社交界もシーズン終盤にさしかかり、ティレイアの引っ越しも終わり、アンナベルの姉の再婚も話がゆっくり進行している。
だが、リズは一人で屋敷に閉じこもりがちになっていた。
「……今度こそ、思い通りの人生を送るつもりだったのよ……。でも思い通りってなんだったのかしら……」
今回もまた、想定外の人生になっている気がする。母にも当然相談したが「しばらく魔法も過去も封印して、己の心と向き合ってご覧なさい」と難しいことを言われてしまった。
「リズさま、どうなさったの?」
夜会にもあまり出てこないので、心配してアンナベルが訪ねてきた。近所の公園まで散歩に出かけ、休憩用の椅子に腰掛けて持参したバスケットを開く。リズの母が持たせてくれた、紅茶とスコーン、ジャム。
「あら、美味しそう。いただきます」
アンナベルがスコーンを上品に頬張る。リズも、スコーンを小さくちぎって口は運ぶ。
「なんでもないの……。ただ、どうしていいのかわからなくて」
しゅん、と萎れたリズが、可愛いやら可笑しいやらで、アンナベルは思わず扇子の影で笑ってしまう。
「あなたをこんなにも人間らしくしたレオさま、さすがね」
「……え?」
「まぁ、あなたらしくないことは確かよ。いいこと? レオさまのこと、嫌いになった?」
いいえ、と、リズは即答する。
「もうお会いしたくない?」
「いいえ、お会いしたい! また一緒にお出かけしたいしおしゃべりもしたいわ!」
そうよね、と、アンナベルが頷く。
「では、レオさまが王族だから腰が引けてる?」
リズが、ん、と唇を噛んで空を見た。流れる雲をしばらく見た後、アンナベルに視線を戻した。
「ええ、そうね……。わたくし、王族に恋をするなんて思ってもいなかったのよ。それにね、地方領主の娘には、それに相応しい相手がいると思うの。釣り合わないわ」
「あら呆れた。いい男を捕まえるって寄宿学校で毎日豪語していたのは誰? いい男のなかに、普通は王族が入っているわよ? 釣り合いとかいうなら、領地でお相手探せばよかったのよ」
そうよね、と、リズはため息をついた。転生に慣れているがゆえの油断だったかもしれない、と、リズは反省した。
「……あ、忘れるところだったわ。そろそろ社交シーズンも終わりね。領地へみんなが戻る前に、結婚式をすることにしたの」
と、手渡された招待状。ぱあぁ、とリズの顔が明るくなった。
「アンナベル、おめでとう! 本当によかったわ! 幸せを掴んだのね!」
次はあなたの番よ、と、アンナベルは思った。そしてそれは、そう遠くないだろうとも。
それから数日。
「おーい、レディ・リズ、デートに行こうじゃないか」
「え!」
すっかり魂が抜けてしまったリズの部屋に、レオが日参していた。アンナベルの入れ知恵である。
「カップルに人気の公園に行こう」
おずおずと姿を見せるリズをさっと馬車に乗せて、レオはリズの体を抱き寄せたまま放さないし、頻繁に唇にキスを贈る。
「レ、レオさまっ!」
「俺の恋人になる決心はついた?」
「まっ、まだよっ! だっ……誰がっ!」
「残念だ……愛するレディ・エリザベスに色よい返事を貰えない可哀想な王子に、キスの一つでもくれないかい?」
耳元で囁かれ、かーっと首まで赤くなったリズは、何度も深呼吸をしたあとレオの頬に触れーーはじめて自分からキスをした。
「嬉しいよ、ありがとう」
満面の笑みのレオに至近距離で見つめられ、リズは茹で蛸である。
「お、公園についたよ。自転車イシュタルの改良版が届いてね。なかなか良い出来具合なんだ。これでよければ、店に並べる」
ぴく、と、リズが反応した。
「乗るだろ?」
「はいっ!」
途端に元気になるリズに、レオがうなだれた。
「俺、自転車に負けたのか……」
しかしレオは楽しそうである。時間を見つけてはリズの元へと通う。
「今日は、バラの花束を持ってきたよ。リズ、赤いバラが好きだろう?」
ドアをノックする。が、返事はない。
耳を済ませれば室内で何やら慌てる音がする。察するに、ドアに張り付いて廊下の様子を窺っていたが、ノックに驚いて飛び下がったのだろう。レオは吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
「リズ?」
「す、す……好きよっ」
ようやく、うわずったような声で返事がある。
「そうか、よかった。ではお母上に渡しておくから。また来るよ」
「ちょ、ちょっと、もう帰ってしまわれるの? お茶でもご一緒に……」
「お? 俺が帰ったら寂しい?」
「そ、そんなわけっ……」
「ふーん、じゃあ、またね」
レオが部屋の前を立ち去ると、慌ただしくドアが開いて完璧に装ったリズが飛び出してきた。
明らかに、レオを待っていた装いである。リズの後ろでは、メイドたちが笑いを噛み殺している。
「レ、レオさま? あら?」
廊下できょろきょろするリズは、完璧な装いの令嬢でありながら純真無垢な少女のようである。
「まさか……本当に帰ってしまわれたの?」
「そんなわけ、ないでしょう? 俺が、きみの顔を見ずに帰るわけないんだから」
社交シーズンはもうすぐ終わる。三日後のアンナベルの結婚式が今年最後のイベントとなるだろう。するとリズは、王都から領地へと戻ってしまう。
会いに行ける距離ではあるが、王族としての仕事を放り出して会いに行ってもリズは喜ばないだろう。
急いでリズを手に入れたいわけではない。
来年は更にいい女になるであろうリズ。そんな彼女を口説き落とすのは骨が折れるに決まっている。なにより、彼女がそばに居てくれないのは淋しくて仕方がないのだ、レオは。
物陰からレオが出てきて、リズをふわりと抱き寄せる。ぴたり、と額をくっつけられて、かーっ、とリズの顔が真っ赤になる。頬から耳、うなじへと朱が広まっていく。
「可愛いなぁ……」
「あーん、もう! ばかっ、知らない!」
「いいじゃないか。そろそろ、俺の恋人にならないかい? きみをこの国で一番幸せなレディにできるのは、俺だけだと思うけど?」
ぷくっとリズが頬を膨らませた。おや? とレオが形のいい眉毛を持ち上げて見せる。
「何か、気に入らないかい?」
「こ……」
「こ?」
「恋人としてのお付き合いだけですの? ほ、他に言うことはないの?」
からりと笑ったレオが、片膝をついて上着のポケットから小箱を差し出した。そこにはもちろん、指輪。
「レディ・エリザベス、わたくしと結婚してください」
「はい、よろこんで――レオンハルト皇太子殿下」
やった、と飛び上がったレオがリズを抱きしめる。そっとリズが目を閉じ、レオは心を込めて愛らしい唇にキスを贈った。
「リズ、よく決心しましたね」
夜、暖炉の前に座り込むリズのそばに、母がやってきた。
「お母さま! それがね……」
レオの姿が、一瞬見えなかった。
それがひどく寂しく、自分は彼の隣に居たいと強く思ったのだとリズは言う。そのためには、レオの想いをしっかり受け止めて、ちゃんと自分の意思でレオの隣に立つ。
「いいと思いますよ」
「そして皇太子殿下に相応しい女性になるには、これから山のように勉強しなければならない……のよね……」
そうね、と母が穏やかに頷く。
「お母さま……これからが大変よね。ちゃんと皇太子妃になれるかしら……」
「大丈夫ですよ、リズ」
「弱気はダメね。前を向いて歩かなくては。これが今回のわたくしの人生ですものね。お母さまはお城にーー来てくださるの?」
頼ってはいけませんよ、と、困った顔をしてみせた母だがーー実は『会社』が動いている。
来月にはリズの父は大臣を拝命してお城のそばに屋敷を賜り、リズの母は王妃の世話係として採用される。
だがリズにはしばらく、それを告げるつもりはない。
「レオさまと幸せになるのよエリザベス」