その日は雨が降っていた事をよく覚えている。遅い時間になっても帰ってこない妹を心配して、私は家を飛び出した。
結論から言うと、妹はすぐに見つかった。家の裏手にいたのだ。ずぶ濡れになった身体を震わせながら、縮こまって泣いていた。私が声を掛けると妹はびくりと身体を跳ね上がらせ、恐る恐るといった様子で顔をこちらに向けてきた。濡れて顔にへばり付いた髪の間から覗く目が私の姿を認めると、先程までよりも大きな声で、わっと泣き出した。こんなにも泣いている妹を見るのは初めてで戸惑ったが、兄として妹を助けてやらなければ、という正義感を抱いた私は、妹を抱き起して家の中へ入った。
妹の身体はあちらこちらに泥や草がついて汚れていた。切り傷や痣もあった。妹が姉のように慕っていた使用人に頼んで風呂に入れてやり、その間に私は暖かいお茶を入れ、怪我を治す準備もした。他の家ではこの様な事も使用人にやらせるそうだが、その頃から私は治癒魔法の勉強をしていたから、この家ではそれは私の仕事だった。
暫くしてから妹は使用人を引き連れて妹の部屋に来た。そこで私が待っていたからだ。私の部屋で治療するよりも、妹自身の部屋の方が気分も落ち着くだろうと思ったのだ。私は妹にお茶を飲むよう促し、その様子を見守った。口内にも傷が出来ているかもしれないと思い、私が調合した、飲むと体内のちょっとした傷なら治せるお茶を出したのだ。私の予想は当たったようで、妹は目を丸くしていた。
「ありがとう」
「ああ」
そうする必要は無いと思うのだが、私が治療を始める前に、妹は使用人に部屋を出るよう言った。使用人は心配そうな顔で妹を覗き込んだが――使用人の方も、実の妹のように妹を可愛がっていたのだ――妹は頑として譲らなかった。
二人きりとなった部屋で、私は妹に治癒魔法を掛け始めた。簡単な魔法で治せるような傷ばかりだったが、全身に傷があってはそれなりに時間が掛る。何があってこんなにも傷だらけなのか聞こうとしたら、先に妹が口を開いた。
「ねぇ、兄さん」
「何だ?」
「私――」
「……」
雨粒が窓を打ち付ける音で目が覚めた。私はベッドから身体を起こし、軽く伸びをした。昨日あんな事があったからなのか、降りしきる雨のせいなのか、懐かしい光景を夢に見た。あれから約二十年は経っている。
(……)
頭を振って今見た夢の内容を、頭の片隅に追い払う。今の私はあの時の私とは違う。知識も、経験もある。そう自分に言い聞かせた。
医務室の机の上には、実験器具が出しっぱなしにしてある。昨夜使ってそのままだ。昨日はあの後、スティルの魔力をほんの少しだけ吸い取らせてもらった。吸い取る時に使用した小さなゼリー状の白い物体を基に、彼女の魔力を分析していたのだ。その物体を火にかけたり、水の中に入れたりする事で、その魔力の持ち主が何に強くて何に弱いか分かるのだが……彼女の場合は何も分からなかった。とにかく反発心が強く、実験にならなかったのだ。それで諦めてベッドに潜り込んで朝を迎えた。
(片付けるか……)
無理矢理結論付けるのであれば、とにかく強い、という事だ。それに彼女の弱点を知りたい訳ではない。これはむしろ、これから攻撃する相手の弱点を知る為に作ったものなのだ。復讐の為に。それが今では自分の趣味で集めて分析しているだけにすぎない。
(二十年、か)
大丈夫だ。今の私は、失敗しない。
「今日は雨なんだね」
朝食を持ってスティルの部屋に行くと、彼女は開口一番にそう言った。
「ここまで音が聞こえてくるのか?」
「ううん。あなたの髪の毛、いつも以上にボサボサだから」
「むぅ……」
私の髪は腰の辺りまで伸びている。面倒で大した手入れはしていないから、いつもボサボサだ。それがよりボサボサしているから雨だと分かったようだ。
「何で伸ばして……ああ、長かったんだね」
私の髪の毛の長さについて疑問を口にしようとして、勝手に納得している。また私の心を――いや過去を読んだのだ。
「キミは短いよな。キミくらいの歳の少女であれば、それこそワタシと同じくらいの長さに伸ばしていそうなものだが」
対するスティルの髪は、肩の辺りで綺麗に切り揃えてある。
「ディサエルも短いし、それに、長いと引っ張られるんだよね」
「ああ、それは……すまない事を言った」
「いいよ、別に。それよりもさ、外に出られるの?」
「それが……」
スティルが要求してきたものを買う為に外出できないかセンマードンに掛け合ったが、承諾されなかった。今日から一部の団員達が、魔王捜索の為に日中は街に出る。その為魔王を発見して戦闘になり怪我を負った場合、治療できる人物がイェントックにいないといけないから、という理由で私の外出は却下された。
「ふぅん。そっか。残念」
「代わりに捜索班メンバーとなった者が、こちらに戻る前に買いに行くそうだ」
「ふぅん。そっか。残念」
「……」
よっぽど私に少女向けの服を買いに行かせたかったらしい。その光景が、彼女曰く面白いから。
「あ、わたしの代わりに着る? 昨日あなたが買ってこさせた服、全部わたしの好みじゃないからあげるよ」
「ワタシではサイズが合わないだろう」
「ふぅん。サイズが合えば着るんだ」
「いや! サイズが合っていても断じて着ない! 食べ終えたのならワタシはもう行くぞ!」
「ちぇっ」
頬を膨らませるスティルをよそに、私は部屋を後にした。あのまま部屋に居続ければ、私のサイズに合わせた少女用の服を無理矢理着させられる可能性が高い。