それから1ヶ月後ーー。
皇太子妃となるエリザベスは、その日朝から、かちこちに硬直していた。
「大丈夫かい?」
帝城の大広間へ向かう廊下、隣を歩くレオが心配そうに声をかけてくる。ゆっくりそちらに顔を向けて、小さく頷いて見せる。
「大丈夫……と言いたいところだけど、緊張してガチガチよ……」
胃がキリキリして脂汗が浮かぶ。思わず手のひらに「人」という字を書いて飲むがこれから何かを発表するわけではないと思いなおす。
「完璧令嬢でも緊張するんだな」
「それはそうよ! だって……」
リズは慌てて言葉を飲んだ。うっかり「これまでの転生で皇太子妃はやってないんだもの!」と叫びそうになったのだ。母に「うっかり、転生について叫んでしまったら、会社がすぐ手入れにくるから気をつけなさい」と忠告されたばかりだ。
母は心配のあまり、過去の記憶と魔法を全部封印する用意があるらしい。
さすが、というか。全ての転生に付き合ってくれているだけのことはある。
「だって、なんだい?」
「だって……学校でも習ってないし、エチケット•ブックにも載ってないのよ、完璧な皇太子妃について!」
「え、あ、まぁそうだねぇ」
誰も、教えてくれないのだ。レオと共にある限り外れることのない身分、妃殿下についてできる限り詳しく知っておきたいのに誰も教えてはくれない。参考文献すらない。軽く唇を噛んで足元を見る。
案内係として先頭を歩く宰相と隣を歩くレオ、二人の足並みは揃っているが、リズの歩調は乱れ気味だ。
「完璧な皇太子妃でいたいのに……ああ、誰に学べばいいのかしら」
「まぁ普通なら現王妃だけど……我が祖父も父も、国王に即位してから結婚してるからきみが我が国では久しぶりの皇太子妃なんだよね……」
だからこそ仰々しい行事がいろいろ組まれたのだ。
今日これから大広間で行われるのは、皇太子婚約発表、つまり皇太子妃となるリズのお披露目である。来月は婚約式なるものが城前広場で行われ、およそ半年後に国内外に向けた結婚の儀式がある。
そのあとは大神殿で神々に向けた儀式があり、それが済んだら新婚旅行という名の外交がある。
それらを完璧にこなすことがリズには求められる。
「レオさま! すべて……完璧にこなしてみせますわ!」
「おお、さすが! 頼もしいな」
「当たり前ですわ!」
「ごほん、お二人盛り上がっているところ恐縮ですが、大広間につきましたぞ」
「あ、はい」
宰相が、大広間の扉を少し開いた。中に人がたくさん居るのがわかる。リズの顔に緊張が走ったのを、宰相とレオが見逃すはずもなく。
「殿下、お好きなタイミングで広間にお入りください。わたしは別の扉から広間に入ってお待ちしますので」
「ああ、そうさせてもらうよ」
一礼して宰相が立ち去るや否や、レオがリズを抱き寄せて額と唇にキスを贈った。
「もうっ、みなさま扉の隙間から見てらっしゃるわ」
リズが真っ赤になって軽く睨むが、レオはからりと笑う。
「見せつけてやるんだよ、完璧な愛情で結ばれたふたり、政略結婚や計略婚じゃない、ってね」
リズが反論する前に、レオが再びリズにキスをする。舌先でチロチロと唇を擽ればリズの形の良い唇が僅かに緩む。
「んっ!?」
ぐっと抱き寄せて舌を捩じ込めば、リズの目が見開かれ舌が逃げ回る。
「ん、んんーっ!」
その舌を絡めて強く吸えばリズの体から力が抜けた。
「……レオさま、ば、かぁ……なんてこと……」
「力が、適度に抜けたと思うけど? さ、皆が待ってる。行くよ!」
「はい」
歩き出すレオの隣に、並び立つ。そしてリズは形式どおりの挨拶をした後、高らかに宣言した。
「わたくしは、完璧な皇太子妃を目指します」
「まったく……完璧な皇太子妃にふさわしい皇太子を目指すよ」
「でしたら、完璧な国を目指しましょうね、殿下」
「そうだなーー」
ーーエリザベス、体験したことのない職業に就く。完璧な国造りを目指す。
「今度は、幸せで完璧……かどうかは、わかりませんが、楽しい人生が送れそうですね」
転生システムのオペレーターが楽しそうに記録をとったのだがーーはてさてどうなるかは、誰にもわからない。
【了】