった。
「僕が聞いた時、君は否定したから僕はそれを信じたんだ。でも、ああ、そうだよな。そんな事をしているなんて知られたら大問題だ。僕だって隠すさ」
どいつもこいつも、勝手に決めつけやがって。
「スティルの部屋で寝ていた、と言えばキミは満足するのか? いいや、しないだろうな。逆上するのは目に見えている。キミがスティルに、ワタシが彼女の部屋で何をしていたのか聞いたとしても、キミの望む回答が得られない限りは納得しないだろう。いや、ワタシやスティルがどんな回答をしてもキミは納得しない。そもそもワタシだけがスティルと共にいる時間が長い事を気に入っていないからだ。まぁそれはキミでなくても同様だろうがな」
「そうやってまたスティル様を呼び捨てに……」
「呼び捨てでいいと言われているのだ、ワタシは。彼女がどんな思いでいるのかも知らずにあれこれと押し付けるのは、彼女の怒りを買うだけだぞ。もっともキミがまた彼女に殺されたいと言うのなら、ワタシには止める権利はないがな」
「また? 君は一体何を言っているんだ。僕はスティル様に殺された事なんかない。そもそも今だってこうして君の目の前で生きて喋っているだろう。第一スティル様が人を殺す訳がない。スティル様は慈悲深いお方だ。君はどれだけ無礼を重ねれば気が済むんだ」
忘れていた。こいつは殺された記憶をスティル本人に消されたのだった。
「そうだな。無礼を重ね過ぎた。ワタシの様な不躾な奴をスティルと二人きりにさせるのはさぞ悔しかろう。話は戻るが、キミが彼女の分の食事も持って行け。キミが彼女と二人きりになるがいい。そして彼女がどんなに素晴らしい神であるか、彼女の前で熱弁するんだ。泣いて喜ぶぞ。きっとキミも昇天するような気分になるだろうさ」
「言われなくてもそうするよ」
最後にもう一睨みしてギンズは医務室を後にした。
(……)
「……スティル、どうせ聞いていたのだろう」
「あ、バレてた?」
スティルの姿は見えないが、どこからか声だけ聞こえる。今朝だってあんな良いタイミングで入ってきたのだ。どこかで会話を聞いていたとしか思えない。
「使徒の声くらい聴けないと、神様なんてできないからね~。で、どうかしたの?」
「ああ。さっきは、その、キミの優しさを無下にしてすまない。ワタシも、もっと……あー、何だ。そう、素直に、なればよかった」
「そういう言葉がスムーズに出てこないあたり、素直じゃないよね」
「うるさいな。それで、あれは詫びだ」
「ふぅん……? あなたは殺したり殺されたりが嫌いなんだと思ってたけど?」
「汚いから嫌なのだ。それに普通、人の死はもみ消せないが、キミが殺した場合は違うだろう。以前の様に記憶も消しておいてくれ」
「あなたのイカレ具合も大概だね~。分かった。ありがとう。素直になればよかったって言うなら、後でちゃんとこっちに来てからまた謝ってね」
「ああ、そうする」