その翌日の舞踏会会場では、久しぶりに暴走馬車が会場に横付けになった。
道中、やはり急に大雨が降った。さらには馬車が盛大にはねあげる泥をかぶって参加を断念した令嬢が何人も出た。
言うまでもなくリズの仕業である。迷惑なほどに強力な魔法を連発したのだが、本人、いたって真面目である。
「ごめんなさいね、おねえさまのためなの。積極的なあなたたちは、しばらく社交界欠席してね」
喚く令嬢たちの様子を見たリズが、小さく窓越しに呟いたのを誰も知らない。
そして、急停車した白い馬車からは、やたらきりっとした表情のリズが威厳たっぷりに降りてきた。そして、シュテファンを見つけるや否や突進する。
「見つけましてよ、シュテファンさま!」
「わ、イシュタル化してるぞ!」
と誰かが叫び、人々は思わず道をあけた。もはや条件反射である。ーーが、彼女が美しいため、つい見惚れてしまう。
リズが着ている光沢のあるワインレッドのドレスは、流行の最先端である。
袖も裾もたっぷりと布やレースが使われている。四角く開いた胸元からウエストにかけてクリスタルを使用した刺繍が施され、シャンデリアの光を反射してキラキラまばゆい。
もちろん、イヤリングもブレスレットもネックレスも、扇子も手袋もケープも一切の抜かりはない。それだけ豪華なドレスを着ていても『ドレスに着られた』様子は一切なく、裾捌きも鮮やかなのはさすがである。優雅にゆったりと、シュテファンを取り巻く令嬢たちに近づいていく。
取り巻きたちは、リズの美しさ、ただならぬ雰囲気に圧倒され、じりじりと後退ってしまう。
「これはレディ・エリザベス」
「ごきげんよう、シュテファンさま。ちょっとあちら、よろしいかしら。ここではうるさくって」
「……いいよ、行こう」
衆人環視の中、リズはシュテファンとともにテラスへと出ていった。
ほぼ同じころ、アンドリューの教会ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
「待つんだ、レディ・ティレイア!」
レオが、泣いて駆け出すティレイアの腕を捕まえて自分の方へ引き寄せていた。見ようによっては抱き合っているようにも見え、当然周囲はざわざわとする。
「何事ですか! ここは教会ですよ」
神父のアンドリューが息せき切ってやってくる。器用にティレイアとレオの間に割って入り、ティレイアをかばう。
「どうしましたか」
「頼む、アンドリュー。彼女とどうしても話がしたい。気持ちを聞かせてほしい」
「殿下……何の話ですか。彼女の気持ちが揺れたことなんて一度もありませんよ」
小さな声で囁く。レオが呆れ顔でアンドリューを見た。
「……アンドリュー、やっぱりお前、全部知ってたか」
まぁね、と、肩をひょいと持ち上げて肯定。
「……たぶん、すべての事情を知ってる唯一の存在は僕でしょうね。レディ、この際だ、彼に縋ってみようじゃないか」
「そんな、ご迷惑はおかけできません」
衆人環視の中、三人は教会の裏庭へと出ていった。
そうして異なる場所で、レオとリズの口から飛び出した言葉は同じものだった。
「ティレイア嬢とシュテファン卿、二人は愛し合っている。違うかしら?」
リズに尋ねられたシュテファンは一瞬言葉を失ったが、即座に肯定した。
「ああ、間違いない」
「なぜ仲を隠すの? お似合いのお二人よ! わたくし自慢のおねえさまと、わたくしが一度は愛したシュテファンさま。王国一のカップルだわ」
「なぜって……ティレイアの希望だよ。彼女が、自分の家は程なく没落する。身分違いだからダメだと……一緒にはなれないのだと……俺はそんなこと、気にしないのに!」
心底悔しそうにシュテファンが言う。
リズは、いけないと思いつつも『禁断の魔法』を使った。俯いているシュテファンの思考を少し、覗いたのだ。
――まぁ! おねえさまのことばかり! 本当に……愛していらっしゃるんだわ
なるほどこれでは、リズが迫っても他の令嬢が迫っても、びくともしないはずである。
そして、二人が三年も愛し合っていること。
身分違いだからと別れようとしていること。
ティレイアが家のために意にそぐわない縁談を受けようとしていること。
二人が何度も何度も話し合いを重ねたこと。
――そして、シュテファンはティレイアを連れて隣国へ駆け落ちしようとしている。
「……隣の国なら、そうね……比較的結婚は容易よ。両家の結婚許可証もいらないし、結婚報告書が役場に張り出された途端異議申し立てがあって結婚が伸びた、なんてこともない。これまでに国境警備兵の目を掠めて隣国へ行って、教会へ駆け込んで結婚して、この国へ戻ってきた男女は数多いるわ――……」
「レディ?」
「でもね、そのあとは大変なのよ。駆け落ち婚なんてしたら、御両親は当然怒るし、一生親戚や友人たちから非難され、社交界から締め出され、財産や爵位も相続できないかもしれない。もし子どもが生まれたら、その子たちも不公平と好奇の目にさらされるわ。その覚悟はあるのかしら?」
ある、と答えるシュテファンの声が震える。
「この国に、戻らなくてもいいと思っている」
「あら、あなたは皇太子殿下の側近だと聞いたわ。その地位を捨てるというのね? ひいては国そのものを捨てるのね?」
リズは、シュテファンをじっと見ながら尋ねた。意地悪な質問だと思うが、シュテファンの意思を確認したかった。
「……皇太子殿下の側近は、俺だけじゃない。俺の代わりはいくらでもいる。でも、俺の伴侶いや、彼女の伴侶は俺だけだ」
シュテファンの目はしっかりと先を見据えている。
魔法を使うまでもなく、シュテファンの意思、ティレイアへの深い愛を感じる。
ふ、とリズは小さく息を吐いた。羨ましい、と思わないわけではない、いや、こんなにも『深く愛し合う相手がいる』ことが素直に羨ましい。
これまで何度も転生を重ねてきたリズだが、そのような相手に巡り合ったためしはないし、ここまで深く繋がった二人を見ることもほとんどない。
だからこそ、ここまで愛し合っている二人に一緒になって欲しいと願ってしまう。
「そこまでの覚悟があるなら、ティレイア嬢を攫ってアンドリューの教会で結婚しちゃいなさいよ。ティレイア嬢の家だって、まだ没落していないでしょう?」
「しかし……役所に張り出される結婚報告書は金を積めば免除できる。が、結婚するには結婚許可状にそれぞれの親や然るべき人のサインが必要だが……」
にこ、と、リズは微笑んだ。
「こういうときは、王族にお願いすればいいのです」
「な、なんだって?」
「今ではサイン=両親っていうのが定番でしょう? でもね、その昔は王族のサインをもらって結婚していたのよ。貴族が増えて王族がサインに追われて大変なことになって、王族でなくても両親でも保護者でもいい、ってことになったのよ。法律が変わっていなければ今も有効な手のはずよ」
学校で学んだこの国の歴史だ。それが今、役に立った。
項垂れていたシュテファンの顔に生気が戻ってきた。
「駆け落ちしなくても……結婚、できる?」
「ええ」
「ティレイアと話をしなくては……!」
あと少しね、と、リズは小さく頷いた。